○「本のページ」第3部 −ナマジの読書日記2009−

 

  2009年も適当に、予告も報告もなしにダラダラと更新していければと思っています。

 

<09.12.25>

 最近面白い本にあたらない。苦戦中で本棚の本を再読したりしている。そんな中ショッキングな訃報が。日高敏隆先生が亡くなられた。残念の一言である。日高先生の本を何冊かアマゾンゲット。

○日高敏隆「なぜ飼い犬に手をかまれるのか」PHP新書 日高先生の紹介してくれる生き物の話には毎回目から鱗が落ちる。もっと長生きしてたくさん書いて欲しかった。

○日高敏隆「人間についての寓話」平凡社ライブラリ 若い頃の日高先生の主張や論説とやっぱり生き物のはなしを集めたモノ。アゲハのさなぎの色の謎(ざらざらした場所では茶色くなる)はたしかわりと最近明かされたと記憶している。若き日にその謎に迫った先生の取り組みも「科学者はこういう論理的な考え方で物事に迫っていくのだなと」興味深かった。

○奥野良之助「金沢城のヒキガエル」平凡社ライブラリ これは日高先生ものではない。ヒキガエルの写真にひかれて買ったが、中身も大変面白かった。金沢城のヒキガエルの行動を長年観察した報告。ヒキガエルはたまに餌を食って後は寝ていて出てこない省エネ生活。ヒキガエルの社会には競争らしい競争がない。などカエル好き大満足の内容だった。

 

<09.11.22>

○山崎豊子「二つの祖国」新潮文庫 前半の日本人収容所あたりはサクサクよめたけど、後半の東京裁判あたりは単調で読みにくく手こずった。途中別の本などもよみつつ何とか読み切った。ラストが悲劇的で悲しい。

○城正明「イッショ・モシリ」海悠出版 北海道の自然を釣りとイヌとの生活を通して紹介している好著。でっかいニジマス、アメマス、イトウがうらやましい。ニジマス用のCDCでガバッと巻いたフライパターンが豪快でいかにも北海道。北海道にチマチマ、ゴチャゴチャしたフライは似合わない。

○服部宏次「超簡単トローリング」舵社 クソデカイ「鮫」を釣る妄想が頭に住み着いているのでこのところトローリングギア、特にスタンダップファイトの道具が気にかかってネットでもその辺りをウロウロしている。題名が「超簡単」なのであまり本格的ではないモノかと思ったが、そうではなく、トローリング自体がそんなに特殊な技術じゃないんですよというメッセージのようだった。内容はこれ一冊で海でトローリングはじめられそうな充実ぶり。著者は釣り雑誌のライターが好きが高じてトローリングのチャーターサービスはじめたような根っからの釣り人。やたら高価な角とか特殊な素材のルアーでなくても大丈夫とか、やっている人間が難しいことをやっていると言いたがるのでトローリングは敷居が高くなりがちであるとか、その辺非常にさばけて分かっておられる方で信頼できる。どの釣りのジャンルでもやたら特殊な事を言って自身を権威づけしようとする輩は多いモノで、何も分からないと思わずひれ伏してしまいがちである。日本でトローリングを楽しむための実践的技術体系がわかりやすく解説されている。レバードラグの使い方やローラーガイドの手入れの仕方など基本的なところもきちんと押さえられていて大変ためになった。自分のやっていることを簡潔に整理して秩序立てて説明できるというのはレベルが高い釣り人の仕事だなと感じた。

○高野秀行「西南シルクロードは密林に消える」講談社文庫 ここのところ読み物はアタリが少なく開高健モノ再読などでお茶を濁していたが、文庫化待ってましたの高野秀行モノはヒットヒット大ヒット。解説者はグレートジャーニー挑戦で有名な人だったが、高野氏に「渾身込めた傑作だ」と褒めたところ「読書界では無視されました。書評にはほとんど取り上げてもらえなかったんですよ。」と寂しそうに言ったそうである。なんでこの本の面白さが世間にはつたわらんのかな。帯のキャッチフレーズには「悲惨で絶体絶命で滑稽な旅」とあるが、絶体絶命ではあるが悲惨ではなく、滑稽でもなく爆笑ものだと感じたね。とにかくこの人の旅へのアプローチの仕方は独特だ。探検といっても肉体的な超人ワザで高い山を踏破するとかではなく、ゲリラに連れられて熱帯雨林を足痛いとぼやきながら進む旅であるが、そもそも独立運動盛んなビルマの紛争地帯にゲリラのつてを使って侵入し、国境まで来たら引き返すのがしんどくなってインド側に密入国という、ちょっと聞いたことのない旅の方法に唖然とする。「こんな探検ありか?」、なにげにそんな常人には思いもつかない方法ができるのは、何カ国語もあやつり現地の少数民族の言葉も片言ぐらいできるという語学の天才である事に加え、彼のフレンドリーでユーモアを忘れない人柄にもおうところが大きいと感じる。逆にそのユーモアが、堅苦しい肩肘張ったエラそうな言葉をありがたがる世間にはウケが悪いのかもしれない。高野秀行はもっと評価されて良い希有な存在だと思うがどうだろう。最終的にはインド密入国で国外退去処分で二度とインドに戻ってこれなくなって後に怪魚探しに支障が出たりするのだが。密入国に関しては現地の領事に相談したときに、懲役5年とかのかなり重い罪になりそうだと言われたらしいが、どこの国でも、密入国した人間については、法的には実刑相当でも言葉も通じない人間を牢屋で管理しておくコストがかかるので、高野氏のケースと同様、国外強制退去が普通じゃなかろうかとちょっと違和感感じた。まあ、密入国した人間が自ら領事館にのこのこ相談しに来るというのはレアケースなので判断つかなかったのか。まあなんにせよ面白かった、分厚い長編なのでしばし電車通勤の憂鬱を紛らわすことができた。

 

<09.10.12>

○山崎豊子「大地の子」文春文庫 とうとう当方もケン一一押しの長編作家山崎豊子に手を出してしまいました。全4巻の分量にビビリつつ読み始めましたが、面白いゾこれは。たっぷり読書の時間を堪能できました。中国残留孤児の話で、「そんな偶然、現実にはあり得ないよ」という劇的な偶然の人と人との織りなすドラマがこれでもかと話を盛り上げる盛り上げる。小説の醍醐味ここにありという感じか。長編なのでそれぞれの登場人物のストーリーもみっちり描かれていてそれらが重厚に絡み合っていく濃厚な味わい。堪能できました。今第二次世界大戦時の日系アメリカ人を題材にした「二つの祖国」も読んでます。後半の東京裁判のところでややダレて他の本と平行しながら読んでますが、これも面白い。ちまたでは映画化などで山崎豊子盛り上がってますが、当方にもブーム到来か?

○曽根綾子「貧困の光景」新潮文庫 これもケンイチお薦め作家。日本財団の会長としての顔、敬虔なカソリックとしての顔、小説家としての顔を持つ著者が見てきた世界の貧困の風景。日本では格差社会とかいって自殺者も増えているが、日本では考えられないような本当に貧困な現場では生きるのに必至で自殺などあまり無いとのこと。日本の負け組などまったく貧困でもなく格差などとマスコミが騒ぐのは笑止と言い切るぐらいのどうしようもない修羅場を見てきた人の鋭い視点。貧困の絶望的な風景、背景、その中に見いだす光。言葉狩りへの舌鋒鋭い反発。などなど「ダダモンじゃないぜ」と思わせられる。失礼ながら宗教家という人種について「何でも神様が決めてくれて楽でいいな」と思ってましたが、まったく失礼してました。宗教というバックボーンを背景にしつつも深く考える姿勢やそもそも「教え」の解釈自体を考えぬいていく姿勢に脱帽。「沈船検死」も続けて読みましたがこれも良かった。

 

<09.9.14>

○池澤夏樹「異国の客」集英社文庫 沖縄を離れ、フランスに移住した作者の日々を綴ったエッセイ。当方も転勤が結構あり日本国内とはいえ「異国の客」の魅力を知っているので、作家が次々と住居を変える気持ちも分からなくもない。立ち位置を変えて視点を変えた作家の目に映る事物はなかなか新鮮でもあり、変わらぬ作家の姿勢に共感したりもする。

○町田康「全歌詩集」角川文庫 パンク歌手町田町蔵の全歌詩(詞)集 歌詞だけ読むというのも変なモノだが、中国の五言絶句なんかも本来歌うモノを日本語訳で歌詞だけで習ってるはずで、それでも良いモノは田舎の高校生でも良いと思うぐらい良かった。李白や杜甫なんてあこがれる吟遊詩人筆頭だ。この歌詞集も歌詞だけだけど充分「詩」として面白かった。最近の歌謡曲なりポップスなりを「詩」としてみると、演歌がどうも良いように感じるのは年のせいか。Jポップはラジオで聞く程度だけど椎名林檎の書く歌詞は独特でわりと好き。

○柴田哲隆「TENGU」祥伝社文庫 テッちゃん大藪春彦賞取ったということでてっきり釣りとかパリダカとかのルポライターと思いこんでいたので「ほほう。彼はこんな大それたことをしていたのか。」と読んでみた。オレが悪かった。小説面白かったよ。SFっぽいミステリーなんだけど、さすが「大藪春彦」賞、主人公がバーボンと洋モクをこよなく愛し、愛車はジープチェロキーときたもんだ。バブル前の古き良き時代のハードボイルドな主人公を彷彿とさせる。当方「大藪」直撃世代なので嫌いじゃないです。楽しめました。

 

 <俺の読書 13/Sep/2009 Sun>

□ ナマジへ 雑記&読書

  おぉ、やっぱりNY行くんやな。 ええなええな。 おいらも昔読んだ備前さんの文章に感化されてまくって今でもストライパーはやっつけたい魚のランキング上位にいる。 海フライやると釣りたくなるらしいターポン様よりも上や。

  おいらも遠征控えて、初めての釣りというのもあって思うように準備が捗らず、8月下旬の小学生の気分や。 ウレタンヘッドの(PVCか?)ポッパーのカップ削るのひとつとっても試行錯誤の連続。 フライパターンは今までの流用がまったく効かず、全部最初から。

 何はともあれお互い良い釣果報告したい(聞きたい)もんやな。

  

 12時間?フライトに、最近読んだのやらお勧めやらごく簡単に。

  「日本怪魚伝」柴田哲孝 角川文庫

 もう読んだか? 短編集なのも旅に合う。

 

「青空ヒッチハイカー」橋本紡 新潮文庫

 この作家、同郷出身らしいです。 18才の主人公のロードムービー。ロードノベルというのか。

 

「東京物語」奥田英朗 集英社文庫

 奥田先生の青春ストーリーみたいな感じ。 バブルぶくぶく泡泡しまくってます。

 編集者および広告マンというのは作家への近道なのかな。 開高健も中島らもも広告マンやし。

 

「たばこの本棚」開高健 ぶんか社文庫

 Amazonで読んだことのない開高健あさっていてついポチッとやってしまったが、届いたのは「開高健 」であった。 でもまぁ読んだことのないいにしえの作家多数でおもしろかった。

 

Re:

ナマジです。

 遠征前は妄想膨らんで興奮しまくるね。

 

 こちらも1月半まえでチケット完売と言われたときはあせったけど何とかキャンセル待ちでそれなりに高かったけどディスカウントチケット手に入ってよかった。一時盛期料金で行ったろかと覚悟しかかったけど往復40マンでっせ。

 

 お互い、一生思い出してニヤけ笑いできるような釣りしてきましょう。

 

 「日本怪魚伝」以外は読んでないけど、かねてお薦めいただいていた山崎豊子についにオレも開眼したよ。「大地の子」いま3巻まできた。登場人物それぞれの物語が錯綜して、ゴンゴンと時代が流れていくさまを重厚に描いてくれていてスケールデカイ読み応え。かつ中国残留孤児のエピソードには涙ちょちょ切れそうになる。どっぷり浸って楽しんでます。

 NY行きにはアメリカモノと言うことで「二つの祖国」をチョイス。

 

 まだ読んでないのもたくさんあって、そのほとんどが全○巻の一大長編ときたひにゃあ嬉しくなるってもんでッセ。

 

 なんか良い流れになってきた気がする。やるゼ!やったるゼ!


