○一人でできるモン!(註)

 「自分一人ががんばったって他の人も同じようにしてくれなければやる意味がない。だから自分もやらない。」というような意見や行動をいろんな場面で目にします。

 例えば、「ゴミはそこら中にあるからいまさら自分のゴミをいちいち持って帰るなんて面倒。」、「自分だけイジメを防ごうとしても周りは同調してくれないだろうから意味がない。」等々。

 「それは違うんじゃねーの!」と思います。私がそう思う理由は以下の3点からです。

 。運佑やるだけでも意外なぐらい結果は違ってくることが多い。

◆。運佑始めれば、他の人もついてくる。

 他人がどうであるかなんて「クソ喰らえ」だオレはオレの信じる道を行く。

 特に魚釣りをしているとキャッチアンドリリースについて、「自分一人がリリースしたって、他の人が持って帰るから意味がない。」という意見を聞く機会が多いので、上記3点を踏まえ具体的事例をあげて意見を述べます。

 

 まず、自分がせっかく逃がした魚が他人に釣られてしまうという懸念に関して、私は釣り師としてのプライドがまず足りないと思います。

 私は「オレ様が苦労した魚をおいそれとそこらへんのヘタレ釣り師に釣られてたまるか!」と思っています。

 しかしながら主観的にこのような考え方を持ち、の考えのもと自分の信じる道を突き進むことはけっこうだと思うものの、客観的にみると、魚なんて良い日和にタイミング良く釣れば釣れてしまうのも事実でヘタクソにも釣れないとは限らない。

 さらには当方が超絶的に上手いということを客観的に信じるに値する物証も実は乏しい。というか凡百の釣り人の一人であるらしいことにうすうす気付かざるを得ないのが悲しい現実です。

 

 それでも、リリースは自分一人でも充分行う価値があると感じています。なぜなら、長いこと釣りをしていると直接的にリリースの恩恵にあずかった経験が結構あるからです。

 実は、リリースしたその魚自体を再度釣ったことが何度かあります。通常は2度釣っても気付かないと思いますが、最初に釣ったときに傷物にしてしまい「こりゃリリースしても死ぬかな?」というような魚の場合は次に釣ったときに傷跡で分かります。ラインで体表にできた傷が治りかけたイワナとか鰓蓋がちょっと裂けちゃったニゴイとかを同じ場所でもう一度釣りました。

 下の2枚の写真のイワナ。残念ながら写したときの魚の向きが逆でこれでは確認しづらいのですが、釣ったときに明らかに一回目に釣ったときに見たキズの治りかけたものがあり同一個体だと気付きました。

一度目のイワナ2度目のイワナ(こいつら同じ個体ですクレソンの枯れ具合が時の経過を物語る。)

 実は気がつかないだけで、定着性の強い魚に関してはリリースした魚を自分で再度釣ることは結構あるのではないかと実感しています。東北に住んでいた時に2年ほど同じ川の枝沢でほぼ毎週土曜日他人が入る前に入渓しリリースオンリーで釣っていたことがあるのですが、元々そこそこイワナがいた川だったのが、ほとんど他の人に釣られること無くスクスク成長したためか、2年目にはものすごい魚の量になって行くたびに尺前後が出るような状態になりました。通える範囲で小さなエリアなら「勝手にリバーキーパー」も不可能ではないと思います。

 ちょっとでも釣れる確率が高くなるように努力するのが釣り人の常ですが、効くのかどうかよく分からない最新のフライパターンの導入や新製品の購入に比べ、リリースは直接的に意外なぐらい自分に恩恵が返ってきます。

 ,能劼戮燭茲Δ法⊆分1人がやるだけで結果は違ってくるものです。私は確信を持って自分の釣果のためにリリースを実行できます。

 

 更に、バス釣りとか東京湾のシーバス釣りなどの世界では、先人たちが「リリースしようぜ!」と呼びかけてくれたおかげで、結構多数の人がキャッチアンドリリースを行っている現実があります。おかげで、口に針傷のある魚をキャッチする機会は結構あります。誰かがやり始めてそれがみんなの利益につながるなら△能劼戮燭茲Δ坊觜渋召凌佑發弔い討るものです。

 

 必ずしもリリースが必要な釣場状況ばかりではありませんし、リリースしても意味がない場合もあると思います。また食べることも魚を理解するうえで重要です。自分の頭の中できちんとそのあたりを整理しておく必要があると思いますが、少なくとも自分がリリースが必要だと考えるなら、で述べたように他人のことなど気にする必要はないと思っています。

 自分一人であっても、やるべきことはやらねばならぬと思います。

 

(註)青臭い決意表明みたいな文章になってしまったのでカワイイ感じになるかと語尾を「モン!」としてみたが、自分でやってて気色悪い。今回の反省点である。

(2008.3)  

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