○「本のページ」第8部 −ナマジの読書日記2014−

 

 2014年もダラダラと更新していきます。8部ってジョジョに追いついた感じで感慨深い。

 

<2014.12.23>

 今年もあとわずかとなっているが、既にガス欠状態でほぼ「死に体」のありさまで、まともな思考能力も、まあ元々無いのかもしれないがそれにもまして無く、kindleで読むくだらないマンガがオツムに心地よい状態。マンガは硬軟取り混ぜあいかわらずハイペースで読みまくっているが、活字は今「長いお別れ」が中だるみして進まなくなってるところ。割と面白い、なんていったら失礼かもしれん名作だが、活字が頭にスッと入ってこない感じ。わかるだろうか?Kindle版「釣り紀行 私の釣魚大全/フィッシュ・オン」のおまけの、単行本とかに未収録の雑誌掲載ものを集めたらしい開高先生の釣りエッセイは読めるんだけどね。フィッシュ・オンに秋本キャパの写真が無いので詐欺で訴えたろかと怒ったが、おまけエッセイがお得感たっぷりなので許す。

○高田築「野ばら」 公共放送で飴をギャラに働かされているらしい謎の生物「ショムタン」が可愛い。可愛いんだけどそれを取り巻くお姉さん含め大人のなにげない日常が妙に現実っぽくてなかなかに味わい深い。ショムタンはなんかNHK教育の学習番組で見たことあるような造形と思うが、なんだったか思い出せない。「働くおじさん」はタンちゃんペロ君だし、算数系だったようなとネットで検索かけたりしてやっと判明、「いちにのさんすう」のタップ君に似てるんだ。あ〜スッキリ。他に、「だがしかし」「はたらかないふたり」も良い塩梅のくだらなさ。どちらもヒロインが可愛らしくて良い。駄菓子なつかしネタ、ニートありがちネタ、くっだらないといえばそれまでだが、こういう軽い味わいの作品もオレには必要だ。

 

<2014.11.27>

 仕事が火を噴いていて頭が疲れていて活字が読みづらい、マンガは読んでるのの新刊出たのを中心に読んでいる。新しいのでは「百合星人ナオコサン」がバカバカしくて良かった。疲れていても釣りの話は別腹で活字が読める。

○竹中由浩「タックルスタディー」「マイナーリールの紳士録1、2」著者のサイト「TAKE’S REEL ROOM」のファンなので、ルアー雑誌に書いた記事を集めた書籍がKindle版で出ているのを見つけて早速買ってみた。元シマノのリール開発担当の知識は半端でなく、主にトラウトねらいのルアータックル中心に分かりやすく道具の知識が解説されている。スペック至上主義の弊害を説き、実用性というのを釣りの現場視点から重視しつつも、好みや味わい「らしさ」や挑戦性といった視点もふまえた独特の感性で時に辛辣にこき下ろし、ときに愛あるコメントや時代の綾で消えたものへの哀切をも語る。インスプールのミッチェルがものすごく好きだというのがありありと伝わってくるのだが、どこかの偏狭なペン使いのように今時のリールを否定するようなことなく、今の高性能なリールをもたらした先人たちの苦労、釣り人たちの洗練をリールの機能に読みとり讃える度量の大きさ、好みは主張しつつも公平な視野。リールについて学びたければまずはTAKE先生の書いたものから始めればいいと思う。アンティークタックルから最新鋭の高級機種まで様々な道具がある中で、こういった識者の解説というのは迷える子羊たちを導く福音である。インスプールのリールについてベールを手で返す当方のような釣り人には向かないしラインをかむトラブルも欠点だが、プリミティブ(原始的)な機械でシンプルでコンパクトで釣り具として好ましいという考え方はなるほどなと思わされる。中古のインスプールのリールにベールを無理に起こして故障しているものが多いという指摘はケン一のミッチェル壊した前科持ちとしては耳が痛い。スピニングリールの90度回転方向を変えるギアの各方式の解説も大変勉強になった。なにげに使っているPENNスピンフィッシャーが採用している「ハイポイドギア」方式は、スプール軸のピニオンギアもハンドル軸のドライブギアもギアの山を斜めに切削して作られているという独特の凝ったもののようだ。今時主流のハイポイドフェースギアに比べ製造コストのかかるギアらしい。そう聞くと何となく手間暇かけた逸品という気がしてきてスピンフィッシャーがさらに好きになる。コストが高いイコール高性能ではないとしてもである。TAKEさんはハイポイドギアの写真を撮るためだけに750SSを買う羽目になり採算とれないとサイトで嘆いていた。サイトの方ではスピンフィッシャーを研究室で耐久性テストにかけるといつも弱くて、実際のユーザー評価では海水使用での耐久性に大きな支持を集めていることとテスト結果があってくれないと、面白いぼやき方をしていた。テスト結果より現実が正しい、あるいはテストではうまく実際の使用を再現する条件が与えにくいということなんだろう。海の釣りをあまりされないようなので、スピンフィッシャーについて詳しく解説してはいないけど(サイトでは第2世代の渓流用インスプールとハイポイドギア撮影用に買った750SSについて解説している)アメリカで海用の道具として愛されているという位置づけに敬意を払ってくれている書き方になっており、スピンフィッシャー好きとしても誇らしい気がする。ほかにも当方も大好きなスプーンのバイトやフライリールのメダリストが高評価なのもうれしい。渓流トラウトルアー中心の筆者と塩水系の多い私との違いで、道具に求めるものが違ったりもすることはあるが、違いをふまえればそれは当然であり、やはり良い道具というのは絶対がある世界ではなく、人と道具との関係性からしか生じ得ないのだと再認識した。よい先生は人生を豊かなものに導いてくれる。TAKE先生これからも面白い記事書き続けてください