 

 

<09.8.21>

 まずは漫画2発。2つともモーニング誌上で連載をもっている漫画家の作品で、片方は少女漫画出身、片方は「ガロ」とかのマイナー誌で有名な青林工藝社出身。モーニングの編集部は面白ければどこからでも漫画家を引っ張ってくる。韓国など外国の作家の連載も面白かった。

○東村アキコ「海月姫」第1巻講談社コミックキス 少女漫画誌の大人版というか青年誌の女子版のような「KISS」という漫画雑誌連載の、「腐女子」をテーマにした漫画。「男を必要としない人生」を送っていることが入居条件のアパート「尼水館」の住人と謎の美女?が繰り広げるドタバタギャグ。主人公が眼鏡を取ると美人というのは少女漫画の王道だなと感心。この人のギャグはツボにはまる。一押しキャラは都電荒川線好きのテツ子(鉄道マニアの女子)「ばんばさん」。テンパのアフロヘアーを揺らしながら松阪牛をむさぼり食らう姿が魅力的。焼き芋中にアフロヘアーに引火しても慌てず騒がず池に頭を突っ込んで消火。笑える。

○福満しげゆき「うちの妻ってどうでしょう?」第2巻双葉社アクションコミックス 「めぞん一刻」とかで有名な高橋留美子先生も帯で「福満氏の書く女性の肌は、きめが細かそうで魅力的!」とご推薦。九州男児な妻の生態観察的な部分と、「世の中コネばっかりだ」、「メジャー誌で書きたい」と卑屈な筆者のグチグチした部分からなるエッセイ漫画。どちらも面白く一般読者には妻の魅力が人気のようだが、当方はグチっぽく人間の小さい作者にシンパシーを感じる。どのくらい人間が小さいかというとあとがきで読者に「自前のホームページとかブログとかをお持ちなら、褒るじゃないですけど・・・それに近いような何かを・・・」とお願いするぐらいのいじましさ。出世作の「僕の小規模な失敗」の書評で「この人の失敗は金がとれるレベル。」と妙なところを褒められていましたが、華々しい才能や境遇には恵まれていない負け犬っぽさが時代の共感を呼ぶような気がします。実際には絵柄もオリジナリティーにあふれて魅力的だし、すでに成功しつつあり、それだけの面白さのある漫画家だとおもいます。福満先生このぐらいでどうでしょう?

 次は最近読んだエッセイで面白かったもの2発。

○開高健「白いページ」光文社文庫 エッセイ選集だそうで、読んだこともあるのも入っていたけど、寡婦島の詳しい釣行記とかはじめて読むものもあり嬉しかった。帯に没後20年とありもうそんなに経つのかという思いだ。しかし内容はジャーナリズム論にしろ環境論にしろ読んでもまったく古くない。脱帽。

○アーサー・ビナード「日々の非常口」新潮文庫 アメリカ出身の詩人のエッセイ集第3弾かな?朝日新聞連載だったそうで、1編は2ページくらいの掌編だが、言葉を、物事をとらえる感性がすごい。さすが言葉を商売道具とする詩人と唸らされる。マオリ族の言葉には入れ墨をあらわす言葉が何種類もあり、アメリカンスラングには驚くほど沢山の「酔っぱらい」を表す言葉があるといった言語に対する興味深い話から、バイソンやオコジョ、猫、アリに関する話題など目から鱗が落ちまくりの一冊である。母国のアメリカに対する批判も多分愛情の分だけ厳しい。ブッシュがイラクに侵攻し始める当初から声高に批判していたアメリカ人はこの人とマドンナぐらいしか記憶にない。ブッシュに対しては他にも、進化論を信じない宗派の人間で、科学的知識が全くないので遺伝子組み換え作物なんかを作らせると手厳しい。平成の小泉八雲と呼ぶのはまだちと気がはやいか?

 

 

<09.8.5>

○中島らも「彼女はフィクション」集英社文庫  中島らもモノで文庫化されておらず読んでいないものは後は絶筆となった「ロカ」ぐらいか。中島らも本人が後年、「オレのエッセイは最近面白くない、若い頃は街をふらついていてエッセイにするエピソードなど売るほどあったが、事務所にこもって原稿書いているだけでは経験が圧倒的に不足だ。」と嘆いていたが、確かに後年のエッセイにはネタがかぶったエピソードが結構見受けられたりした。それでもファンは「このエピソードは昔読んだことあるな」と思いつつも楽しんでいた。今回の短編小説集もらもファンにはおなじみの、エッセイで紹介されている自身のエピソードや経験をネタにしたモノも多かったが、それでも充分以上に面白かった。同じエピソードとはいえエッセイと短編小説では料理の仕方が違うというか、切り口が違っていてその違いもファンには楽しめた。もちろん初めて読む人には単純に新鮮で面白いと思う。単行本未収録の、おそらく若い頃に書いたと思われる尖った感じの文章と、そのほかのエンターテーメントとして円熟味をおびた(けどボケて破綻したりもしている)晩年の作の対比も面白い。どちらもそれぞれの味わいがある。1つ選ぶとすれば、「DEKOCHIN」か。奇形をネタに扱った短編だが、グロテスクでユニークな美しさに溢れ、独特の退廃的な気配に魅了される。作者が好きだった山田風太郎の忍者小説や、シュールレアリズムの影響も見て取れる。今回含め、たまに娘の中島早苗が父の本の解説をしているが、結構ユニークな文章を書く、今後出てこないものかと期待している。

○よしながふみ「フラワーオブライフ」全3巻白泉社文庫 この人の漫画は「ホモセクシュアル」を題材にとったモノが多い。やや抵抗感あったが、読むと抜群の上手さをみせてくれる。登場人物が生き生きとして魅力 的である。モーニング誌上で現在連載中の「夕ご飯何食べた」はホモカップルの何気ない日常や食卓を描写して秀逸。「西洋骨董洋菓子店」は韓国で実写映画化もされた、個性的なキャラクターがいい。今回読んだ「フラワーオブライフ」でも、最初ホモと思われる教師が出てきて、「またホモかいな」と思わせておいて、実はホモっぽく見える大柄の女性という、「ホモ漫画家」という自身のイメージを逆手にとって読者を手玉にとるフェイント。内容は、白血病で骨髄移植を受け、一年遅れで高校に編入した主人公を取り巻く青春群像というところか。文化祭やクリスマスパーティーなどのイベントを通じて、登場人物一人一人のエピソードが用意されていて楽しく読んでいけるのだが、楽しいだけではない若人の悩みや、苦しみも書かれていてなかなかに感動する。

○醍醐麻沙夫「原生林の猛魚たち」つり人ノベルズ 現地に住んでつり込んだ人の書いたアマゾン釣りレポートはそんじょそこらの 今の有名釣り師のアマゾンレポートとかとはちょっと違った深みがあって楽しめた。ピラルクもパボォンも出てこないが、地元日系人が編み出した、泳ぎ下りながらドラドを釣る方法とかの珍しい釣法も紹介されており、住んでいなければ見えてこない、地域の人たちと魚との関係や、自然をよく知ることの大切さなど本当に大事な部分が書かれていると思う。西欧からやってきた資本家は、現地の人間は金を積んでも働かないことすらある怠け者だと批判するが、「自然のバランスを崩さないようにするためにはほどほどで満足することが大事で、欲望のままに取り尽くすようなことをしていると、結局自然とは上手く暮らしていけないので、現地の人がほどほどにしか働かないのは淘汰されてなるべくしてそうなったものであり理にかなっている。」という考察は、自然環境とどうつきあっていくべきか判断の岐路に立たされている我々現代人にとって無視できないものの考え方ではないか。惜しむらくは、魚の名前が現地名だけで写真もなく、魚種が特定できないモノがいくつかあったことである。写真があればもっと盛り上がると思うが、小説家だから読んでくれということか。

○吉村喜彦「オキナワ海人日和」カラカラ 沖縄旅行中に沖縄の本をということで買った。沖縄の今の漁業がわかりやすく紹介されていて楽しく読めたが、いかんせんこの筆者、船に弱く、かつ運が悪い。結構粘った取材でボウズというのが多かったし、ちょっと時化ると船酔いだ。まあ、よく頑張っているし面白い内容に仕上がっているのでいいか。

 

<09.7.3>

最近、連続で釣り関係の本を読んだ。その他は中島らもモノ再読が多い。

 

○「世界怪魚釣行記」 ブログもちょこちょこ読んでいたが、あまり熱心には読んでなかった。本になったので良い機会なので読んでみた。やたらデカイバラムンディとかを釣っているのでかなり期待したが、期待したほど面白くはなかった。読んでいてイマイチ「乗れ」ない。

 なぜ面白くないのか自分なりに考えたところ、多分9割以上は「デカイのバカスカ釣りやがって」という嫉妬が鑑賞の邪魔をしているのだと思うが、その他にも、出てくる魚種が、巨大エイを除くと他は既に日本でも紹介されている魚ばかりであることと、淡水魚に限定されていて、筆者のモノの考え方の限界がその辺で狭められているような印象を感じたこと、等があって楽しめなかったのかもしれない。パプアンバス(ウラウチフエダイ)が良く引くというのをバスの引きと比べて「バスの引きは0」であるという説明の仕方など、バス釣り好きな人間にいわせれば、それがどうした?としらける表現である。引きが強いというのはもちろん魅力的な要素だが、引きが強ければ良いというものではない。皮肉を言うなら、海の釣りを知っている人間ならパプアンバスの引きが他のフエダイ類とたいして変わらない(ウラウチフエダイ釣ったこと無いけど多分そうでしょう)、海の魚の仲間としてはそんな特別な引きをする魚ではないということは理解いただけるだろう。「パプアンバスの引きをバラフエダイ(GTとか釣りに行くとよく釣れるフエダイの類)と比べると1である。」とでも返しておこうか。

 確かにバックパック背負って、現地にもぐり込んでデカイのを仕留めてくる技量には感心するが、正直これを読んで釣りに行きたいと思う魚種は一つも増えなかった。まあ、嫉妬で目が曇っている状態ではまともには評価できていないと思うので、釣り人なら普通は面白く読めると思います。

