○「本のページ」第6部 −ナマジの読書日記2012−

 

  2012年もダラダラと更新していきます。

<12.11.23>

○大槻ケンヂ「暴いておやりよドルバッキー」角川文庫、町田康・いしいしんじ「人生を歩け」角川文庫、椎名誠「アザラシのひげじまん」文春文庫

 今週は秋田出張があったのだが、秋田までは電車で遠いので、6冊と割と沢山本を持って行って帰ってくるまでに半分の3冊読んだ。今読んでいるハイペリオン第2部の下巻と次読もうと思っていた探偵ミロシリーズの「ダーク上・下」は仕事が気になって今一集中して物語の世界に入っていけなかった。そうなることは、ある程度予想できていたので再読になるがお疲れ気味の心でも楽しく読めるオーケン先生の面白エッセイを1冊鞄にほりこみ、それだけでは足りないだろうと東京駅でサクサク読めそうな2冊を買い足した。

 お気に入りの作家4名の文章はどれも旅の友として最良のモノであった。それぞれアウトドア系ベストセラー作家の椎名誠、バンドマンでサブカル系のカリスマ大槻ケンヂ、パンクで文豪な町田康、アホなオッサンのくせに書く物語はリリカルないしいしんじと個性あふれるメンツだが、みんな違ってみんな良い的に良いんである。まあ、後ろ3人は「サブカル系」「中島らもつながり」的なくくりはできるのかも知れないが、書いている作品の味わいは全く違っていて、その辺が面白い。でもサブカル系とはまったく対局にいるような椎名誠の今回読んだエッセイに、世の中に不要なモノとして「痴漢はアカン」とかの標語が出ているのを読むと、昔中島らもが清原が出ていた防犯ポスターの「覚醒剤打たずにホームラン打とう」というのを酷評していたのを思い出し、「違えば違うほどいよいよ同じ」と妙な納得を感じたりする。

 オーケン先生のエッセイに、自分のライブでは嫌なことがあったことや悲しいことはしゃべらないようにしている、ライブに来てくれた人には目一杯楽しんで欲しいから、というようなことが書いてあって、目頭熱くなった。実はオーケン先生先月ぐらいにお兄さんが亡くなっている。しかも場所は当方が通うカヤックポイントの近くで、お兄さんウインドサーフィン中に流されて溺死したそうである。ネットの隅で見つけたその事故に関するニュースではオーケン先生、ライブ中止せずそのことには全く触れずに予定どおりライブで歌ったと書いてあった。ブログで当方は「親が死んでも釣りに行くぐらいの不謹慎なまでの覚悟を持ちたい」と書いたが、それはたぶん弱い自分にはできないだろうとも思っている。オーケン先生に対しては「兄貴が死んだときぐらい泣いとけよ!」と思わないでもないが、それでもオーケン先生が自分の存在意義を問う場所であるはずのライブ会場で歌い続けて、自分がライブに来た人を目一杯楽しませようとするバンドマンである、大槻ケンヂである、ことを証明した、そのガッツに賞賛を送りたい。シビレたぜ。

 

<12.11.17>

○田辺聖子「田辺聖子の今昔物語」角川文庫 夏ぐらいからハイペリオンシリーズと聖子先生版の古典シリーズを交互に読みつつ、間に好きな作家の作品が文庫化されたのをはさむというパターンが続いていて、ラノベ系の作家がめちゃくちゃなスピードで新巻出しまくるので(鎌池先生と西尾先生の出す本を全部読むのはあきらめた、読むより速いスピードで書いているとしか思えないキチガイどもめ!)それほどペースは上がらず、ハイペリオンはまだ4部作のうち第2部の下巻を読んでいるところだが、聖子先生のほうは買い置きがそろそろラストに近くなってきた。聖子先生バージョン「今昔物語」面白かった。今昔物語のエピソードといえば芥川の「芋がゆ」なんかでもなじみ深いと思う。ようは「今は昔」で始まる昔話のもっとも有名な説話集で、「12世紀ころ成ったといわれる」というところからも分かるように、既に900年頃前には昔話として広まっていた、千年近く昔の物語たちである。まあ、聖子先生の現代語訳と選抜のセンスも良いんだろうけど、これを読むと、千年経とうと人間はまったく基本一緒で時代背景や科学技術がどれほど変化を遂げようともますますもって同じ人間としか思えないということが、当たり前だがちょっと感動的な事実だ。千年前の人が「あはれ」と思ったことを現代を生きる当方も「あわれ(しみじみと感慨深い)」と感じる。おそらく千年先まで人類が生き延びたら、やっぱり現在の「物語」も残るものは生き残って遠い子孫が当方と同じような感動を受けるだろう。物語を表現する媒体はバーチャルリアリティな「フルダイブ体感型」の登場人物になりきって物語世界に飛び込むようなモノになっているのかも知れない。それでも「ダンサーインザダーク」のセルマの悲しみと友情と不条理は未来人でも分かるヤツには分かるだろうし、山野井泰史の「垂直の記憶」の冒険心には恒星間の冒険を実現した未来人でも熱く共感するに違いない。マンガ版「ナウシカ」の変わること求め続けることこそ生命の本質だという哲学は、記憶や思考をコンピューターにバックアップさせたり、寿命を大幅に伸ばすような技術を手に入れた未来人にこそ切実に突き刺さる魂の「問題」になっているかもしれない。もしもこれらの物語に千年後の未来人が感動も何も感じなくなっているとしたら、それは人間が人間でなくなったとしか当方には考えられない。人類滅亡よりも糞な未来である。未来のわれらオタク野郎の末裔には、「やっぱりフルダイブより想像力が喚起される余地の大きい20世紀型映画媒体が物語をたのしむためのベストチョイスである。」「イヤイヤ、二千年以上前から存在し生き残った文字媒体の物語こそ至高!」「21世紀初頭形式のアニメの「萌え」を知らないとは最近のオタクは嘆かわしい」とかグダグダ楽しんでいて欲しいのである。

 

<12.10.4>

○石田衣良「池袋ウエストゲートパーク10PRIDE」文春文庫 出張のお供に、シリーズファーストシーズン完結と銘打たれたこの本をチョイス。10冊全部面白かった。このシリーズのというか石田衣良という作家の素直な正義感が良いと前に書いたが、今回も全く同じ感想。「目の前にある仕事にガッツを出してとりくめ。心が折れそうになったら、とりあえずちょっと休め。だが、決してあきらめるな。」なんていう暑苦しい台詞を若い主人公にいわせて、結構ストレートに心に入ってくるというのは、結構小難しいことを言いがちな時代に、逆に新鮮に感じる。こういう作家が支持を受け人気があるというのは良いことなんだろうと思う。みんな、ホントは難しい屁理屈じゃなくてシンプルな考え方がより良い答えだと、心で肯定しているのではないだろうか。男の生き方とかカッコのつけ方の見本なんてのは、その時代時代で、ハードボイルドだったり、ピカレスクだったり、英雄譚だったり、小説でなくて映画だったりマンガだったりいろいろなんだろうけど、今の若い人がこのシリーズをテキストにカッコつけて生きてくれたら結構良いと思う。

 