 

<2014.10.24>

○開高健「渚からくるもの」kindle版 やっと読み切ったがコレは未読だったっぽい。読んだ記憶がやっぱり無いだけという気もするが、これだけ面白いのを読んで忘れているとは思いがたい。ベトナムの体験を基に架空の戦渦にある国での戦場記者を題材に書いている。戦闘で撃ちまくられて、地べたに伏せている目の前を蟻が行列つくってたエピソードとかエッセイか何かで読んだけど、小説仕立てでストーリーのクライマックスで来るとまた違うあじわいというか迫力がある。ほぼ実体験なんだろう、秋本キャパは出てこないけど有名な200人の大隊が最終的に17人になった戦闘のエピソードがとにかく濃密で強烈。輝ける闇よりこっちの方がオレには傑作かも。輝ける闇と夏の闇ももう一度読み返すべきかもしれん。開高節のリズムがともかくファンには心地よいというのもモロにあるが、やっぱり良いものは良い。

 

<2014.10.5>

○弐瓶勉「シドニアの騎士」13巻 ネタバレ注意。グハッ!そう来たかという感じで主人公と「人外メインヒロイン」ツムギちゃんがまさかとは思っていたが相思相愛の関係に。ツムギちゃん約17mの巨体だがナガテは「身長差だってたったの15mだ!」とすざまじい男前な台詞を吐く。オレ的には悪いこといわないから世話焼き女房系ヒロインのイザナ君にしとけよナガテ、と思うのだが、まあ二瓶先生らしいちゃらしい展開だ。でも、決戦前に相思相愛になるのって、もうこの作品ではおもいっきりの死亡フラグである。星白を思い出さずにいられない、ツムギちゃん出自をたどると星白の系譜なだけになおさらである。この作品ではなにが起こっても不思議じゃない。メインヒロインがあっさり戦死しても、2人で不死の永遠の存在になってもなんでもアリアリの世界観。今後もドキドキしつつ楽しみたい。最終的にはイザナ君がナガテの愛を勝ち取るのが王道だと思うのだが、そこはわざとはずしてくるかもしれない。最終決戦前に一悶着起こっているが、そろそろクライマックスか?先の展開が楽しみでならない。ナガテの出撃シーンがアニメの出撃シーンとかぶる絵面になっていて、二瓶先生もアニメの出来の良さにはご満足のようである。

 