 最近の世界を相手に釣りレポートを書いてくれる釣り人としては、残間カメラマンが一番面白いかなと思う。腕も確かだし。でもほんとに世界中から面白い魚を探してくるのは実際のところ、釣りツアー専門の旅行会社の人かなとも思う。彼等はさすがプロと唸らせてくれる。

 「この魚を釣りに行きたい。」と思わせてくれた本としては「東京青魚生活」が最近では出色の1冊。思わずソウギョとレンギョは釣りに行ってしまった。その手の本で我が人生最高の一冊はいわずとしれた「オーパ!」。中学生の頃に読んで感じた、「いつか遠い国へ、見たこともないような魚を釣りに行きたい!」という思いは、刷り込みのように心に刻まれました。

 

○モンテ・バーク「ギャンブルフィッシング」つり人社

 22ポンド4オンス越えの世界記録のラージマウスバスに自分の人生をBETしてしまった人たちにインタビューしてまとめた力作。

 相手が世界記録のバスに限らず、釣りの世界ではというか、むしろどんな世界でもだと思うけど一つのことに執念を燃やし人生をそれにつぎこむ種類の人種が結構いて、その有り様というのは迫力がある。

 しばらくバス釣り雑誌も読んでいないので、詳しくは知らなかったが、アメリカのバス釣りシーンではダムができてからの時期や餌になるニジマスが放されていることが要因になって20ポンドを超えるデカバスラッシュがあり、カルフォルニアで世界記録が破られる気配がムンムンしていた時期があったようで、そのあたりの熱気も良く伝わってきた。

 世界記録保持者のジョージペリーについても、真偽が話題になりがちなその記録についての考証も含め、可能な限り識者にあたって調べている。

 登場人物は、深場のバスをザリガニで狙い世界記録に迫った頑固なオヤジ、業界でも顔のデカバス界のキング、世界記録戦線に参入した若き3人組、日本でもなんかでっかいプラグがいっぱい売られるようになった発信源でもあるデカバスルアー職人、世界記録のバスを育てようとする個人や、州の研究者(テキサス州では世界記録バスを我が州でというプロジェクトが推進されている、驚くぜ全く)などなど、普通の人から見ればまさにキチ○○の世界であるが、同じ釣り人として結構共感できた。

 特に、ザリガニ使いの頑固オヤジの生き様が、いかにも釣り師という感じで良かった。

 ただ、他の人間のネストの卵を守っているオスバスを釣る行為や、賞金のために記録を追い求めることは共感できなかった。でも、3人組は賞金目当てで参入してきたけれど、そのうちの一人は賞金を出す団体が解散しても「デカバスを釣ることは特別なことなんだ」と湖に出続けており、やはり、釣りで得られる「釣りあげた魚がもたらす快感」は、釣り人にその人生を賭け金として差し出させるに充分だと思う。賭けに勝てば魚をその手にすることができ、負けても所詮失う?のは元々自分のモノではなかったはずの「釣るはずだった魚」と、何が普通かよく分からないけれど「普通」の人生。

 後日談として、3人組の1人が世界記録を超える魚を釣った?ことを翻訳者が紹介している。しかし、釣ったとされる本人は、ハリが背中にかかっておりファールフッキングだったということで、見物人等が故意の引っかけであったことを否定しているにもかかわらず、IGFAの記録認定を辞退したそうだ。故意でなければかかりどころが口以外でも記録は認められる。記録を破るのに一点の曇りも疑義の余地も差し入れたくなかったのか、プライドが許さなかったのか、いずれにせよ釣り人というのはそうあるべきだろう。IGFAの基準がどうであろうとオノレの基準が釣り人それぞれにあるはずである。

 

○パパ大津留「八丈島より愛を込めて」エイ文庫

 こういう年季の入った釣りオヤジの経験に裏打ちされた「釣り」には感服させられることがままあるが、ヘミングウェイっぽくパパと呼ばれる筆者の釣果で記憶に残っているのは、ジギングで獲ったカジキ!この本でも謙遜しつつ、ジギングの練習していたら運良くかかったと控えめな紹介だけだが、当時の釣り雑誌に載ったレポートにはその時の死闘の様子が報告されていて、読んでド肝を抜かれたことを思い出した。

 かけて、寄せてくるところまで持ち込むこと自体そもそもすごいが、寄せてきて船の下で大きな円を描きながら上がってくるカジキが、船の直下まで寄ってきたときにどうしても短いジギングロッドではラインが船底に擦ってしまう。操船でかわせるほど船も小回り効かずどうする?という状況で筆者は、足を同船者に押さえてもらいカジキが船の下を回っている間、息を止めて上半身を海中に突っ込みラインが擦れるのを避けるというハチャメチャなファイトを繰り返してしのぎきりランディングに成功している。大魚がかかったときに、いつも準備万端なタックルや状況でのぞめるとは限らないが、そこを何とかしてしまうところに懐の深さを感じる。すげーぜ!パパ!

 IGFAルール的には他人にファイト中体を支えてもらったりするのはアウトだが、かまうもんか!オレルール的にはこういう創造的・独創的なファイトアイデアは全くOKである。釣り人の多くが同じ思いだと思う。

 彼は元ミュージシャンで引退して八丈島でペンションを経営しているとは知っていたが、この本読むと、ほとんど釣りやりたさにミュージシャンやめて八丈に移住したような経緯だったようだ。

 彼の持論は「ジギングはリズムだ」であり、いかにもミュージシャンらしい。誰かがどっかで言っていたような理屈ではなく彼自身からにじみ出た「釣り」なのが魅力的。文章も魚と音楽を絡めて楽しい読み物となっている。彼の愛するジャズについて当方はとんと知識がないが、それでも雰囲気は分かる気がして楽しめた。

 最近100キロに迫るクロマグロをジギングで仕留めたようで、釣具屋のポスターで勇姿を見かけるが、その時のレポートも読んでみたいものだ。

 

○渡辺裕一「小説家の開高さん」フライの雑誌社

 フライの雑誌で連載中に読んでいたし、買わなくても良いかなと思っていたが、ちょっと手に取ってみて、読んでないのもいくつかあったし、読んだはずのモノもほとんど内容覚えていないので買ったところ、これがヒット。

 単発でもそれなりに面白い読み物だったけど、まとめて読むとこの人の流浪の人生というか、激動の半生ともあいまって、メチャクチャ面白かった。

 釣り関係のコーナーになくても普通に一般向けの短編集としてもかなりいけるんじゃないかと思うのはオレだけか?

 基本的に出会った人々を題材にしていて、一人称で書くか、他人の視点で書くかは別として、その人の人生の大事なピースを切り取るようなエピソードが多く、クマ打ちの話とかマオリの女性の話とかの巧さに唸りつつ、釣り友達らが出てくるエピソードには共感を覚えおおいに楽しんだ。

 これからも文章書き続けて欲しい作家の誕生である。

 実は、NZ武者修行中に同居人は何度か筆者と釣行を共にしたそうで、東京でも釣り師御用達の新宿2丁目「ソッカイ」で一緒に飲んでたりしていた。うらやましい限りである。サインもらってきてくれ。

 ちなみに、一緒に釣りしていて、でかいブラウンをかけて慎重に長時間かけて仕留めた筆者のファイトに対しての同居人の感想は「何であんなにモタモタ時間かけるのか良くわかんない。とっとと寄せちゃえばいいのに。」だそうだ。魚に特別な思い入れを持つ我ら普通の釣り人と違い、狩猟民族の血を色濃く受け継いでいるらしい同居人は、獲物を仕留める際の躊躇や迷いとは縁がないようにみえる。

 まあ、オタオタドキドキするぐらいの思い入れがあるから、釣った後の満足感も大きいのだが。

 

<09.6.17>

 同居人がDSライトとかいう携帯ゲーム機を持っているのですが、これに文学全集のソフトが付いていて、太宰とかメジャーなところは既読のものも多いかったですが、いくつか普段読まないような文学を読んで楽しみました。なかなかに良いのがありました。

○岡本かの子「老妓抄」DS文学全集 たしか、岡本太郎の母上だなと思って読んでみた。岡本太郎のエッセイに登場してくる、全く家事をしない芸術に燃える母上。さすがに芸術に生きた人だけあって、なかなかの名文。引退した芸妓が発明家のパトロンになるという筋だが、特にドラマチックなことが起こるでもなく淡々とした話なのだが、登場人物が生き生きと描写されていて物語に引き込まれる。この母にしてこの子有りという感じか。

○中島敦「悟浄出世」「悟浄歎異」DS日本文学百選 夭逝した中島敦の西遊記を元にした短編。どちらも沙悟浄のひとり語りで展開する。出世のほうは若き作者の哲学的な悩みを悟浄に語らせているといった感じ、歎異のほうは教科書に一部載っていたような気がするが、全文はじめて読んだ。行動の人悟空の単純な武力という意味だけでない強さと、真逆にまったく戦うすべを持たない三蔵の全てを受け入れる強さの比較が秀逸。オレ好みの理屈っぽい文章。30そこらで亡くなったことが惜しまれる。

○椎名誠「砲艦銀鼠号」集英社文庫 シーナワールドとよばれる椎名誠の近未来?SFものの新作、椎名誠が考え出した架空の生物が徘徊する世界。まずまず面白かったが、過去のシーナワールドものでは「水域」という話がメチャクチャお気に入りである。湿地帯を行くときはいまでも思わず登場する架空の生物である「サキヌマドクタラシ」が潜んでないか頭によぎったりするぐらい印象的な世界観と、旅をしていく主人公の出会いと別れ、そして旅が続くという感じが凄く好きだ。

○宮田珠己「ときどき意味もなくずんずん歩く」「わたしの旅に何をする」幻冬社文庫 作者はファンにはタマキングと呼ばれているそうな。バックパッカーとして、アジアを旅するのをメインに、カヤックに挑戦したり、ジェットコースターに乗ったり評論したりする様子を綴ったエッセイ。1冊目面白かったのですぐ2冊目も読んだ。バックパッカー物では蔵前某という作家が有名だが、当方バックパッカーの安い宿に泊まって美味しい物食べて現地の人とふれあって、トラブルに巻き込まれて等々の話に全く金輪際1ペソたりとも興味がないので最初その手の話かと思って警戒しつつも、片方が解説高野秀行だったので手に取ったところ、ふざけているとしか思えないぐらいにバカバカしい旅やわけの分からない体験談がてんこ盛りで非常に面白かった。なるほど高野秀行と通じるものがある気がする。本人真面目なんだろうけど、どうもずれているところが面白い。

 

<09.5.31>

○大槻ケンヂ「綿いっぱいの愛を!」角川文庫 大槻ケンヂのサクサク読める楽しいエッセイ。しかし大槻ケンヂ例のネズミの国からのVIP扱いの招待状をもらいのこのこ出かけてやがる。裏切りものめ!しかも2回も。まあ、でも面白かったから許す。特に「つて」の話が笑えた。下ネタです。あと中島らもの死を悼む文章に同じらもファンとして共感を覚えた。