<12.9.26>

○滝本竜人「僕のエア」文春文庫 最近ハイペリオンシリーズと聖子先生版源氏物語シリーズにかかりきりだが、途中でこれは読まねばと読んだ。

 ニート作家大滝竜彦の久しぶりの小説文庫化。引きこもりニートながら「ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ」「NHKへようこそ」とヒットを飛ばし、嫁も手に入れ人生「勝ち組」へ転職したかに見えたが、離婚、精神を病み(小説が書けない病)また引きこもるという、「良い調子だったのに何でだ?」と面白い小説書く人なので残念でならないと思っていた人だが、最近調子よくなってきたのか、雑誌に掲載されるも「完璧な作品以外世に出してはいけない」と病んだ人独特のこだわりで単行本化することを拒否していたいくつかの作品のうち本作品が2010年に単行本化し、今回めでたく文庫版も出た。主人公は女性と付き合ったこともない、就職に失敗したダメな男で、彼に唯一優しくしてくれた故郷の近所のお姉さんの姿をした、幻覚か守護霊かなんだかよく分からないけど、主人公を助けようとしてドツボにはめる、謎の少女「エア」が巻き起こす騒動の話だが、主にダメ男の心のありようが、ものすごく身に覚えがあったり、共感できたり。オレはちゃんと就職して女性と一緒に住んでいて、ダメ男では無いはずなのになぜここまで共感できるのか、自分で思っているだけで、実は全くダメ男なのかもしれない。今のご時世、堅い就職先でもいつつぶれるか分からんし、年金ももらえるか分からんし、皆がダメ男になり得る時代性にこの作家が適合していると評価するのはひいきの引き倒しというものだろうか。「幸せ」なんていうのは所詮ひとの脳の中で起こっている物質的な変化がおこすものだという、ちょっと皮肉なものの見方は「中島らも」→「大槻ケンヂ」と受け継がれてきた哲学(逆説的にだからこそ幸せになれるはずと主張)の影響を感じる。そもそもダメ男の物語というのは日本文学の本流にあるテーマではなかっただろうか。「人間失格」がその最高峰か。大滝先生には健康に気をつけながらこれからも面白い作品を書いて欲しいモノである。

 

<12.8.8>

○ダン・シモンズ「ハイペリオン(上・下)」ハヤカワ文庫 SF大好き椎名誠が、エッセイだかなんだかで絶賛していた。文庫だと上下2分冊だけど単行本だと辞書のような分厚い1冊で、かつシリーズ4部作になっていて、「まだ読んでいない人はこれだけのボリュームの楽しみが残っていることを幸せに感じた方が良い」、というようなほめちぎりっプリだったので興味を持った。「ハイペリオン」というとアニメ好きなら「涼宮ハルヒの憂鬱」のワンシーンを思い出すのではなかろうか。最初、学園コメディー系のユルーイ萌えアニメかと思って見ていたのだが、クーデレキャラの長門有希が主人公キョン君に、読み終わった「ハイペリオン」に呼び出しメッセージを書いた栞をはさんで貸してから、物語は怒濤のハードSF的展開になだれ込んでいく。ちなみにキョン君に読んでいるハイペリオンの感想を聞かれた長門っちはひとことクールに「ユニーク」と答えている。ユニークというと日本語的には「おかしみのある」というような意味もあるが、この作品を評するのにはそちらの意味は適当でなく、パソコンのデータ処理用語とかでも使う「唯一無二の」という意味合いがふさわしいと思う。惑星ハイペリオンの謎の遺跡、時空をねじ曲げ不思議な現象を巻き起こす「時間の墓標」をめぐっての大戦争が勃発寸前の状況下、それぞれ「時間の墓標」とそこに潜む謎の超生物「シュライク」に深く関わる物語を抱えた七人の「巡礼者」がそれぞれの思惑を抱えて「時間の墓標」を目指していく。巡礼者それぞれが語る物語は、それぞれ短編のミステリーだったり、スペースオペラだったり、親子の愛の物語だったり、恋愛モノだったり、探偵モノだったり、哲学的だったり、芸術論的だったり、活劇的だったり、そしてもちろん傑作SF的だったりするのだが、それぞれ面白い。そのうえ、それぞれの物語を紐解くうちに次第に「時間の墓標」が何なのかという謎も解き明かされていく構成になっていて確かに「ユニーク」。椎名誠絶賛モノにハズレ無しかも知れないと最近思う。面白かった。ボリュームたっぷりでしばらく通勤電車の憂鬱を忘れてのめりこめた。まだシリーズ4部作の3部が残っているかと思うと椎名氏の指摘どおり「幸せ」を感じずにいられない。

 

<12.7.15>

○稲見一良「猟犬探偵」光文社文庫 稲見一良の小説で手に入りそうなのはこれでおしまいだ、あまり多くは残っていないのが残念だ。「猟犬探偵」はシリーズで、失踪したり盗まれた猟犬を探し出して持ち主に戻すという変わった探偵の活躍を描いたモノだが、とにかく、狩猟に関する知識や犬に関する知識が、ハンターである筆者の経験に裏打ちされているらしくリアリティーがあって良い。ストーリーというか探偵モノとしては、古き良きハードボイルドな探偵モノというかんじで、貧乏だが金にがめつくなく誇り高く、腕は立ち、ケンカも強く度胸もあり、ストイックで弱いモノに優しい。それはありきたりといえばありきたりなのだが、銃やら犬やらの描写の細部がキッチリと描かれている感じがして、荒唐無稽な絵空事の物語だとしても一時その世界に心地よく酔うことができた。おもろかった。

○田辺聖子「異本源氏物語 恋のからたち垣の巻」集英社文庫 「お互いさま本フェア」ということで、お互いがお互いの作品の解説をしているという関係の2冊をピックアップした企画。なかなかに興味深い。

 田辺聖子先生が源氏物語の登場人物やらを使って、自由闊達に書いたこの物語には「中島らも」が解説を書いている。らも先生、若さでいろんな恋に手を出していく主人である源氏の君に仕える中年男「ひげの伴男」の「人情の諸訳も、人生のからくりも知ってなおかつ、そこばくの体力もまだ残こっとると、残んの色香も失せとらん、と、こういうのが、まことによろし。今がいちばん、自分にはいい時なんである」の台詞に全く同意見と膝を叩く。当方も膝を叩く。

 らも先生、どこかのエッセイで聖子先生の美文に嫉妬してだったかなんだかで、聖子先生を吉田御殿(ラブホテル)に連れ込んで、おのが体で籠絡し聖子先生を文章も書けないようなメロメロ状態にして、世間から「美獣作家」と呼ばれたいとか、書いていたように記憶している。

 同じ関西出身の大先輩へのリスペクトのこもった、「中島らも」らしいちょっとひねった敬愛の情の表現だと思った。正直、聖子先生は見目麗しくなく、「大阪のオバちゃんを3人想像せよ」といわれて想像した3人組のなかの一人に合致する確率90%ぐらいの大阪のオバちゃんである(失礼!)。でも、らも先生がわざと下ネタに絡めて持っていったのは、「オレは、表現者としては言わずもがな、聖子先生のチャーミングなところを女性としても高く評価するぜ」という意志表示だと思う。「先生となら寝られる」という意味のことを書いているというのは高く評価しているといって良いだろう。聖子先生も「らもちゃんたら、かわいらしこというボンやわ〜」と、上機嫌になられたのではなかろうかと想像する。聖子先生の古典を題材にした本を2冊読んだことになるが、いずれも関西人には非常にフレンドリーな京言葉だったり関西弁だったりで語られており、取っつきやすいのだが、かといって内容が簡単かというとそうでもなく、結構「伴男」の中年人生哲学的な部分にうなずかされたり、我が意を得たりと得心したりとなかなかに読み応えもある。それが軽く楽しく仕上がっていて、エンタメとして非常に良くできていて、当方も聖子先生に敬愛の情を抱かずにはいられないのである。この手のシリーズから聖子先生のほかの作品も読みたくなった。

○小山宙哉「宇宙兄弟」モーニング33号 ヒビトの宇宙での任務に関する任命許可が下りない。パニック障害を克服できたかの試験を課し、試験をパスしたことを認めているバトラー室長が食い下がるも、上層部の人間は「樽一杯にスプーン一杯の毒」を例に出し、「もう飲んでも大丈夫ですよといわれたところで」、「飲めるワインはほかにもあるんだ、わざわざ毒入りを選ぶ理由がどこにある」と、他の宇宙飛行士を任務につかせるべきと主張する。バトラー室長も悔しくてならない様子だが反論できない。ムッタもこえをかけることができない。バトラー室長にそのことを告げられてヒビトは失踪する。