○池澤夏樹「スティル・ライフ」中公文庫、「花を運ぶ妹」文春文庫 前者は芥川賞受賞作、久しぶりに再読したが、この作家が若い頃からただモンではなかったことを認識させられる文章。彼独特の文体、雰囲気。当方にとって今生きている作家で、エンタメではなく文学として読ませてくれるのは、この人と町田康だけだ。もちろんエンタメが嫌いなわけではないし、文学が上とも思っていないが、文学が読みたい気分の時にいまいち感情移入するのに労力がいる古典だけしかないというのは寂しい。エンタメはプロットやネタで読ませて、文学は文体とテーマと雰囲気でよませると勝手に分類している。

 後者「花を運ぶ妹」はそういえば、読みかけて当時は文学読める精神的な余裕がなかったので放り出してあったものだが、改めて読んでみて引き込まれた。テーマは罪と罰と生と死と芸術と人とといったところか、読み応え充分。一旦ページを閉じて内容をじっくり反芻して味わってから次に進むような至福の読書。池澤夏樹の文章はどうにもオレ好み。

 

<09.4.25>

○恒川光太郎「夜市」角川ホラー文庫 ホラーと言うよりはファンタジーにカテゴライズされるようなお話。不思議な世界観を構築していてなかなか楽しめた。2編あるうちの「夜市」は人間でないものが、様々な品を売る不定期に出没する市「夜市」に紛れ込んだ兄弟の買い物とその後の話。ストーリーに捻りがきいている。

○泉流星「僕の妻はエイリアン」新潮文庫 ショボイSFのような題名が新潮文庫の中では浮いていたので手に取ってみたら、「エイリアン」は人とのコミュニケーション能力に障害を持つ「高機能自閉症(アスペルガー症候群)」の妻を異星人に例えているのであった。自閉症とは脳に何らかの発育の障害があり、人とのコミニュケーション能力に問題が生じる病気だが、「高機能自閉症」は一般的な自閉症と異なり高度な言語能力を持ち普通に会話ができる。にもかかわらず他人の表情が読めなかったり、場の空気がまったく読めなかったり、短期的な記憶能力が良くないので事務仕事がとことん苦手だったりという特徴があり、一見普通に見えるのにトンチンカンなことを言ったりしたりする。その原因は脳の機能的な障害に起因するらしい。

 内容は理解不能な妻の行動の紹介に始まり、その理由が「高機能自閉症」にあると知った夫が、妻の病気を理解し一緒に楽しく生きていくための考え方や工夫が書かれていて、なかなかにほほえましい。しょせん人間完全に理解し合うことなど無理なのだから、夫婦関係に限らずどんな相手とも筆者とその妻のように理解し合い補い合う努力をしていくことが、人間と人間のコミュニケーションのうえでは肝要であろうな。と穏やかな読後感に浸っていたら、最後の方にものすごい「どんでん返し」がまっていた。こう感じるのは当方だけかもしれないが、今まで本を読んできた経験のなかでは最大の大ドンデン。いやはや人間の努力って凄いね。素晴らしい。

 ちなみに、当方もかなり「アスペルガー」的な要素を持っていることに気づかされる。「人と同じでなくても平気」「ブランド無頓着」「短期的な記憶力が弱い(=事務のケアレスミスの多さ)」「暗算が苦手(2桁の足し算すら紙に書かないと無理)」「電話嫌い」「不確定要素に対する不安感(杞憂は人ごとではない)」「習慣や機械(当方の場合リール、普通「電車」が多いらしい)へのこだわり」等、自分では人とのコミュニケーション能力は大丈夫だと思っているが、人様から見てどうなんだろ。確かに昔から人の目を見て話すの苦手だったりするし対人関係得意とはいえないけど、病気じゃないよね?

○開高健「片隅の迷路」創元推理文庫 まだ読んだこと無い開高健の小説が存在した。しかも文庫化されてるの発見。読み始めると確かに推理小説っぽいのだが、実は冤罪をテーマにしたノンフィクションに近いもので、全然謎も解かれなければ犯人も特定されないという「推理文庫」にあるまじきていたらくだが、推理小説でないから当たり前。人間の弱さとか、組織犯罪の闇とかにぐいぐいと迫る開高節に引き込まれ楽しめた。掘り出し物でした。

 

<09.4.17>

○ジョン・ギーラック 東知憲訳「トラウト・バム」 面白いとあちこちで評判は聞いていたが、正直マニアなフライマンの書いた本かなということでちょっと敬遠していたが、読んだら抜群。ジョン・ギーラックほぼ当方の理想の釣り師。だいたい当方の言いたいようなことは既に書かれているのだなと思ってしまうぐらい。デカイ魚を釣るのだけが面白いわけではないとか、バスやギルも楽しいとか、よっぽど選択的な魚以外には「アダムズ」のような特定の種を模写していないけど「虫っぽい」パターンが効くとか。フローターや夜釣りの楽しみ。混んだつり場には行きたくない。などなど。楽しんで釣っている感がビシバシ伝わってくる。アメリカンジョークも釣り関係だと素直に笑える。東氏の訳もいい。おそらく「ジューシー」という単語の訳だと思うのだけど「おツユ」たっぷりとかいう言い回しは、開高健の影響下にあるなと思わされる。釣りの雰囲気を壊さず訳してくれている。東氏ケン一お気に入りの釣り師だが、当方恥ずかしながらあまり存じてなかったが、この本を選んでこの訳ができるなら相当デキルことは想像に難くない。ギーラック本他にはないのだろうか?

○澁澤龍彦「快楽主義の哲学」文春文庫 キザなオッサンだと思っていたが、なかなかハジケた面白い哲学書?を書いている。与えられたレジャーなんぞに満足するな、資本家に騙されてるだけだ、社会組織にくみしなくて良い、本能のおもむくままに生きろとハッパを掛ける。この本、お金がいるので大衆受け狙いで書いた面もあるらしく、性愛の快楽をやたらと強調していたりして、本人が全集に入れて欲しくないと言ったとか言わなかったとかいう代物だがなかなかに楽しめました。

○NHK「東海村臨界事故」取材班「朽ちていった命」新潮文庫 その日の朝、職場に着くとテレビが付いていて、皆が貼り付いていた。どうも茨城の核施設で事故があったようで、ニュースでは作業員が「青い光」を見たと伝えられており、どう考えても核反応が起こっておりエライ事が起きている気配がしていた。既に大爆発起こしていて関東には死の灰が降り注いでいるけど目に見えていないだけではないかというような憶測も乱れ飛んでいた。実際にエライことになりかかっていて、危険性も知らされずバケツ使って濃縮ウランを作っていた作業員が放射線を大量に浴び被爆、その後も制御棒すらない加工設備で核反応が続いているのを、「決死隊」が溶液を薄めるだかなんだかして止めて大爆発は免れたという状況。核燃料を検査もろくろく受けていないような民間会社が作っていて、いい加減な裏マニュアルで経費削減しながら核を扱っていたことに、この国のゆるゆるな危機管理能力下で核を事故無く扱うことは無理だなと明確に認識させられた。

 そのときに被爆した作業員治療現場からの悲痛なレポート。読んでいて恐ろしくなる。普通病気になると例えば心臓病なら心臓が止まることにより、血液が循環しなくなり他の器官もやられて死んでしまう。逆に心臓さえ治療してしまえば助けることができる。東海村のケースのように全身を放射線が貫いた場合には、直後はちょっとした火傷のような症状しかないにもかかわらず、体中の遺伝子が破壊されているという恐ろしい状態になっていて、要するに細胞が正常に分裂できずに本来常に新しい細胞が生まれて更新されていくはずの体の全ての器官が同時多発的に再生をやめまさに「朽ちて」死に至る。医師も家族も本人も精一杯の努力をしつつも、ほぼ助かる見込みのない患者に薬から移植から麻酔から、血液交換からとつらい治療を続けることの意味や正しさに疑問を抱えながら、おそらく「ナンとしても延命させろ」というクソ野郎どもの外圧もあって懸命の治療を続けるが、83日で息絶えることとなる。ご冥福を祈るとしか言いようがない。医療チームも家族も精神的にも辛かったと思うが立派だったと思う。

 事故が起きたときの悲惨さは単純に核利用の否定にはつながらないが、大いに考慮して欲しい点ではある。確率を0にはできない事故が起きたときの被害の大きさ悲惨さと引き替えにするのが妥当なほど核利用はメリットが大きいのかどうか。ホントによく考えて欲しい。私は明確に核利用反対。現実3割の電力が原子力と言ったって、夏のクソ暑い日ぐらいしかMAXの発電量なんて利用しないはずだし、減らしたところでそのときはそのときでどうにかするはずである。原発反対。

 

○小西慶三「イチローの流儀」新潮文庫 WBCでの活躍後、本屋に平積みされていたので思わず買って読んだがなかなか面白かった。イチロー番記者のイチローレポート。時に不遜と写るイチローのマスコミへの受け答えも、プロの仕事に関しては自分にも他人にも厳しいという姿勢の表れと理解できた。優等生なスポーツマンより生意気なぐらい強気な選手の方が個人的には好み。朝青龍とか。

 最近では本人も自分が天才だということを認めざるをえないようだが、2006年当時のイチローは自分を天才ではなく努力家だと考えていたようだ。天才だってば。ただ努力家であることも否定できない。プレッシャーなどで眠れない時を想定して、オープン戦にわざと徹夜でのぞみある程度やれる感触を得、メジャー入り後、実際の試合で時差ボケなどで眠れずに球場入りしたときも平常心で好成績を残したというエピソードからは、天才的に準備できる努力家という印象を受けた。これからもヌルい常識にツバを吐き付けるようなぶっ飛んだ活躍を期待したい。

 

○ 俺の読書 02Apr/2009

 

「南極越冬隊 タロジロの真実」  北村 泰一 小学館文庫

 題名どおり、映画のタロジロとはえらく違う感動のシーンには「さもありなん」と思わされた。

 だいたいテレビでやっているドキュメントっぽい映像も、ロケハン・台本・リハありだったりする。 インタビューなんてのは局が意図するものしか流さんし。 まぁ置き去りにしてきた犬の名前も分からずでは演技する渡瀬恒彦もお客さんも困るやろうけど。

  

「巷の美食家」 開高健 角川グルメ文庫

 「食の王様」に続く食いもんのエッセイ集。 おいらは食い物には無頓着で高級珍味や各国の名物料理にはあんま興味く、そこそこ食えりゃ何でもいいのだが、開高節を延々読んでいるといっぺんぐらいは食べてみたいな、と思えてくる。 しかし純粋に味に興味を持ってというのよりも、開高健が食してあの時こう評していたな、と思いつつ食うのであって、かなりミーハーな動機によるところが大きい。 ホーチミンでは、レックスホテルやマジェスティックのバーへいそいそと出かけ、開高健もこの席からこの雑踏を眺めていたのか!と考えながらマーティ二を啜る、というミーハーなおいらなのでした。

 ミーハーな動機云々と言いつつ矛盾しているかも知れぬが、飲み屋で焼酎頼む人がおいらには不思議。 おいらにとっての焼酎とは単なるアルコール、酔うためだけの液体、味わうものではない。 一杯飲みやとか居酒屋とかならまだしもスナック・バー・クラブと言われるところでも皆さん何でか焼酎。 レアな芋焼酎様なんかプレミアでウン万エン、アホか? 舌で味わって飲んでいるのではなく明らかに脳ミソで飲んでるな、と。 ちなみにレックスホテルのマーティニは美味いと記憶に残るようなモノではなかった、と自己弁護ではないけど付け加えておきます。 最近では香港の日航ホテルのバーのマーティニは美味かった記憶があるが、でも常にウマイ!のはキャンプで飲むビールであり、毎晩読書のお供に深酒になりがちな角瓶のロックなのでした。

  

「アジア新聞屋台村」 高野秀行 集英社文庫

 おいらもすかさず読みました。 大手出版社から文庫で出ると田舎でも手に入りやすくありがたい。 高野さん、完全なフリーランスと思っていたが、時にはこういうこともしてたのね。 読者の中で想像して膨らんでいく登場人物(の描写)、東京での話しでありながら国籍を感じさせないところが高野ワールド。 国際人・無国籍を自負していながら日本人的編集方針で自ら愕然とするあたりで今までの冒険モノとは違った一面を見せてくれました。

  

「極楽タイ暮らし」 高野秀行 ワニ文庫

 新聞屋台村に在籍していた頃に書いて、タイ人に酷評された、とあったのでアマゾンで購入。 確かに「酷評された」と本人が告白した後によむと「そうかもなぁ」と思わされる。

 故国をボロクソにけなしまくっている外国人に、「そうそうアンタの国は○○で××でダメだよね」などと絶対言ってはならないのと同じで、タイという国に対する愛情ゆえにタイ人には痛いところを抉られたのだと思う。 その分日本人読者にはリアリティがあって分かり易いのだが。

  

「史上最低の作戦」 宮嶋茂樹 文春文庫PLUS

 アマゾンでついでにポチッとしてしまったのだが、最後まで「読んだ事あるような」という記憶がつきまとい、ある一章では「これは絶対読んだことない」と喜びもつかの間、やっぱり同じ本2冊買ってました。 北朝鮮潜入(観光客としてやけど)、富士のレンジャー訓練などいろいろやってます。

  

「凍える海」 ヴァレリアン・アルバーノフ/海津正彦訳 ビレッジブックス

 最近のヒット。 「脱出記」と同じ出版、訳者、に安心して読めた。 

北極海で氷に閉じ込められた船を捨て、手製の橇とカヤックで大陸を目指す。 脱出記と違って、主人公以外のメンバーにどうにもならない奴とかもいるのもリアル。 寒さにめっぽう弱いオイラはエニセイ川やろうと北極海だろうと凍った土地(というかこの本では凍った海)の脱出行は「オレには無理だ、あぁ、そんな流氷から落ちて死ぬぞ!」などと思いながらの読書になってしまう。 寒さだけでなく渇きにも弱いんやけどさ。

 

<09.3.25>

○高野秀行「アジア新聞屋台村」集英社文庫 久しぶりのヒット。惜しむらくは一気に今日読んでしまったので明日読む本がないことか。この人の書く本は冒険記でもルポでも結構キッツイ内容のわりに本人の視点がホンワカしているというか、半分笑っているというかふざけているというかあまりストイックでないと感じているのだが、そのキャラクターの由来というか素性の分かるようなお話。自伝的物語の3作目だが高野氏意外と女性にもてるようである。が、まったくスットコドッコイでなかなか恋が成就しないところが好感持てる。モテる男は嫌いだ。 

 

<09.3.22>

 最近あんまり新しい読み物がみつからず(読んでないわけではないがいまいち)、椎名誠、奥田英朗、池澤夏樹、文庫版釣りキチ三平等の再読でお茶を濁す読書生活。

○服部文祥「サバイバル」ちくま新書 ケン一お薦めの一冊。面白かった。なるべく自分の力で「ズルをせず」に山を縦走するというサバイバル登山の話。筆者も書いているように自分の力でといっても、着るものや容器まで自作するのは現実的ではないので、自分が納得できる範囲でルールを決めていて、火はライター使ってOKだけど、山小屋に泊まっちゃダメ。とか言いつつも、山小屋に泊まって読者に見つかってバツの悪い思いをしたり、紅茶に砂糖とミルクは自分に許すことにしていたりと人間くさいところが、限界と自分のズルさとの間で揺れ動く人間のリアルさを感じられて面白かった。当方もなるべく「ズル」せず釣りしたいが、リール作るわけにはいかないし、ナイロンやPEのラインは今更手放せないし、カヤックで化石燃料に依存しないで釣りすると言ってみたところで、カヤック海まで運ぶのはガソリン焚いて走る車だし、カヤック樹脂製で石油製品だしということで気持ちは良く理解できる。野宿とイワナ釣り山菜取りを繰り返しながらのサバイバル登山のレポートも面白かった。充分以上に凄いことやってると思う。しかし主張はワカランでもないが国立公園内で山菜とって食う話をみんなが読むような本に書いちゃいかんと思うぞ。

 イワナ釣りについてもかなりのページを割いていたが、読んでいて思ったのはこの人よりオレの方がたぶんイワナ釣りうまいなということ。餌釣りとフライとテンカラの話が出てきて、どうも餌が一番簡単で、テンカラが一番難しいけど日本の川には一番あっているといいたいようだが、この手の空手とキックボクシングのどちらが強いか、みたいな話自体ナンセンスで前提条件が変わればころっと結果が変わるし、餌マンでもヘタクソは釣れないし、熟練のフライマンはこんなスペースのないところでフライはふれんやろというところでも平気で魚を釣る能力があったりするので結論は客観的には無いはずである。しかし主観的にはある程度以上の釣り人なら、自分の最も得意とする釣り方が、なんだかんだ条件は付けるにしても一番釣れると思っていてしかるべきで、自称テンカラ師が餌釣りが一番釣れるとか書いている時点であかんと思う。重りのせいで餌の動きは不自然だし、かといって餌は自然物だからそれほど目立つわけでも無し餌釣りって難しいと思うけどどうなんだろ。もちろん当方はイワナ釣りに一番向いてるのはルアーだと思ってる。これ私の中の真実。

 

<09.3.1>

 ケン一には「天ぷらにソースをかけますか?」は不評やったか。残念。あれは東京で画一的で味気ない飯を食わされている人間が抱く「この国の食文化はどうなってしまうんだ?」という漠然とした不安感に対し、食の文化は意外に頑固で日本国内でもオリジナリティーが残っているということにものすごく興味をそそられ安堵を覚える内容なのだが。椎名誠氏もオレもお世辞抜きに拍手してるよ。考えてみれば生まれ育った場所で旨いもの(高いモノとイコールではない)食っててそれが当たり前だと、特に感心のわく分野ではないかもしれん。東京では高い金を出せば世界中の美食が楽しめるが、ブログでも書いたけど普段食べる食事レベルで不味い店の多さは多分日本のどの街よりも多い。おそらく客が多くてリピーターを確保しなくて良いことと、人件費場所代が高すぎて材料や調理人の質まで削らないとやっていけないことが原因の一つなのではないかと思う。であれば多分リピーターの多い住宅地や学校周辺、郊外に行けば安くて美味しい店もあるのだろう。東京で不味い飯食っていると、なぜ、あんなにラーメンが人気なのか分かる。ラーメン屋なら業務用のスープでバイトが作ってもそんなに不味いモノはできない。ファーストフードも旨くはないかもしれないが、不味くて落胆するおそれはない。

○池澤夏樹「神々の食」文春文庫 再読だが、食べ物のことを考えたので再度読んでみた。沖縄は商圏が小さい(多くの場合マイナスポイント)こともあり、東京のような評判も再度来てくれるかも気にしなくて良い客相手ではなく、顔の見えるリピーター相手の商売が多い土地柄なので、言葉通り「手を抜けない」食品製造者が多いようだ。単に「手作り」という意味でなく、必要な品質を守るために機械化もきちんとした温度管理などもとり入れて、まっとうな食品を届けている姿勢には、食品の「安全・安心」を考える上で大きな示唆が含まれているように感じる。凡百のグルメ本がくだらないこだわりで「手作り」で高いモノしか提供できない生産者を褒めそやすのに対し、質は落とさずに機械化などでコストを抑え顧客に安く良い品を届けようとする姿勢をきちんと評価できる作家の「理屈力」に敬服しつつ、沖縄行きたいナーと思うのである。作家が沖縄に惚れ込んで住んでいた頃書いた話なので地元びいきの面もあるだろうが、沖縄の人の食生活が羨ましくなるような内容である。

○Dab「B級ルアー列伝 弐」釣り人社 人気サイトの書籍化第2弾、第1弾も面白かったのでまた買いました。相変わらずの面白さ。ルアー紹介本は昔から大好きで、井上博史「ブラックバス攻略法」から、何冊も読んできましたが、その中でもこのシリーズは最高に面白いです。「B級」ということで、いわゆる名作ルアーは出てこないのですが、80〜90年代中心のそういやそんなんあったねと思い出すような、あるいはこんなバカ臭いルアーあったんやと驚くような、ちょっと本流と外れたところにあるルアーに延々スポットを当て続けており作者のルアーへのあふれ出る愛情が感じられる本です。この人のマニアックな知識に裏打ちされた文章はルアーを楽しむ気持ちがあふれ出てリズムを作っている感じで、ある種独特の「文体」になってきたように感じます。

 ハイテクルアーや名作ルアーではない、ちょっとハズしちゃったルアーの開発者なりの思い入れや、様々な工夫、安易なコピーや逆にオリジナリティーを持たせ差別化するための努力など、まさにそういった一生懸命考えてどうすれば釣れる売れる良いルアーができるかもがくさまがこれらのルアー達には見て取れて、そういう「もがき」こそがルアーのいちばん汁気たっぷりで美味しい部分じゃないかとオレは思っているので大変楽しめました。ルアーのルアーらしさは単純な「リアル」とか「流行」の中にはないという趣旨には激しく賛同。

○「サマワのいちばん暑い夏」 エライしんどいところに取材に行っているのに、いつもエンタメに仕上げている不肖・宮嶋カメラマンだが、今回も前半はサクサク楽しく読ませてくれたが、さすがに最後のお世話になったカメラマン2名が取材中に襲撃を受けて亡くなった話ではしんみりしていた。戦場カメラマンってやっぱり命削るような仕事だなと思うのと同時に、戦場では理屈もへったくれもなく理不尽に人が死んでいくんだなと再認識。ご冥福を祈ります。

 

○俺の読書 22/Feb/2009

  花粉症けっこうひどく依然として釣り行かない日々。 天気の良い休みの日でも、冬眠期間と割り切ってWOWOWの映画観たり、気が向いたらフライ巻いたり、ネチネチ「俺の読書」書いたりで、ダラダラ過ごす日々。 以前は釣りに行かない日が続くと「ダメだ‥‥」と落ち込んでいたが、オフシーズンの今は無駄なガソリン焚いてまで出かけることもないやろ、という心境。

 

 □「サマワのいちばん暑い日」宮嶋茂樹 祥伝社文庫

 くだらないけど好き。 感覚的には漫画みたいなもんか? 不肖・宮嶋の写真+ルポのこの本は当然として、小説なんかでも、現場取材きっちりしているな、と行間からにじみ出てくるようなものは文句なしにおもしろかったりする。