 「なんだよ、「宇宙兄弟」はそういう話じゃねえだろ、どんな困難も乗り越えていけるという、希望に満ちたストーリーじゃなかったのかよ。」と思うのだが、正直ヒビトが復活できる合理的な理由がないような気がして、非常にモヤモヤとした気持ちが続いていて、今朝テレビでアニメ宇宙兄弟を見ていてもそのことが頭によぎっていた。もし自分が同じ立場で、選ぶ側であったら、ヒビトではなく別の宇宙飛行士を選ぶのだろうか。それが合理的な気がしていたが、もし一緒に乗るクルーなら、共に遭難から帰還したダミアンならどう考えるかと想像してみて、「ヒビトだ!」と確信的に理解した。確かにパニック障害を発生させたという実績はマイナス評価の対象だろう、またパニック障害を起こすかも知れないと考えるのも妥当な心配だと思う、でもヒビトの実績はマイナスの実績だけか?全くそうではない。彼は月面での遭難時に、絶望的な状況の下で怪我をしたダミアンを背負って、生きて帰ってきたというとてつもないプラス評価すべき実績がある。他の宇宙飛行士にそんなまねができるか、おいそれとはできまい。ヒビトでなければならない理由があるのではないかと思う。

 バトラー室長はダミアンに聞いてみればいい。「次もヒビトとバディーを組みたいか」もちろんヒビトのすごさを一番知っている彼の答えは「イエス」だろう。「もしヒビトが宇宙でパニック障害を発症させたらどうする」、ダミアンならこう答えるだろう、

「そのときは今度は私がヒビトを背負って帰ってくる。あたりまえだ。」

と。 

 

<12.6.6>

 最近は、本のページ書き込めていなかったが、桐野夏生と稲見一良を交互に読んでいる感じ、なかなか面白かったが、すでに書くには印象が薄くなっているので書かない。が、ナウシカ読んだら面白かったので書いておく。

○宮崎駿「風の谷のナウシカ」1〜7巻 風の谷のナウシカをアニメで見るのが子供で、マンガで読むのが大人だそうだ。中学生ぐらいの頃にアニメは金曜ロードショウあたりで見て、かなりショックを受けるぐらい面白かったし、テーマも自然環境と人間との共存的な哲学的なモノで、たぶんものすごく影響を受けて今の自分がある。マンガの方は、大学生の頃に読んだはずだが、アニメの尺が限られた中で枝葉を刈り込んで整えてあるストーリーはまとまっていて良くできていると思うが、マンガはもっと、登場人物も多く、エピソードも複雑でずいぶん面白かったという記憶があった。

 最近、「火の鳥」やら「地獄先生ぬーべー」やら昔読んで面白かったマンガを読んで、忘れている部分が多かったり、感じ方が歳を経て変わっていたりして非常に楽しめたので、昔読んで面白かったというマンガの筆頭である、ナウシカを再読してみたところである。寝床の枕元に全7巻おいて、じっくりと時に読み返しつつ読み切った。やっぱり面白い。今更当方が書くまでもないのだと思うが傑作だ。以下ネタバレ注意。

 以前読んだときには、ナウシカの真実へと至る道のりを描いている物語として、すごく共感を持って素直に読めた記憶があるのだが、今読むと、ナウシカ本人が「自分の罪深さにおののく」と言っているように、あまりにも愚かなナウシカにちょっと反感を憶えるぐらいだ、彼女は「火の7日間」と呼ばれる最終戦争直前に、当時の高度に発達した人類が残しておいた、地球の汚染物質が腐海に浄化された後に、人類が穏やかに争わない種族として生まれ変われるというシナリオを実現させる技術を、巨神兵を使って焼き払う。争い、愚かな行いを繰り返しながらも、変化し続け、自らの手で何かを求め続けることこそが命の本質であるというナウシカの考え方は、なぜ争いを避けうる選択肢があるのにそれを選ばないのか?と極めて愚かで腹立たしいぐらいだが、それ以外の正解は無いというのも、今時の生命哲学に照らして少し冷静に考えればよく分かる。「変わらない」、「求めない」生命など、地球の生命の長い歴史でも存在し得なかった。読んでいてちょっとムカついたが、圧倒的にナウシカは正しい。これを素直に読んで納得していた若い頃の当方は、今よりものが分かっていたのか?それともそこまで読めずに、勢いでナウシカに飲まれていたのか。意外と忘れているので、当時の記憶は当てにならないのかもしれない。ナウシカはラストシーンで「森の人」とマッドマンのラストシーンのように森に去っていくという絵だったと記憶していたが、そんなカットは無かった。ラストシーン後の記述に若干そういうエピソードがあるだけであった。当時そのエピソードを読んで頭の中に浮かんだマッドマンのラストシーンと混ざったイメージを記憶していたと考えるのが妥当か。

 今回読み直してみると、ナウシカの物語も当然読み応えがあって面白かったのだが、もう一人の姫様である、大国トルメキアの皇女クシャナ妃の格好良さにはしびれた。アニメでも格好いい敵役として、物語を盛り上げるが、マンガではもっと丁寧に書かれていて、剣士ユパ様に「血はむしろそなたを清めた。」「王道こそがそなたにふさわしい。」と言わしめ、命を捨てて守らせるほどの、好漢(漢じゃねーな)である。親子兄弟で血みどろの謀略戦を繰り返しながらも、その血塗られた運命を受け入れつつも、俗に落ちない気高さと上に立つモノとしての誇りが感じられる。兄たちの罠にはまった時、彼女が鍛え上げた部隊の戦士達は、クシャナのために惜しげもなくその命を差し出す。脱出する飛行艇上から、彼女が三つ編みにしていた髪を剣でばっさりと切り「せめてもの手向けだ」と投げるシーンは胸熱。

 まあ、アニメ見て面白いと感じた人でマンガ版を読んでいない人はもったいないので是非読んで欲しい。次は「マッドマン」「デビルマン」あたりが読みたい。

 

<12.5.11>

○桐野夏生「残虐記」新潮文庫 パラパラとめくって、未成年者略取誘拐監禁の被害者が長じて小説家となり、口を閉ざしてきた事件の真実を告白するという内容に、これは面白そうだ、犯人と主人公の「ストックホルム症候群」的なつながりと憎しみとがグチャグチャと描かれるのだろうと予想しながら読んだ。大筋は予想通りだが、その他にも犯人と同じ職場のもう一人の男との関係や、主人公と担当検事の関係やらがやっぱり予想以上にグチャグチャとしていて面白かった。性的に虐待されたりするのかとも予想していたが、そこは割とおとなしめ、でも、決して読んでいて気持ちのいい話ではない。それでも読まずにいられない不気味なトーンの話。

 

○ラインホルト・メスナー「ナンガ・パルパート単独行」ヤマケイ文庫 登山界の「超人」メスナーについては、いろんなところでいろんな人が書いているので、無酸素、単独アタック、圧倒的登攀スピードで天候が崩れる前に勝負を決めて帰ってくる、登山の歴史は彼以前と以後に分けられる、エベレスト無酸素初登頂、8000m峰の縦走、等々の断片的な知識はあり、「超人」と証されるにふさわしい、とてつもない常人には理解できないような精神構造をもった屈強な登山家というイメージを持っていた。

 が、読んでみて「超人」というにはあまりにも人間くさいメスナーの心のありように、とても親近感を憶えた。彼が達成した偉業が「超人」にふさわしい突き抜けたものであることは間違いないのだろうが、それを成し遂げたのは割と普通の人間であったように思える。もちろん当方が読み切れない想像も付かないような境地に彼がいて、単にそれが当方まで伝わっていないという部分もあったのだろうが、それにしても、別れた妻のことを思い出してグチグチ思い悩んだり寂しがったり、「マロリー卿がそういう問いには既に答えているだろう」とうんざりするような、下界の人々の質問に、やっぱりうんざりしている様とか、出発の朝にやっぱり気力を振り絞って、登る決意を固めていく葛藤の課程とか、自分に課したルールへの強いこだわりや、その反対側にある登山家への攻撃的な意見やら、とても人間くさい。面白かった。

 

○稲見一良「ダック・コール」ハヤカワ文庫JA 本屋で表紙を見てジャケ買い。「鳥屋」のナチュラリストの書く話なら、それなりに楽しめるだろうと思ったが、予想以上に楽しめた。作者は「鳥屋」というよりはハンターのようである、短編集でそれぞれ面白かったが、本当に鳥や生き物が好きな、しかもそれを仕留める楽しさを知っている人間が書いたとあっては、当方のような魚を愛しつつも、それを仕留めることに無上の喜びを感じる釣り人の心に響かないわけがないだろう。密猟の悦楽を初老の男と野生児との友情を軸に描いたエピソードの暖かさ。脱獄した囚人たちを警官たちが追い詰めるマンハントのエピソードの街の警官の要請を受けて同行するアメリカの日系部隊出身の青年の視点で語られる物語のハードボイルドな格好良さ。荒くれ者だが性根は優しい漁師が遭難して出会った不思議な話。他もどれも味わい深くとても良かった。作者の別の作品も読みたいと思ったが、残念なことにこの作家、ガンで余命幾ばくもなくなってから生きた証として小説を書くと宣言して本格的に作家活動に入っており、9冊書いて亡くなっている。作者の命の最後の灯火のような作品たちを大事に読みたいと思う。

 

<12.3.31>

○桐野夏生「ファイヤーボールブルース」文春文庫 桐野夏生の格闘技モノということで読んでみた。女子プロレスを舞台に、神取忍がモデルという元アマレス女王「火渡」とその付き人「近田」が、外人女子プロレスラー失踪の謎にせまるという探偵モノ的なストーリーだが、謎解き以上に、なかなかに女子プロレスの描写が良かった。近田視点でストーリーは進んでいくのだが、負けてばかりの近田の戦いに向ける心理描写やら、火渡への憧憬などの書きぶりが上手い。まだ作者が、ハードボイルド女性探偵モノで人気が出始めた頃の作品らしく、後書きで、自分の「語り部」としての視点は強者でヒーローの火渡りではなく、強くも器用でも美しくもない近田で、それを自分の作家性として書いていくという決意表明があるのだが、まさにその視点はちょっと前に読んだ「女神記」の語り部、恋人に裏切られ神にもなれず運命に翻弄される、巫女姉妹の妹に引き継がれていっているようにおもう。この作家のそういう長い不遇の下積みがあったからこその、弱者の視点というのは、書く作品書く作品ヒットするような状態の今でも、決定打を与えうる武器となっているように思う。まだまだ他にも面白い作品書いていそうで要チェックだ。

 

○須藤元気「キャッチャー・イン・ザ・オクタゴン」幻冬舎文庫 もいっちょ格闘技モノ。題名はサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」の原題「ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ」からか。「檻のなかでつかまえて」と訳すと、彼のファイトスタイルが総合ではタックルで倒してつかまえて詰め将棋のような関節技にからめとるスタイルだったことと、格闘技の檻の中で成功や名声や人気や哲学をつかまえたことも暗喩しているようで味わい深い。「オクタゴン」は先日日本上陸も果たしたアメリカの総合格闘技老舗団体UFCで格闘家がその中で戦う8角形の檻の通称。総合格闘家須藤元気の、アマレスを始めて後に総合格闘技のプロのリングに上がり、初の「オクタゴン」での戦いを終えるまでの、自伝的青春小説。「自伝的青春小説に外れ無し。」は本読みなら多くの人がうなずいてくれるのではないだろうか。その青春が暗く悩みに満ちたモノであれば「人間失格」や「耳の物語」になり、明るくバカのように楽しければ「69」や「リンダリンダラバーソウル」になる。須藤元気本何冊か読んで来たが、須藤節は若い世代に読ませてあげたいような感じで当方としてはやや出会うのが遅かったように感じていたが、今作は面白かった。ユーモアあふれる仲間とのやりとり、クールな恋人とのイカした会話、そして格闘家の生のリアルな「檻」に入って出てくるまでの心の高揚や緊張、不安を感じられる良作であった。

 

<12.3.11>

 前回以降、実は何を読んだかあまり覚えていない。通勤時間は間違いなく本を読んでいるので、家読みも含めると、週1〜2冊ぐらいのペースで何か読んでいるはずと思っていたが読み終えた本を置く場所を見ると2冊ぐらいしかなく、もっと読んだような気でいたのだが。忙しかったのもあるし、ここしばらく家では「絶対可憐チルドレン」という漫画にみょうにハマって、最新刊の28巻まで既に読み直し5週目ぐらいに入っているので家では小説エッセイはあまり読んでおらず、記憶にないのは実際に読んでないということなのかもしれない。「絶対可憐チルドレン」は少年サンデーで連載中で、アニメ化もされており「ワンピース」とか「ナルト」みたいなメガヒットではないけど、まあ売れてる少年漫画である。これが長年漫画を読み続けてきた当方には実に楽しめる作品で、そのあたりの当方のような中年漫画読みがどういう視点で漫画を読んでいるかの解説をそのうちやってみようと思っているところである。そういえば家で本を読まなかったのは映画を結構見ていたからというのもあった。今思い出したけどやっとあんまり漫画以外の本を読んでいない理由に合点がいった。ニューシネマパラダイス、ダンサーインザダーク、猿の惑星(古い方)、ブレイブハート、トランスポーター、ヤッターマンと見てきた、ヤッターマンは当方にはいまいちで実は途中までしか見ていない、他は全部それぞれ見て良かったと思うけど、1つ選ぶなら迷わずダンサーインザダーク。たぶん好き嫌い別れると思うけど、公開時にみたいと思って見逃していて何年も心に引っかかっていたのをやっとみて、忘れずに心に引っかけておいて良かったとつくづく思うほどに感動した。

○町田康「おっさんは世界の奴隷か−テーストオブ苦虫6−」中公文庫 シリーズ第6弾もますます独特の町田節エッセイが炸裂炸裂。真面目なんだか不真面目なんだか、ギャグなんだか、油断していると哲学なんだかともう訳の分からない面白さ。今回、釣り場からの帰り道の電車で読んでいてあまりに面白かったので、最近読んだ本を忘れがちだと先ほどまで錯覚していたので、忘れないうちに書いておきたいと思ったぐらいに面白かった。

 全体的に面白かったけど、中でもすごかったのが、笑わせる仕掛けの使い方で、流石は関西人と感心させられた。以下詳しくは書かないけれどちょっとネタバレ注意。

 ギャグの使い方で、どうということもないネタを3回4回と連続してたたみかけると、あるとき臨界点を越えて爆発的なおかしさが襲ってくるというテクニックがあるのだけれど、ある一つのエッセイの中でネタを4回繰り返してキッチリ面白く書いて落としたうえに、さらにもう一つ仕掛けていて、その絶妙のタイミング、効果、当方のツボへの直撃具合に思わず電車の中で声を上げて笑ってしまった。当方、物心ついたころには不条理ギャグの先駆け「がきデカ」に親しみ、思春期にギャグ漫画界の天才吉田戦車の洗礼を受け、長じてからもモーニング誌上で「えの基」やら「ひまわりっ!」やらの先鋭的なギャグに親しんできて、それなりに笑いには耐性があるつもりで、いくら面白くても電車の中ではニヤッとするぐらいでおさめる自信はあるのだが、今回あまりの切れ味に思わず吹いてしまった。ギャグを詳しく説明するというのはあほくさい無粋なことなので詳しく書けないのがもどかしい。例えるならボクシングで右のフックを武器にする対戦者から左スマッシュ(スマッシュとはフックとアッパーの中間ぐらいの位置から打つパンチで、片方の目の死角から飛んでくるので避けにくい、というようなうんちくがボクシング漫画でよく語られる割には実際のボクシングではあまり聞いたことがないパンチのことである。)をキレイに食らってリング上にひっくり返って天井のライトを見ながら「右フックは警戒していたけれど、あんなパンチがあったのか」と衝撃を受けるボクサーの心境だろうか。よけいわからんか?まあ読んで欲しい。ほとんどの人には当方が何を言っているのか理解できないと思うけど、分かる人には分かると思う。まあとにかく、すごい精度のギャグに吹いて感動したという事が書きたかったのである

 