 邦人救出遊泳禁止の池で子供が溺れていても、泳いで助けに行くのは法律違反だ、というような分かり易い例えで朝日にツッコミ入れまくっているのだが、もちょっと一般人も目にするメディアでやってほしいところ。

 本とは関係ないが、村上龍の対談番組カンブリア宮殿で共産党の志囲書記長とやりあっていたのがめちゃおもろかったんやけど、見た? 「書記長は海外視察のとき、飛行機はどのクラスに乗るのですか」ちょっと言いにくそうに「ファーストですが‥‥」「そうですよねぇ、そうですよねぇ」と勝ち誇ったようにたたみかける龍さんなのでした。

 

□「世界のシワに夢を見ろ!」高野秀行

 何度も本屋に足を運んで首都圏に遅れること1週間、やっとこさゲット。 どの章もおもろかったが「桜島に起立」「コンゴ初体験」「カロリーメイト」「エチオピアコーヒー道」「中国うんこ事情」あたりはまじで笑えた。 中国のトイレは色んなとこで語られているが、俺も何回か遭遇している。 重慶だか昆明だか忘れたが、高速道路のサービスエリアで溝跨ぎ式があった。 個々のスペースを区切るのは50cm程の板で、ちょっと首を伸ばせば目の前のオヤジのケツ丸見え、右にならえの状態できばっている5人ほどを、並んでいる人からは隠す仕切り板もなく横から丸見え、というもの。 出るものも出んかったような記憶がある。 個室風だがドアなし、入り口(並んでいる人)向いてしゃがむ、というのもあったがこれは諦めた。 俺が行くのはメジャーな観光地ばかりやのにちょっと油断するとこうである。 足の踏み場も無い便所とか、本読んで笑っているうちはいいけど、実際遭遇する可能性もあると思うと笑えんな。

 

□「あの頃ぼくらはアホでした」東野圭吾 集英社文庫

 なんとなく今まで食わず嫌いで読んだこと無かった東野圭吾、青春フェアだかなんだか知らぬが、村上龍の「69」と並んで平積みにされていたのにだまされた。ショートエッセイ集なる体裁で、おもろいことはおもろいが、「69」のような自伝的小説を期待していたのでちょっと物足りない。 まぁちゃんと確認せんと買うた俺がわるいんやけど。 「僕のことではない」と大学体育会時代のエピソードなど、まぁみんな同じような道を通ってきてんのやなぁ、と学生時代を懐かしく思い出させてくれるエピソード満載。 しかし小説家ゆうのは記憶力もさすが、50前にもなって小学校時代のことここまでよう覚えとるな。 

 

□「天ぷらにソースをかけますか?ニッポン食文化の境界線」野瀬泰申 新調文庫

 まぁはっきり申し上げるとくだらん、のひとこと。 椎名誠よ、「読みながら僕は拍手してやまなかった‥‥」ってあーた、本当のこと言うてみ。 推奨の言葉を依頼されて「ううむ、あともう一歩」などとは書けんのは分かるが、ほんまに拍手してたんか?え?

 表題のほか、冷やし中華にマヨネーズかけるか?お好み焼きを常食にしているか?など下らんテーマをネットでアンケート取って日本の白地図を色分けしていくのだが、ネットに投稿された回答を延々と載せていて読んでいるうちにそのしょうもなさに辛くなってきた。 最後の方で、旧東海道を実際に通しで歩いて食の境界線を探るルポだけは許せた。 以上。

 

 

<09.2.22>

 ケン一釣り行った方がいいぞ。冬のシーバススポットはルアーでもフライでもそんなに確率かわらんはずや、どのみちほぼ釣れンからな。人慣れした魚と、それを釣るための特殊化した技術にはオレも違和感感じる。渓流魚は本来人に対しては警戒心強く、餌は選ばないはずや。ビデオとかで思いっきりライズの真横に立って狙ってるのとかみると、四つんばいで岩魚の下手から接近してキャストしてたオレ(キャストの距離が足りんのが原因ではあった)はあんなんで釣れるのかとビックリする。「青春の蹉跌」は高校生ぐらいに読んだ。わりと覚えてる。オレも主人公に肩入れして読んだ記憶がある。いちばんむかついたのは主人公の母親に対してだったな。「いらんことしくさって!」と思ったね。フリージアの花の香りという表現も記憶に残ってる(何の香りがかということは秘すれば花というところ)。

○大槻ケンヂ「リンダリンダラバーソール」新潮文庫 再読。大槻ケンヂが青春時代に体験した「イカ天」とかのバンドブームを振り返って書いたエッセイなのか自伝なのか私小説なのか、まあカテゴライズはどうでも良いけど、当方も学生時代に良く耳にした歌にからめていろんな思い出が語られていてなかなか泣かせて笑わせてくれる。青春小説「ロッキンホースバレリーナ」の元ネタとなってるエピソードもチラホラ。自分の人生結構やりたいことやってきたと思うが、大槻ケンヂを読むと「音楽」はもうちょっとやっといても良かったかなと思わせられる。「音楽」のある青春というのもなかなか楽しそう。まあ、オレの青春には魚があったからそれで良いのだけどね。

○倉本聰「北の人名録」新潮文庫 あるサイトで紹介されていたので久しぶりに倉本聰読んだ。高校生頃にケン一に借りて読んだ「ライスカレー」とか「ニングル」以来か。北海道に移住して、「北の国から」のシナリオ書いたりしていた頃のエッセイで、北海道の人々のおおらかさにあふれるエピソードが満載で楽しめた。北海道にも住んでみたいものだ。寒いの苦手だけどワカサギ穴釣りとかできるのなら冬も耐えられると思う。本屋で買うときに「北の名人録」ありますかと店員さんに聞いて「人名録」だったのでちょっと恥ずかしかった。

○石田衣良「うつくしい子ども」文春文庫 弟が幼女を殺害するという事件をおこした兄の苦悩と成長の物語。おそらくモデルは「酒鬼薔薇」事件。石田衣良の「まっとうな正義感」は正義を振りかざしつつ、実際には単に視聴率や販売部数を得るために「世間」の下世話な興味を満足させるために、加害者の家族や加害者本人、被害者をも不必要なまでに傷つけていく様に怒りを覚えたのだと思う。まともなことをまともに言うとバカバカしくなりがちだが、この人はその辺のさじ加減が上手いというかオレ好み。犯罪者に対するバッシングは昔は「村八分」というように、共同体内で上手く相互監視をしながら犯罪を防ぎつつも完全には犯罪者も排除しないというシステムだったはずだと思う。しかし、今のマスコミニケーションの仕組みで増幅された犯罪者バッシングは完全に行き過ぎていて、犯罪者はともかくその家族までを社会的に完全に抹殺してしまううえに、憶測で書かれたおどろおどろしい犯行の実態など、被害者の家族にも悲しみや憎しみを必要以上に抱かせ、百害あって一利無しの状態であると感じる。全てのマスコミがそうであるとはいわないが「八分」ですませる加減をボチボチ考えて欲しい。鬼畜な犯罪者には情け無用という気はするが、その家族や被害者までも、見たいから、知りたいからといって欲望のままにそれを求め傷つけるなら餓鬼道に堕ちたも同然であると思う。

○渋澤龍彦「フローラ逍遥」平凡社ライブラリー 「逍遥」 という漢字が「しょうよう」で良いのか自信がなかったが、一発で変換できてホッとした。意味は今調べました。「そぞろ歩き」ぐらいの意味だそうです。さまざまな花を取り上げて、その花の周りをウロチョロしながらまつわる話を書いてみました。という感じです。渋澤龍彦はフランス文学かなんかやってて博識のちょっときざなオッサンです。ちょっとスノッブな感じがして敬遠していたのですが、読み始めたらなかなかこれが面白い。本職のフランス文学の翻訳モノとかは読んだことないのですが、この本みたいな博物学的な話の収集ものも面白いし。ふるいヨーロッパの伝説などを基に書いた作品もこの人独特の味わいがあって良いです。キザでカッコイイ昭和の作家。

○漫画の話ですが、以前にも紹介したモーニング誌上で連載中の東村アキコ「ひまわりっ」が最近とみに面白い。新キャラクター「ウイング関」先生が笑える。ギャグも切れ切れ!「マイケルジャクソン、ジャネットジャクソン、瀬戸内ジャクソン」にはホトホト感心した。

 

○「俺の読書 13/Feb/2009」byケン一

  東京湾以来、釣り行ってません。 寒いし、満足感得られるような釣りものが無いので冬眠状態。 なんか心にグッとくるもの釣りたいのに釣りもの無いのはそれはそれで辛いもので、必要最低限の釣具はもうほぼ揃った、と分かっているのにヤフオクで要らんモノ漁ったりしてます。

 で、ダイナキングのプロフェッショナルゆうバイス買うてしもたわ。 ジョーの角度が変えられないダイナの廉価版を10年以上使っているが、こいつがまったくへこたれない奴で、ジョーをすり減らすまでにまだあと20年ぐらいかかりそうなので思い切って買ってもうた。 

 10年ぐらい前までは、2月には雪中キャンプまでして長良川へ通ったものだが、鵜の被害が出始めて解禁直前ににボロ雑巾みたいなシラメ・アマゴを放流するようになり、エッサマンが前夜から焚火たいて夜釣りしてるわ、つれりゃボロ雑巾みたいな魚やわ、解禁2日も経つと元々養魚場育ちな為かすぐに人馴れして至近距離でライズし始めるけど0.1号!の鮎用極細ハリスに#28でも完全無視、という違和感バリバリの釣りになってしまって冬場の楽しみが無くなった。 

 

「サバイバル!」 服部文祥 ちくま新書    2/1

 〜人はズルなしで生きられるのか〜 という副題のまんま、原始的な装備で富山県側日本海からアルプス縦断して上高地まで歩く、というルポ。 シベリアからインドまで、の脱出記には遠く及ばないものの、著者本人が線引きした「人に頼らない」装備、ルート、方法、は常人には真似のできないもので、さらにそういう技術的なものより、著者の哲学的な部分がそこかしこに滲み出た文章多く、柄にもなく文中気になる箇所には傍線引っぱったりしてしまいました。

 「今日では、自分自身の文明の進歩に追いつけずに失敗しているのは人間のほうである」「世界と一個人の境界線はたった一つ。今も昔も皮膚である」「知っているということが、重い本を持ち歩く労力をゼロにしてくれるのである」などなど、印象的な言葉があったりして考えさせられた。

 読んで損はない一冊。

□「脱出記」を再読。 ナマジに勧められて読んだ漂流実験の本では確か「人間は5日間は水なしで生き延びられる」と記憶しているが、脱出記のゴビ砂漠縦断の時は812日間(記憶の錯誤もあるかも知れんが)まったくの飲まず食わずで想像し難い炎天下を歩き、奇跡的にオアシスを見つけ泥水と砂漠に棲むヘビを食らって再び10日間とか水なしで歩いている描写にはビビった。 もしカヤックとかで漂流したらおいらはたぶん3日持たずに死んでしまうんとちゃうかな? 「知っているということは重要」ということでせめて5日間ぐらいは水なしで生き延びたいな。