<12.2.21>

○石丸元章「平壌ハイ」文春文庫 「KAMIKAZE」、「スピード」と面白かったので、その後も、「アフタースピード」、「DEEPS」と読んで「平壌ハイ」まで読んできたが、この人は「ジャンキー」という人種だということがよく分かった。それは当方が「釣り人」という人種である、というのと同じようなカテゴライズである。生きる目的や哲学といったそいつの魂に関連する部分に「釣り人」なら「魚釣り」がドカンと真ん中に鎮座しているが、「ジャンキー」には同じ部分に「薬物」が鎮座している。社会的、法的に見れば後者は非難されてしかるべき違法な異端者だが、魂のありようとして、「釣り人」である当方は「ジャンキー」にシンパシーを感じるし、敬意と共に同族嫌悪も憶える。依存する対象の何かが無くては生きておられず何かを求めて生きていかざるを得ないその焦燥感を伴った生き方に共感を覚える。たまたま幸運にも「釣り」は多くの場合違法な行為ではないというだけだ。

 石丸氏はジャンキーなので、東にいいガンジャ(大麻)があると聞けば飛んでいって一服つけて、西に売るほどのシャブをもつジャンキー仲間がいると聞けばご相伴にあずかり、LSD決めては幻覚に遊び、シンナー吸っては脳をとろかして惚ける。そんな、石丸氏が北朝鮮が化学兵器をつくっていた科学者を動員して、外貨獲得のためにつくり出した、どこまでもハイに飛んでいけるという最高のネタ「平壌ハイ」の噂を聞きつけたなら、当方がナマズ野郎の聖地カザフスタンイリ川デルタや釣り人天国クリスマス島に、なんとかかんとか仕事や健康やらに都合をつけてとにかく突撃敢行したように、彼もまた最高のドラッグを求めて平壌ツアーに突撃していくのであった。平壌行きの機中で在日3世のジャンキーのキムから大麻がまわってきて、加えて噂の「平壌ハイ」だというネタまで出てきて、これは薬まみれのスゴイ旅になりそうだと思うとともに、北朝鮮に薬物持ち込んで処刑されたりしないのだろうかと心配もしたりしたが、予想に反して、北朝鮮の手荷物検査はいい加減でキムの持ち込みネタはまったく問題なし、かつ、北朝鮮での行動は常に現地ガイドの監視つきで、北の闇市場に潜入して噂の「平壌ハイ」の実態に迫るというようなスリリングな展開はまったく不可能で、昨年末になくなったジョンイルとイルソンパパの肖像にあちこちで出迎えられながら、観光、グルメ、国境線視察と全くのパックツアーがしょぼく展開されるのであった。まあそれなりに面白かったけど。海外行けばウハウハなんていう安易な幻想は、釣りでも薬でもありゃしないのであった。

 

○桐野夏生「女神記」角川文庫 この人の作品は以前読んだ2作品は抜群に面白かった。しかし、本屋で作者の他の作品も読もうと思って手に取ってパラパラやってもいまいちぴんとこない作品が多い、今回もどうかなと思ってパラパラやってみたらピンと来たので購入。文句なし。面白かった。二組の男女の愛憎劇で、ひと組は日本神話版アダムとイブのイザナギ・イザナミ。もう一組は沖縄をモチーフにしたと思われる架空の島、ヤマトの南にあるという海蛇島の巫女姉妹の妹と、呪われているとして村八分の目に遭っている家の美しい若者との許されざるカップル。南の貧しい島の巫女の運命がリアルに感じられる描写やストーリーの上手さ、裏切られる妹の「何故?」という疑問が伏線となり、その回収の仕方の上手さにもしびれる。永遠の命を、妻であったイザナミの恨みを受けながら生きるイザナギの苦悩も面白いテーマだったが、なんといってもイザナギの裏切りに怒り心頭のイザナミの「女」の「神」の理不尽さのリアリティーに唸らされた。作者は調べてみると、下積み時代も長く、漫画原作から、ハードボイルド、少女向け作品、ミステリー、エンタメ、純文学といろんなジャンルを書いてきた人のようだ。多芸で多才。受賞歴をちょっと見たら多重人格を疑いたくなるぐらいいろんな賞を取っている。直木賞作家が谷崎潤一郎賞をとるって、どれほど自由自在な書き手なんだろう。と、賞の権威なぞに恐れ入ってては真に面白い作品にはたどりつけんぞと思いもするが、それでもさすがに感心させられる。いろんな書き方、作風を持っていて、その中の一つにどうも当方の感性に直撃でヒットしてくるモノがあるようだ。今後も「抜群」といいたくなるような作品を書いてくれるに違いない。要チェックな作家だ。

 

○先週の「宇宙兄弟」週間モーニング連載中 ネタバレ有りです注意。

 先週木曜日、その日発売の青年漫画週刊誌モーニングを電車で読んでいた。今、ストーリーは弟のヒビトが月面での危機一髪の事故からの生還後、発症してしまったパニック障害の結構長い闘病偏のクライマックスに来ている。宇宙服を着るとパニック症状を起こしてしまうヒビトは、ロシアに研修名目で治療に派遣され、そこでロシアの宇宙飛行士家族と交流しながら、お面やら、着ぐるみやらを着たりといった段階的な障害克服に取り組み、NASAに戻ってきて兄ムッタの後押しもうけて、最終的なこれからも宇宙飛行士としてやっていけるかどうかの試験にのぞむ。月面での船外活動を想定した水中での試験を受けている最中、指示を出す管制官が、ともに宇宙で過ごした仲間に交替した。驚くヒビト。ヒビトのピンチをムッタから聞いて駆けつけた仲間の「この試験はヒビトを救うための試験」という考え方に偉いさんが賛同。力強い仲間に支えられて試験は続く。管制からの「上方ゴンドラに注意」という指示にいぶかしみながらヒビトが上を見上げると、そこには月面での船外活動でバディーを組んでいたダミアンが。「ダミアンまで」と驚くヒビトにダミアンは「当たり前だろ」といい、その後2カットほどダミアンの心象風景として月面で事故にあったとき、怪我をした自分を捨てて生存の確率を高めて欲しいといったダミアンの主張を無視して、ダミアンを担いで二人で帰ることを選んだヒビトの姿が挿入され、その後ダミアンがもう一度「当たり前だ。」とつぶやく。グッときた。涙が湧いてきて目の前が一瞬でぼやけるが、電車の中なので我慢して意識をそらしてとりあえずその場はおさめた。仕事終わって家に帰って再度読んで、今度は遠慮無くダラダラ涙流した。若い頃は、親が死んでもオレは泣いてやるもんか、とクールなつもりで粋がって涙なぞ流すのはヌルくてかっこわるいと思っていたが、年をとって涙腺がゆるんでくると泣くのもそんなに悪くないような気がしている。

 別のSFマンガで、サイボーグ技術で脳以外のほとんどを機械化した登場人物が、生身の人間に「涙腺機能はオプションだったから付けなかった。もう泣くことはできないの。泣けるうちに泣いといた方がいいよ。」とか言うシーンがあって妙に心に残っている。泣けるような作品に出会えたことの幸せよ。

 

○深夜アニメ「Another」原作綾辻行人 当方は朝に弱い。起きてバナナを食ってしばらくボーッとしながら録画してあった深夜アニメを見るのが最近の朝の日課である。今期もほぼ毎日のように視聴中のアニメがあり、中でも楽しみにしているのがこの「Another」だ、ミステリー畑の作家綾辻行人原作のホラーで、深夜枠ということもあって、思いっきり情け容赦無しの血しぶき飛び散る残酷な描写が朝から心臓に悪い。今朝も教師が介護疲れと「3組の事情」から発狂して教壇で包丁を喉に突き通して自殺するという、阿鼻叫喚の地獄絵図の教室シーンから始まって目が覚めた。

 学年の始めに「3年3組」に用意された机が足りないとき、それはダークサイドに堕ちた座敷童のような見えざる死者が紛れ込んでいることを意味し、3組の人間とその家族など関係者が次々と怪死をとげるといういや〜な伝統が3組にはあり、「有る年」にあたった3組生徒は対策委員を設け、見えないモノとして無視する「死者役」を配置したり。死者を増やさないために有効とされる対策に藁をもすがる思いで取り組んだりする。主人公は肺気胸で入院しており母の故郷の学校の「3組」に学年途中から転入する。そこには死者役のミステリアスな眼帯少女や新たな転入者が事にどう影響するのかはかりかね困惑する対策委員などクラスメイト達がいてストーリーがオドロドロと展開していく。話の展開もひねりがきいていて次の展開が読めなくて、続きが気になって引き込まれていくのだけど、映像がとにかくホラーに似つかわしく、暗い色調で人が死ぬシーンとかもグロくて最高なんだけど、でもとても美しいというか丁寧につくられた映像で、もうオープニングの校庭の金網にビニールだか枯れ草だかが引っかかっている絵の寂しい感じとかからしてこれは良いアニメだと予感させてくれるに十分であるという感じ。しかも、なんと次週は「水着回」ですと!どうなるのよいったい?ちなみに水着回とはそのまんまで登場人物達が海やらプールやらに行って水着になる回のことであるが、アニメオリジナルのストーリーをつくるときなんかに、視聴者サービス的にヒロイン達が水着になるイベントを持ってくるようなお約束があって、他にも「温泉回」「野球回」なんてのもある。最近は穴埋め的なオリジナルストーリーというよりは、原作漫画などでも水着回、温泉回が用意されていることも多いように思う。テンプレ的には水着回ではヒロインの水着が流されちゃってどうしましょう的な実にくっだらなくて良い塩梅のイベントが発生するのだが、最近では水着回をどう上手くオリジナリティーあふれるストーリー展開で楽しませてくれるのか、てなところもアニメのみどころの一つのように思う。ちなみにホラーではあるが、本作の登場人物はキャラクターデザインが「涼宮ハルヒ」で有名なイラストレーター「いとうのいぢ」の原案によるもので今時の「萌え」に充分以上に対応したキュートな女の子、男の子達である。しかし、単純に「萌え」ていて良いのだろうか、楽しい水着回のはずが、いつ血の海的な惨状に突き落とされるか分かったものではない作品だけに来週が楽しみでならないのである。

 

<12.1.22>

○週間モーニング連載漫画について

 漫画にもいろいろな賞が設けられていて、「文化庁メディア芸術祭漫画部門大賞」、「講談社漫画賞」などがメジャーではあるが、文学の芥川賞的な芸術面重視のものは、芥川賞が新人賞的な意味合いを持っているので単純に対応はしていないにしても、メディア芸術祭大賞が相当すると思うのだが、直木賞的なエンタメ部門の賞としては、「講談社漫画賞」はそうではないとしつつもやはり自社誌で連載されている漫画が賞を取ることが多いので、「漫画読みで面白い漫画の登竜門的賞をつくっちまおうぜ!」と有志で委員会を作って、既刊8巻以下のこれからの作品で1番のお勧めを決めてしまおうとしたのが「マンガ大賞」であると当方は認識している。

 今年のノミネート作品を見ると、読んでいるのやらいないのやらいろいろあるが、当方が毎週読んでいる青年漫画誌「モーニング」からは「グラゼニ」と「鬼灯の冷徹」がノミネートされている。

 8巻以下の連載が始まってまだそれほど時間がたっていない作品で、かつ面白いものをモーニングから選んだときに、この2つという選択にはまったく異論がない。

 「グラゼニ」は結構話題になっていたので当然だが、「鬼灯の冷徹」があがってくるところに選考員の見る目の確かさを感じる。似たような選考対象の「この漫画がスゴイ」とは、当然あがってくる作品名が似ていてやはりモーニング勢ではこの2作品がランクインしているのだが、微妙にマンガ大賞のほうがしっくりくる。選考員の年齢構成や職業などが、当方に近いのだろうか。理由は分からないがマンガ大賞により信頼をおける気がしている。

 「グラゼニ」は「グラウンドには銭が埋まっている」という有名な言葉の略。年俸にこだわる中継ぎ投手夏の介を主人公に、野球のエピソードを金に絡めて書いているが、シビアな金の話だけにおわらない人間模様が面白い。

 「鬼灯の冷徹」は、地獄の閻魔大王の補佐官「鬼灯」の地獄での日常を描いた異色作で、クールな鬼灯に、地獄の鬼やらなにやらがからんでドタバタを巻き起こすコメディーなのだが、地獄の設定が非常に上手く、作者の宗教や歴史にたいする深い造詣が見て取れる。連載当初は鬼灯のキャラクターを押し出したドタバタ面がメインでそれほど面白いと思っていなかったのだが、徐々に作者がやりたい放題し始めるにつれて感心させられることしきりである。基本、同一文化圏には共通の地獄があって、日本には日本の地獄のシステムが、中国やらキリスト教圏にはそれぞれの文化に応じた地獄があって、地獄の役人同士で視察やら研修やらしていたりと面白いことになっている。現在の日本の地獄のシステムが仏教ベースでありその仏教的な地獄世界の解説も勉強になって面白いが、その今の地獄のシステムも仏教が伝来してからで、それ以前は古事記・日本書紀的な神道世界の地獄像にマッチした地獄で、黄泉の世界の番人として日本神話版イブのイザナミが補佐官で仕切っていたとかいうのは、仏教伝来の歴史で庶民の地獄感が変わっていったであろうと思われる道筋と合致しているように思えてうまく考えるもんだと唸らされる。

 そのほかの現在のモーニングの連載陣をざっと分けると、

○熱心に読んでいる。

う(ラズウェル細木)、宇宙兄弟(小山宙哉)、GIANT KILLING(ツジトモ / 綱本将也)、とりぱん(とりのなん子)、ヒグさん(青空大地)、ひらけ駒!(南Q太)、へうげもの(山田芳裕)、ライスショルダー(なかいま強)、きのう何食べた?(よしながふみ)、天才柳沢教授の生活(山下和美)、西遊妖猿伝 西域編(諸星大二郎)、チェーザレ 破壊の創造者(惣領冬実 / 監修:原基晶)、バガボンド(井上雄彦 / 吉川英治)、ピアノの森(一色まこと)、僕の小規模な生活(福満しげゆき)、モンスターフェイク(伊藤静)、あと「グラゼニ」と「鬼灯の冷徹」

○流して読んでいる

OL進化論(秋月りす)、主(おも)に泣いてます(東村アキコ)、クッキングパパ(うえやまとち)、クレムリン(カレー沢薫)、ポテン生活(木下晋也)、miifa(ひなきみわ)

、リーチマン(米田達郎)

○気になったら読んでいる

カバチタレ! 2(東風孝広)、ねこだらけ(横山キムチ)、カレチ(池田邦彦)

○まったく無視している

神の雫(オキモト・シュウ / 亜樹直)、北のライオン(わたせせいぞう)、デラシネマ(星野泰視)、僕はビートルズ(かわぐちかいじ / 藤井哲夫)、ReMember(王欣太)、チーズスイートホーム(こなみかなた)、BILLY BAT(浦沢直樹 / 長崎尚志プロット共同制作)、社長島耕作(弘兼憲史)

という感じだろうか、大御所の書く看板作品をガン無視しているあたりは、当方の感覚が一般読者とずれている部分も否めない。当方が無視しているからといって面白くないわけでも売れていないわけでもない。単に当方の趣味に合わないだけだ。

 熱心に読んでいる中でも、「う」「宇宙兄弟」「とりぱん」「ヒグさん」「ひらけ駒!」「モンスターフェイク」あたりが目が離せない当方にとってもっともホットなマンガになっている。