 現代人は距離感の基準が車や電車になってしまっていると「サバイバル」の中にあったが、シベリヤ〜ゴビ〜インドって一般人には文字からは到底想像し難く、世界地図みながら読むと距離感とかヤバイぐらい増してくる、と再発見。

 

「青春の蹉跌」 石川達三 新潮文庫   29

 司法試験合格し、資産家令嬢との縁談も纏まりつつあるエリート路線目前の貧乏学生が、ちょっと手を出した女を妊娠させてしまい、追い詰められてその妊娠女を殺してしまう、というストーリー。

 エゴイスティックで、今どきのフェミニスト女史なら怒り狂いそうな主人公の女の扱い方に、オイラはけっこう主人公ガンバレ!と応援してしまった。

 帯に「犯人の男」と「被害者の女」、あなたはどっちに同情しますか? ってオイラは圧倒的に男の方に同情してしまったがな。 特にセリフに見られる昭和中期の古めかしさや、無常観漂うなかなかオツなラストもオイラ好みやった。

 

「アフリカにょろり旅」青山潤 講談社文庫  213

 「ナマジ勘違いしとるな、俺の読んだウナギ本にアフリカはなかったぞ、しかしタイトルからしておもろそうやんか‥‥」期待して本屋覗くと平積みで派手な表紙のこの本発見、即読破。 めちゃめちゃおもろかった。 一般論的に東大卒の博士やら学者なんていうと、紙一重とか、庶民とは違う人種というか、とっつきにくい印象持ってしまいがちやけど、この筆者は普通の人の感性を持っていて、しかもルポライターとしても抜群、天は二物も三物も与える、という見本。 大学の仕事でおいらが知っている東大卒の教授何人かは(その大学、今では地方の一私立大学やけど、GHQによる廃学以前は西の黒門、東の赤門と称され、復活時の総長はあの吉田茂、という由緒ある大学、ということは地元民も殆ど知らなかったりする)、「東大卒の教授」という肩書きに構えてしまうオイラにもいろいろおもろい話し聞かせてくれたり、一緒に酒飲んで「最近読んだおもしろ本」を語ったりと、たまたまかも知れぬがいい人ばかりという印象がつよい。

 初めての街はとにかく自分の足で歩き回ってブラブラし、釣りする時間があれば異国の初物釣りたいと思うおいらも、南アとジンバブエ行った時は「こりゃそこらの桟橋で夜釣りなんてとんでもない話やな、カバやワニやヘビや寄生虫も怖いけど人間が一番怖いな」と思った記憶がある。 ケープタウンではホテルからウォーターフロントのショッピングセンターにシャトルバスが出ていて、その港で大陸最南端の潮をマイタックルに味あわせてやろうという考えは「あのシャトルバス、よく襲われますので絶対乗らないで下さい」という現地ガイドの説明に一瞬にして萎えてしまった。 ワールドカップは死人なしで無事済むのやろか?

 ヒッチハイク? 徒歩? 本文中はおもしろく書かれているが俺には理解できん。

 

<09.2.9>

 最近読んだので面白かったもの2冊。

○高野秀行「世界のシワに夢を見ろ!」小学館文庫 自称「辺境作家」の筆者が漫画誌に連載していた短いエッセイをまとめた本の文庫版。辺境でのとっておきのネタが短い文章になっててんこ盛り。この人はほんとにハチャメチャな経験をしていて笑える。特に初デートに洞窟を選択してふられた話とコンゴで初体験を偶客婚?で済ませた話が面白かった。この人はおそらく辺境でのトラブル自体を目的の一つとして楽しんでいるのではないかと思われる。当方も辺境にあこがれはあるが、トラブルは大嫌いだ。釣りで予想外の展開があるのはウェルカムだが釣り以外のことでは神経を使いたくない。別にリゾートホテルでなくても安宿でもテントでも良いので安全で飯と睡眠が確保できないと嫌だ。さいわい日本には釣り専門でツアーや手配を手がける旅行会社があるので、釣りだけに集中できる旅程を組んでもらえるので助かる。当方は「世界のシワ」より「世界の水たまり」に興味があるということか。

○阿井渉介「うなぎ丸の航海」講談社文庫 ケン一お薦めのウナギ本は実は昔のやりとり読み返すとこちらでした。こっちも「にょろり旅」に負けず劣らず面白かった。筆者は推理小説家で失礼ながらあまり作品知らなかったが、テレビドラマのシナリオライターとしても活躍されていたようで「特捜最前線」とかのシナリオ書いた人のようだ。特捜最前線のエンディングテーマはなぜか今でもたまに口ずさんだりする。なかなか名曲だと思うがそう思っているのは当方だけか。マグロ船にあこがれていた筆者がとにかく船に乗りたいと乗り込んだ取材先がウナギの産卵場を探しに行く調査船「白鳳丸」で、すっかりウナギの謎のロマンと個性派揃いの研究者たちのキャラクターに見せられのめり込み、産卵場を「だいたい」特定するまでと、ニョロリ旅の太平洋の島々編に参加した様子をレポートした快作。当時還暦あたりだった筆者の体当たりの取材というか、のめり込み方が見ていて好感が持てる。取材のために持ち込んだカメラがあっさり壊れても、意に介さず面白い文章に仕上げているのはさすが小説家、写真資料など無くても筆さえあれば飯が食えるプロの仕事とこれまた好感が持てた。「にょろり旅」とあわせて読むことをお薦めしたい。

 

<09.1.27>

○大槻ケンヂ「ゴシック&ロリータ幻想劇場」角川文庫 大槻ケンヂが「ゴスロリ」系のファッション雑誌に連載していた短編をあつめたもの。サブカルチャー系少女を対象に書いているが、オタクなオッサンにも楽しめた。例のネズミの国のことらしいドズニーランドのキャラクターが「お高くとまりやがって」とユルキャラたちの反感を買い、拉致られる話が笑えた。ネズミの国の綺麗で良くできていて完成度が高いけど、最大公約数的で資本主義の権化的な一面とそれを何時間ならばされようとも何の疑問も抱かずに受け入れている人々にある種嫌悪感を抱きおちょくりたくなる気持ちはよく分かる。

○青山潤「アフリカにょろり旅」講談社文庫 ケン一おすすめの本が文庫化されたのでソレッと買って読んだ。久しぶりの超ヒット。内容はうなぎの研究者がうなぎの標本採集のためアフリカで奮闘する話だが、もう読んでもらうしかない面白さ。昨日今日と電車の中で顔笑いまくりの不気味なオッサンだったと思う。ナマジもおすすめ。「辺境作家」高野秀行もおすすめ。

 東京大学海洋研究所の「うなぎチーム」のリーダーで本にも著者の指導者として出てくる塚本教授については、うなぎの産卵についての講演を聴く機会があり、遠くマリアナあたりまで産卵に行き、はるばる稚魚が海流を乗り継ぎながら日本まで来るロマンと、教授の情熱に感動した思い出がある。教授がその当時立てて紹介しておられた「新月仮説」「海山仮説」に基づき、後日日本のうなぎの産卵場所を「だいたい」特定したときの様子も紹介されていて感慨深い。昨年、水産総合研究センターと水産庁のチームがさらに詳しく産卵場所を「ほぼ」特定したというニュースがあったのも記憶に新しい。「だいたい」とか「ほぼ」とかいうのは、もろに産卵している現場を押さえたわけでなく孵化直後の仔魚や産卵後の親魚が産卵の状況証拠となっているからである。

 解説の高野秀行が東大海洋研に別の件で専門家の話を聞きに行ったときに、その専門家が戦後海洋生物関係の三大発見として1位シーラカンス発見、2位2種目のシーラカンス発見、3位ウナギの産卵場の発見といったそうであるが、これには一言もの申したい。だいたい三大何とかというのは、世界三大美女の3位が日本では小野小町なのをみても明らかなように3つ目はご当地自慢ネタを持ってくるのが通例なので、3位ウナギ産卵場発見を東大海洋研の専門家が主張するのはまあ良いとするが、1位、2位シーラカンスのワンツーは無いと思うぞ。ということでナマジが勝手に選ぶ近代海洋生物関係世界3大発見発表!ドンドンドンパフパフパフ!!

 第3位 「永遠の命」ベニクラゲ クラゲの仲間は光ったり突如大量に押し寄せたりと話題豊富な生き物だが、そんな話題の中でノーベル賞受賞の蛍光タンパク発見も押しのけて特筆モノの発見が、成体が幼体に若返るというベニクラゲの生態の報告。要するに年取ったらまた若者に戻って人生やり直すようなモノで、古代から権力者を始め多くの人々が求めてきた永遠の命?を体現してしまっているという驚きの発見。多細胞の動物では初だかの事例発見とかで、ごく原始的なモノをのぞき生物は個体は短いサイクルで死を迎えながらも、変化に富んだ子を残すことにより、環境変化に上手く対応する仕組みを選んだ。という一般原則に反する何じゃこりゃ的生物。動物の死はあらかじめ定められたモノでアポトーシスやらテロメアやらいうややこしいモノが関係しているようだが、このクラゲでは一体どうなっているのか?必ずしも不死が良いことではないのは生物の進化の歴史が教えているが、不死の生物が生き残っていると言うことは「不死でもOK」という答えがあるのかもしれない。興味深いところである。

 第2位 やっぱり「世紀の大発見」シーラカンス発見 まあ、目レベルで数億年前に絶滅したと思われていた魚が発見されたのだから、恐竜の絶滅したはずのグループ(直接の子孫が鳥というのが最近の定説)でそのままの形を残して生き残っていた種が発見されたぐらいのインパクト。その異様な巨体の迫力と陸上への進出を想起させる脚のような鰭の醸し出す雰囲気はまさに大物。失われたはずのミッシングリング(ん?この表現は馬から落ちて落馬してるか?)が現存したことにより、進化の歴史をひもとく大きな足がかりとなり学術的にも非常に意味のある発見。2種目も大発見だけど1種目があれば、2種目もあり得る話か。まあ双方合わせて2位としたい。

 第1位 「異世界が海底にあった」熱水噴出口の生態系発見 堂々第1位。個別の生物も「硫化鉄の鎧をまとう巻き貝ウロコフネタマガイ」、「体内に硫黄酸化細菌を共生させるハオリムシ」と単独でもベストテン入りしそうな強者揃い。しかしなんといっても、それらを含む生物群集が基本的に硫化水素などを利用するバクテリアが作り出す有機物を基に立ち上がっている生態系であることが衝撃的。太陽のエネルギーから植物が作る有機物を基にしている普通に見られる生態系の住人とは別世界の住人と言って過言ではないと思います。まったく交流がないわけではなく、深海の魚がそれらの生物を食べたり、クジラの骨が嫌気的条件下で分解されていくときに発生する硫化水素を利用する例もあったりするようですが、基本的にはお天道様が無くても地球の出すモノだけで生きていけるという、我々とは違う輪廻の中にいる生き物たちの住む深い海の底の異世界を発見した喜び。生命の多様性の神秘ここに極まれりの感があります。普通の植物ベースの生態系と比較することなどで、いろんな生命の謎が解けると期待しています。例えば、植物は葉緑体の元になる生物との共生関係を経ていまの姿になったと見られていますが、ハオリムシが有機物を作り出す細菌を共生させているのと比較することからいろんなことが分かるんじゃないでしょうか。まだ発見の始まりに過ぎないという予感がする大発見です。