 「う」はウナギのうである。当方グルメマンガの、食に客観的な優劣、順位付けをするような軽薄な志向が気に入らない。すべての食い物は有毒でもなければ感謝されて食べられるべき存在である。すべての人に食に関する異なる評価基準がある。なのにあたかも絶対基準があるかのごとく、一方の食い物を貶めるような描写のあるマンガは読む気にもならない。その点、クッキングパパあたりは「美味しい」と褒める表現はあるが、食べ物をけなすような表現は出てこないのでグルメマンガの中では好ましく思う。でもあまり興味のある分野ではない。勝手にやってろという基本姿勢だ。しかしながら、この「う」のウナギ料理とそれにまつわるエピソードだけで、現在まで52話という話を紡ぎ出す、作者の「ウナギ愛」には正直恐れいった。一応、水産のプロの端くれなので、関東と関西の蒲焼きの違いやら、福岡は柳川のウナギせいろ蒸しなんてのもしってはいたが、江戸時代のウナギ蒲焼きの原型やら、ウナギ供養をしている京都のお寺の話やら初めて聞く話も沢山出てきて興味深い。いったい何話までウナギネタ縛りで話を延ばしていけるのか、作者の挑戦を興味深く見守りたい。まだ、スペインやらイギリスやらのウナギ食文化ネタは出ていないのでその辺がいつ出てくるか、どう料理されて描かれるか楽しみだ。

 「宇宙兄弟」は、何度かこのコーナーでも書いたけど、相変わらず面白い。今、主人公は月面に行くメンバーに選抜された。弟は月での遭難がトラウマになりパニック障害と戦っている。主人公が選ばれたことで選に漏れた候補生たちの心理描写も心にくる。この作品では敗れ去った者にも、単なる挫折ではない温かみを感じるようなストーリーが用意されていたりして、それは涙が出るほど素晴らしいと感じる物語になっていたりする。

 「とりぱん」は、東北在住の作者が、庭のえさ台にくる鳥を中心に鳥獣花草様々な生き物と季節とを4コマ漫画にしているのだが、この人の単なる「生きもの好き素人」の視線が素敵すぎる。庭や近所の鳥獣や虫、草木に限ってさえ、世の中はこれほど発見の喜びや、美しい物への感動、加えて笑えるネタに満ちあふれているということを教えてくれる。すべての人に読んで欲しい良作だと思う。4コマベースで最後の1ページが1コマか2コマの割と気合いの入った絵に気の利いた短文というパターンが多く、連載を重ねるにつれあきらかに絵が上手くなっていて、カラーページの時などはなかなかの眼福である。

 「ヒグさん」を推すマンガ読みはほとんどいないだろう。熊牧場でヒグマの母親と飼育員の父親から生まれた「ヒグさん」が父に会うために北海道を旅するという、しょうもないナンセンスマンガ。といってしまえばそれまでである。しかしながら北海道で本業の傍らチマチマと書いているという、妙にマニアックな生物ネタにこだわるこの作者のギャグには前作「昆虫探偵ヨシダヨシミ(奇跡的にも実写映像化しているが、ウィキで調べようとしたら項目がなかった。)」からずいぶん笑わせてもらっている。オレが読まなくて誰が読む、オレのためだけにでも良いから青空先生にはコツコツ描き続けて欲しいと思う。

 「ひらけ駒!」は、将棋漫画。母一人子一人の生活と、将棋にみせられる今時の少年の等身大の挑戦に胸が熱くなること多々あり。文化系だけどスポ根漫画の系譜に連なる作品だと思う。将棋の駒にかける静かな熱がこちらにまで伝わってくる感じ。将棋ほとんど経験無いけど問題なく楽しめる。

 「モンスターフェイク」は江戸時代を舞台に、妖怪、モノノ怪のたぐいの偽物をつくる職人を主人公とした人情劇。前作は人を小人にしてしまう不思議な木の話だったが、この作者はそういう「不思議」なものと、その気配を書くのが上手い。独自の世界観があるというのは作家として非常に有利なことだと思う。次にブレイクするのはモーニングではこの人あたりではないかと思っている。

 

<12.1.14>

○山野井泰史「垂直の記憶」ヤマケイ文庫 まず題名が素敵だと思う。どっかの詩人が「詩は歴史性に対して垂直に立つ」とか何とか言っていた気がするけど、いかにも極限に挑む先鋭的なクライマーの書いたものにふさわしい題名だと思う。山野井夫婦のギャチュンカンでの悪天候からの生還の壮絶なエピソードは、沢木耕太郎「凍」で読んでそのすさまじさに読み進むのが怖いくらいだった記憶がある。今回本人の書いたものであり、同じような内容なら読む価値あるのかなと若干不安だったが、ギャチュンカンのエピソード以外にも筆者の思い出の山というか壁が幾つか選ばれていることもあり、読んでみた。不安はまったく杞憂。さすがに本職の文筆家である沢木氏の文章の方がドラマチックで読み物としては面白いとは思うが、筆者の文章は事実を正確に簡潔に書こうとしている感じで、シンプルでわかりやすく、かつ、筆者の考えが素直に表現されていて好感が持てる。最近は当方も読む人へのウケを考えて釣行報告もやや「書きすぎ」の嫌いがあるが、本来目指していたのはこういうあまりてらいのない素直な文章だったような気がする。読んであらためて、少人数でお金をかけずにアタックという手法でスポンサーやらタイアップやらからある程度距離を置いて、本当に自分のやりたいことに真っ直ぐ向かっていく姿に、共感と賞賛を禁じ得ない。スポンサーが付くような華々しい冒険だけが価値があるものではなく、自分が自分の限界の中で夢見る頂こそがその人にとって真に価値のある冒険だということを、筆者はその実績で言葉でこれ以上ないぐらいの形で示してくれている。金なんかなくてもスゴイやつはスゴイことをやってのけるのである。筆者も遠征に必要な資金を集めるためにスポンサー探しをした経験があるそうだが、筆者の「冒険」に理解を示してくれるようなスポンサーはいなかったそうだ。世の中なんてそんなもんである。本書で筆者は山に岩壁に登らずにいられない情熱を語っている。「自分のような未熟な者が過大評価されている。」と謙虚に書いてもいるが、「自分は山で死ぬことが許された人間だと思う」という矜持も書いている。友人達に評価されるような結果もやはり出したいという素直な気持ちも吐露している。生死の境を行くような自身の限界ギリギリの登攀に心からの充実を感じると書いている。ギャチュンカンで手足の指10本を失ってもなお、登り続ける情熱を失わない。筆者の姿勢というか哲学には、当方のようなヘボ釣り師が、「共感」などとはおこがましいと思うのだが、それでもいちいち共感せずにいられない。「冒険」の価値は最終的には本人自身がその夢と情熱で決めるのだとあらためて思わせられた。

○須藤元気「レボリューション」講談社 同居人が図書館から借りてきたのが転がっていた。格闘家としてK−1MAX(ミドル級)や総合格闘技で活躍していた彼のファンだったので興味を持って読んでみた。さすが現役時代「変幻自在のトリックスター」の二つ名で呼ばれ、回転裏拳(バックハンドブロー)とかの予測不能な攻撃で相手をKOしていた筆者ならではの、意表をついた面白さだった。クスッと笑える小ネタのセンスも良いが、なにげにこの人は哲学的というか博識というか、いろんな古典からの引用が出てきたりして感心させられる。内容は題名の「レボリューション(革命)」に関連する南米の各地を観光して回る紀行文なのだけれど、ゲバラやトロツキーへの傾倒ぶりがうかがえたりして意外な一面を見たような気がしてそれも面白かった。彼の背中にはトレードマークとなっているナスカの地上絵のコンドルが彫られているのだが、そのナスカの地上絵と対面したときに、背中が熱くなるような感じがして、筆者は何らかの感応現象かとドキドキするのだが、そういえば高地で寒いので背中にカイロ貼ってたんだ、と気付くオチとかがとぼけていて笑える。地球温暖化に思いを馳せたりもしていて結構真面目な内容の思索もあるのだが、この人は基本、人を楽しませるのが好きなんだなあと思わされる。格闘家時代も入場パフォーマンスに異常なぐらいこだわっていて、毎回楽しませてくれた。今でも母校拓殖大学のレスリング部顧問をしつつもダンスパフォーマンス集団を率いていたりする。この本とは別の「風の谷のあの人と結婚する方法」とかいう本がどうも面白いと評判なので次にこれを読んでみたい。このぶんだと面白いに違いない。