 というように、海の底には未知の秘密がたくさん隠されています。つい最近も3つの科に分類されていた3種の魚が、どうも種関係までははっきりしないけど同じ科の魚の雄と雌と幼魚だということがDNAの解析で明らかになったとのニュースに触れかなりウケました。海の中のことって全然分かってないことだらけじゃないか。とむしろ嬉しく思います。われわれ、釣り人も「パターンが分かった」、「極めた」だのと安易に考えていると釈迦の手の上のエテコウ並のいきがりにすぎない場合もあるので、「海っちゅうのはわからんことだらけや。」ということを肝に銘じゆめゆめ精進怠らないよう気を付けていきましょう。

 

<09.1.25>

○開高健「モンゴル大紀行」朝日文庫 テレビシリーズの「モンゴル大紀行」を高橋昇の写真と開高健の台詞をおこすという形で1冊にして、それだけだとスカスカなので司馬遼太郎との対談が付いている。逆か?シバリョーとの対談を本にしたかったけど分量無かったので高橋昇の写真で増量したのか?見開き真っ青な空の写真とかみて、そうそう草原の国の空の青さってこんな感じだよね。とか楽しめましたが、スカスカ感は否めない。開高健のタイメン釣りに使ってたフェンウイックのロッド詳細が分からなかったけど、スレッドの色からしてHMG臭いことを確認。

○岩井志麻子「ぼっけえ きょうてい」角川ホラー文庫 岡山弁でとても怖いという意味らしく、看板倒れくせえなと疑いつつ読んだが、なかなかにおどろおどろしくて良かった。とにかく盛りだくさんのえぐいエピソードが詰め込まれていてお腹一杯。表題作だと要素を思いつくだけで、飢饉、子殺し、水子、親殺し、近親相姦、奇形、身売り、仕置き、といった内容が陰惨な古い田舎の風景と共に描かれていてアワワワという感じ。

○椎名誠「日本海風魚旅5」講談社文庫 サクサク読めて面白かった。内容は既に忘れた。

 

「俺の読書 20/Jan/2009」byケン一

 

年末年始から先週まで、東京湾遠征に向けてフライ巻いたり道具の手入れやらで殆どろくに本読めてません。

 

□ 愚か者の杖 〜五大陸釣魚紀行〜 夢枕獏・佐藤秀明

 ターポンの顔のどアップが表紙です。 オーパオーパを彷彿とさせるでかくて豪華な装丁です。

釣行先・対象魚は、おおっ、と唸るようなものは無いけど、釣り紀行ものを書かせたら獏さん最高です。 「神々の頂き」「鮎師」の夢枕獏です。 どうしてもオーパと較べてしまうのは仕方ないとして、唸るようなものは無い、というのは、おいら達が年食ってそれなりに海外釣行なんかも結構行くようになったことが大きいと思います。 高校生時分なら当然海外遠征なんかしたことないし、今より一般的でなかったのでもっとドキドキして読めたはず。

 読んでて泣けるぐらい笑えたのだが、獏さん、まったくおいらと同じ人種というか人格です。

 釣り師として、人間できてません。

 人間できてないおいらは、釣友に負けることを想定して釣りすることは殆ど無く、大差で釣り負けると内心悔しくてしょうがないし(先日のシーバスみたいに良くて一本、という中ではあのサイズの差は許容範囲内。しかし1対0だけは心中穏やかでは済まんわな。)実際帰りの車中なんか口数少なげになってしまうことも多いのだが、獏さん文中でそれに近いこと告白してます。 釣れた時より、釣れなかった日の文章が釣師のツボにグッときました。

 P.S. 複数人で釣りに行ったときのベストな結果は、オイラがサイズ一番、数は2番手ぐらい。 海フライやってて怖いのは、大枚払って遠征行って丸ボーズの人が出る可能性があること。 自分だけ釣れて釣友ボーズというのはこれもまた結構辛いものがある。 しかし竿やったかラインやったかのカタログに載ってたアメ人のコピーに「釣りにこれただけで幸せだって(まぁ俺は釣れたけどな)」とボーズの釣友を慰めるシーンがあって、まぁ誰でもそういうことなんやろな、おいらだけが人間できてない嫌みな奴なのではないな、と分かって安心したりしました。

 

□ 剱岳「点の記」 新田次郎

 剱岳ピークへの苦難のシーンよりも、今じゃ考えられん装備や、山に入っている期間の長さ、歩き回る距離、公務員ながら昔の職人気質、プロ意識などが印象的やった。 裏表紙の分かりにくいイラストマップではなく、釣り用の岐阜・長野県地図を見ながらその行動範囲を確かめつつ読んだのだが、我ながらナイスでした。

 

□ 連合赤軍あさま山荘事件 佐々淳行 文春文庫

 ふとしたきっかけで「あれ、バセドー氏病やったんは重信房子やったっけ?永田洋子やったっけ?」と思うことがあり、まぁあまり関係ないけど本屋で手に取ったのがこれ。 クレーンに鉄球ぶら下げて山荘にぶつけの放水しまくりの日本やのに銃撃戦あったりですごい視聴率やった事件としか知らなかったが、警察側指揮官からの視点だけでも充分臨場感あって、長期間の人海戦術の裏側にある段取りやら意思統一やら指揮系統やらが興味深かった。 事件の背景にある左やら中核やらの立場のヒトの考えた事もいっぺん読んだらなあかんな。

 だいぶ前に読んだ横山秀夫の「クライマーズハイ」、あさま山荘事件とはまったく性質も視点も違って、御巣鷹山日航機墜落事故の時の新聞記者の話しなのだが、大事件の裏側で翻弄された人達、という点が似ていなくはないな、とちょっと読み返してみたくなった。

 

□ 山嵐 今野敏 集英社文庫

 警察官僚の小説も書いている今野敏やけど、あさま山荘とは何の関係もなく、格闘家今野敏のちゃんとした柔道小説。 山嵐の技の名前ぐらいは誰でも知っているが、西郷四郎(姿三四郎のモデルらしい)という人が作った技とのこと。 四郎の生き様を描いた本やけど、単なる柔道バカで終わりたくない、という葛藤に違う道へ進んで行く様が人間らしくていい。

 

□ 青べか物語 山本周五郎 新潮文庫

 山本周五郎初めて読んだ。 山本周五郎とか藤沢周平って歴史小説というより時代劇、長編よりも短編、オヤジというよかジイ様の読む本、という先入観があって読んだことなかった。

 真っ青に塗られたノリ舟を手に入れた港町に暮らすちょっとインテリな男の日々の出来事がつらつらと描かれた短編もの。 しみじみとした味みたいなのは感じるものの、短編ものって小説としてはいまいち盛り上がりに欠けて最終的に???な読後感しかなかったりする。 いつの時代なのかイマイチ特定できんままやったし、この本の読後感もオイラには微妙な感じ。

 藤沢周平も先輩からの借りパクで読みかけの本何冊かあるが、???な感じは否めんな。 ただし映画の「たそがれ清兵衛」「武士の一分」は日本人的ココロ盛り沢山で分かりやすくって良かったです。

 

<09.1.13>

 読みたい本がなかなか無く再読でお茶を濁す読書が続いていたが、2冊ほど面白いの発見。

○大石圭「人間処刑台」角川ホラー文庫 なにげに手に取ったらホラーが得意な作家の格闘技モノで格闘技結構好きな当方のつぼにはまった。非合法地下格闘技の話でリングに上ったらレフリーストップもない素手での殺し合い。描写がグロで、失神した相手の背骨をへし折るシーンとかもあってこういう話を面白いと書いてしまうと人格を疑われるかもしれないけど、命を賭けての戦いに自ら望んで向かっていく登場人物たちの「戦いたい」という原始的な欲求に共感するし、自分の中にある残酷な暴力衝動の充足を感じたりする。本読んで満足しているうちは心の底の凶暴性も飼い慣らしておける気がする。登場人物のキャラクターもなかなか魅力的、美しく凶暴な女性格闘家、常人離れしたスピードと動体視力を持ち組みつかれる前に必殺の打撃で対戦相手を仕留める元ボクサーの主人公、戦うことでしか存在意義を見つけられない地下格闘技界の帝王など、それぞれの物語もからんでクライマックスの戦いへ。グロいのOKな人にはお勧めの娯楽物。

○野瀬泰申「天ぷらにソースをかけますか?」新潮文庫 肉と言ったら牛かブタか、赤飯以外の豆ごはんを食べるかというような「食の方言」の県別マップをインターネットの投票機能を駆使して調べ上げたなかなかナイスな視点から切り込んだ食文化論。食の世界では自分の常識が必ずしもジャパニーズスタンダードではなく「食の方言」であることに驚かされる。っていうか日本人がみんな同じ文化の中にいるなんて幻想に過ぎないことを思い知らされる。こんなに情報化が進んだ世の中で、何と保守的で独自の文化が守られていることか。頼もしく楽しい事実。実際に著者が東海道を歩いて小売店や食堂をチェックして歩いた紀行も秀逸。冒険モノじゃないけど”椎名誠氏絶賛”。

 

<09.1.5>

○國吉昌秀「ベールアームは世界を回る」つり人社

 めっちゃくちゃ感動した。単なるマニアのコレクション自慢かと思って読み始めたが、恐れ入りましたすいません。

 スピニングリールを巡る壮大な歴史絵巻といえばいい過ぎか。ものすごい量のコレクションと共に、メーカーのカタログや当時を知るコレクター、技術者への取材等を丹念に摺り合わせ紡ぎ出した労作。コレクターがその執念と情熱をかけて書き上げた「リール好き」のための創世記。

 スピニングリールが生まれたのは、糸つむぎ機から発想をえているとどこかで読んだことがありましたが、まさにその紡績会社のえらいさんが、ライトタックルのために考え出し、スピニングリールの基本機能を開発したイリングワース1,2,3あたりの釣りのためのひたむきな姿勢。その基本性能が今でもスピニングリールに受け継がれていることの感激。

 初のフルベールアームを搭載したハーディーのアルテックスの格好良さと、ハーディーがなぜハーディーなのかが分かるエピソードの数々にも心動かされた。

 ミッチェルがなぜこれほどスピニングユーザーに支持されるのか良く理解していなかったが、読んで納得。ほとんど頑固なまでに味わいの変わらないモデルを作り続けていた。逆転防止の元祖もミッチェルらしい。ミッチェルがなぜミッチェルなのかというところか。

 当方大ファンのPENNのスピンフィッシャーも60’ころの製品から既にハンドルノブがドラグノブが全体の空気がまごうことなきスピンフィッシャー。大感激。

 読んでいて、スピニングリールは何のために生まれ、どんなことが求められ、どういう可能性があるのか等々頭にいろいろ思い描きました。そのうちスピニングリール論を書きたいと思いました。

 

 

(2009.1) 

HOME