 

<12.1.8>

○石丸元章「SPEED」文春文庫 「スピード」「エス」そして「シャブ」とも呼ばれる覚醒剤を中心に大麻やシンナー、LSDなど違法な向精神薬がどのように流通し使用され、人にどのような影響を与えるか等々を筆者が自らを被献体にルポしている。

 最近ではオシャレにスピードなどと呼ばれているらしい、いわゆる「覚醒剤」はメタンフェタミンと呼ばれる化学物質で、日本の科学者が「葛根湯」にも入っている漢方薬の麻黄から抽出したエフィドリンを基に合成した日本生まれの向精神薬である。

 働くことが何より好きな狂った我が民族が作り出した薬にふさわしく、その効果は脳内の神経系でドーパミン放出を促進し再取り込みを阻害することによって、交感神経系が活性化され覚醒作用やハイな気分を作り出し、万能感と活力に満ちてスーパーマンのように活動し続けられるという効果を発揮する。ただし薬が切れるまでなのはいうまでもないし、次第に耐性がつき使用量が増えていき、依存症になって最悪人間やめるはめになることもご存じの通り。

 戦時中はヒロポンやら猫目錠やらの商品名で軍事産業従事者の長時間労働や、夜間の戦闘機乗りの視力・集中力向上のために使われ、終戦後軍放出のヒロポンが最初の覚醒剤の社会問題化を引き起こした。

 というような、基礎知識は各種薬物にまみれた人生を送った中島らもの著書などで学習済みであるが、このレポートは基礎編ではなく実践編であり、筆者自身が体験した密売人や薬仲間とのやりとり、各種薬物のやり心地のレビュー、次第に依存症になっていき毒電波が聞こえるようになって精神病院行きになるまでを独特の伝法な文体でつまびらかにレポートしていて迫力がある。筆者自身が冒頭述べていたように、向精神薬の薬理的な分析やら、中毒の恐ろしさを訴えるもの、逆に向精神薬賛美、体験を伴わない都市伝説レベルのレポートなどはいくつもあるが、この手のぎっちり今現在(文庫なので少し古くなってはいるが)の日本のクスリ事情を中毒になった本人が書いているのは珍しいのではないだろうか。面白いレポートだと思う。

 当方は向精神薬について、それほど否定的な立場ではない。単純化してしまえば、向精神薬は幸せを得るためにかかるコストを後で支払うタイプの生き方を実現させる薬であると理解している。昨今では人が幸せを感じる際の脳内の化学物質などの作用がだいぶ分かりつつある。エンドルフィンやらドーパミンやらが代表的な「幸せ」を感じさせる化学物質で、向精神薬はそれらに影響して「幸せ」を手っ取り早く荒っぽく脳内で実現させる化学物質だ。苦労して修行の果てに得られる「悟り」の境地や、ランナーズハイのようなトップアスリートが才能と努力でたどり着くような脳内の状態に近いものを、クスリがあっさりと実現してくれる。才能やらが無い人間なら先払いでコストを払い血のにじむような努力をするよりもクスリであっさり美味しい思いをした方が楽なのではないかと、そういう気がしてならない。ただしクスリでコストを後払いする方式は、買い物の後払い方式と同様、利子が付いてきつい支払いをしなければならない。最悪、気が狂って人を傷つけて自分も命を落とす。それでもその覚悟があるのならやればいいと無責任にも思う。そのためには判断材料として本作のような、後でどのような「支払い」をしなければならないのかが分かる資料は重要である。軽い気持ちで手を出して後できつい「支払い」に後悔するというようなことは避けられるべきである。そういう意味で、言葉巧みに何の知識もないような未成年やらに売りつける行為は許されるものではないと思う。しかしながら、警察につかまったら社会的に抹殺されるリスクもあり、もちろん依存症の怖さもあることを充分理解した上で、それでもやるなら勝手にどうぞという感じだ。

 社会的には、「後払い」のような非生産的な生き方をしてもらっては困るので、厳しく取り締まるのは当然だろうが、個々人の立場に立てば「好きにさせてやれ」の一言である。

 実際問題として、文化的に長い付き合いがあったりして、皆がその扱いやらメリットデメリットをよく分かっているような場合、向精神薬は禁止されていない現実がある。アルコールしかり、ニコチンしかり、カフェインしかりである。アラブ圏ではアルコールはダメだけどマリファナはありという文化もあるそうだ。人に対する害の大きさから言ってもアルコールやニコチンは最悪な部類の向精神薬だと思うけど、皆が常識としてどういうモノかを知っているから、人は飲む人生も飲まない人生も、吸う人生も吸わない人生も選ぶことができる。判断できるほどの知識がないであろう未成年者に使用が禁止されているのも妥当な判断だと思う。高校生の頃飲んでたけど。

 当方自身は、非合法な向精神薬を使う気はないが、合法だったらどうだろうかと考えると、正直使いたい場面が人生にはある。たとえば、釣りで二度と無いだろうというような好条件の時に、精神力・体力的な限界で釣りをストップせざるを得ないようなときに、後で切れたときにしんどい目に遭うことは分かっていても、シャブ打ってでも釣り続けたいというのはあったりする。誰でもそうだと思うけど、とにかく逃げ出したいような現実があり、わけの分からない酩酊の世界に逃げたいときも長い人生無いわけじゃない。酒が飲めた若い頃は実際、酒に逃げたこともある。酒が飲めなくなった今はそういうときは睡眠導入剤(薬局で合法に入手してます)カッ食らって寝逃げしている。

 ただ、後払い方式はどう見ても結構な利息を払わなければならないように思うので、できれば使わない方が良いのだろうなとは思う。ありがたいことに当方には自分自身を一生楽しませる程度の釣りの才能はあるようなので、地道に先払いで後で幸せになる生き方を選択している。

 加えて、釣り人が魚を釣ったときの「幸せ」さはなまなかな向精神薬では再現できないと実は思ってもいる。開高先生がニューヨークだったかで、次の釣り宿の手配が整うまでの間にコカインを嗜む話があるのだが、先生手配が整ったら即コカインをゴミ箱に捨てて旅立っている。その手のクスリってその程度のモノなんだなと強く印象づけられた名シーンである。開高先生はやっぱかっこいいゼ。

 

 

○中島京子「イトウの恋」講談社文庫 中島京子は高野秀行が「次世代の国民的作家」と絶賛していて、直木賞も取ったのだが、家族ものとか恋愛ものとかが多く、いまいち取っつきにくかった。本作も題名通り恋愛ものといえば恋愛ものなのだが、その恋愛が、部屋に読みかけて積んである「日本奥地紀行」を書いた女性探検家イザベラ・バードと日本での通訳を務めたイトウとの恋ということで、ちょっと気になったので読んでみた。面白かった。さえない教師が実家で見つけたイトウの手記を、顧問である郷土部で研究することにして、欠けている手記の後半部分を探すため、イトウのひ孫にあたる漫画原作者の女性に連絡を取ったことから物語が始まる。イトウの手記の年上の異邦人であるIB(イザベラ・バード)への恋心や若いイトウの葛藤や心の揺れが淡々と書かれている感じも良い感じだが、イトウのひ孫のいかにもな自立した女性で豪快な感じに対して、さえない教師のショボさが良い感じにリアリティーと説得力、リズムをつくっていてスルスル楽しく読める。イトウのひ孫は若い頃の彼氏の家で読みあさった劇画の徹底的な解析から、バトルもの劇画の「敵はどんどん強いのが出てくる」「初期の敵は生き返って身方になる」、「最後の敵は親など身内」といった要素を抜き出して書き上げた「ビースト海峡」の原作でデビューしヒットを飛ばしており、郷土部の実質1人だけの部員がコアなファンでそのあたりのやりとりも面白い。細かい設定のリアルさが物語にコクを出している感じだ。たしかに上手い書き手だなと思った。面白そうなのがあったら作者の別の作品も読んでみたい。

 

 

 

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