<2014.8.31>

○西尾維新「終物語」上中下 全17巻にもおよぶ人気ラノベ「化物語」シリーズの一応の終幕。あと1巻「続・終物語」が出るらしいけど、アニメでハマって読み初めた当時はセカンドシーズンとか出る構想はなくて「もうちょっとだけ続くんじゃぞい」という感じだったのが、作者の興が乗ったのに加えて人気作を引き延ばす少年マンガでおなじみの状態だったのか、おもえば遠くへきたもんだ的長編シリーズとなった。何しろアニメはテレビアニメとしてブルーレイDVDの売り上げ記録を叩き出した超人気作である。ファンにも出版社にもたぶん作者にとっても「俺得!」な展開だったんだと思う。オレも楽しんだッス!西尾先生ありがとう、という感じだ。基本妖怪物で学園ハーレム物であり、魅力的なヒロイン陣が話を彩るのだが、そんな中でみんなそれぞれひいきのキャラクターがいると思うけど、オレ的には主人公の恋人で毒舌ツンドラメインヒロインのガハラさんと後輩で体育会系バカ両刀変態の神原選手の2人が波長が合うというかお気に入りで、2人が出てくるエピソードは特に楽しく読めた。逆にいまいち好きになれなかったのが、千石撫子と忍野扇のラスボス系キャラの2人。敵役が好きじゃないという反応は平凡すぎてつまらないような気もするが、小悪党の貝木泥舟はわりとすきだったりもする。終わりが見えて寂しいぐらいに楽しいシリーズだった。あと1冊も楽しく読もうと思う。

<2014.8.16>ここ2、3日体調崩して寝込んでいた。頭が痛いしボーッとするしで、いまいち小説やマンガも頭に入ってこない。こういう時は逆にキツい内容の、読むのが怖くてとっておいたぐらいの作品を読んで、その後きっちり悪夢にうなされるというのも一興ではなかろうかと、1年以上積んであっったデビルマン文庫版と数ヶ月ダウンロード後放置していた悪の華最終巻をエイヤと読み切った。

○永井豪「デビルマン」講談社漫画文庫全5巻 高校生の頃初めて読んだときほど怖くなかった。今時人の首が飛ぶようなスプラッタな作品は珍しくないのでそのあたりは慣れたのだろうか。怖いといっても単に夏場にお約束なホラー的な怖さという話ではなくて、人間の心の怖さとか、異形なものへの根源的な怖さとかそういう怖さがあるのでそれはあまり関係無いか。当時はそこまで描かれた漫画作品なんて読んだことなかったので驚いたという部分も大きかったように思う。今時のマンガ・アニメでもよく題材になる最終戦争的な物語とかが、既にとうの昔に豪先生が描ききっていることの驚きと、人が滅びるのは結局デーモンに滅ぼされるより、人が人を殺す形の自滅だというところとかのリアリティーが、当時「ハレンチ学園」で魔女狩りのようなPTAとかからの弾圧を受けていた、豪先生の実体験と恐怖が反映されているとかのエピソードを思い出して味わい深く読めた。まごう事なき傑作。

○押見修造「悪の華」11巻Kindle版 チョイネタバレ。前巻で久しぶりの仲村さん登場場面で引きで終わっていた。その仲村さん再登場シーンの背中の毛が逆立つような鳥肌ものの「仲村さん圧力」におしっこちびりそうになったので、ラストどういう痛い結末が待っているのか怖くてなかなか読み始められなかった。主人公やっと文学とかを語り合えるような理想の恋人を見つけうまくいってるのに、仲村さんの面影が断ち切れないし、それが分かるぐらいに恋人も鋭い。二人で仲村さんに会いに行ってしまう。バカか?こいつらはという感じだ。仲村さんは「本物の○チガイ」で「本物の何者」かで、その他大勢のおまえら二人が束になってもかなうわけないだろと思った。結果はわりとヌルいハッピーッエンドでめでたしめでたしでほっとしたんだけど、それゆえに誰にも手が届かなかった仲村さんの孤高の存在感と悲しさに心エグられるものがあった。

 悪夢はみなかった。

 

<2014.7.21>

 あいかわらずクッソ面白い高野秀行「世にも奇妙なマラソン大会」集英社文庫を読んでから、活字本は開高健「渚から来るもの」、池澤夏樹「カデナ」というどちらもたまたまベトナム戦争関係の読み応えのある2冊の同時読みに突入。しばらく時間がかかりそうな気配。

 マンガはコンスタントに読んでいる。面白かったのをいくつか。

○岡本倫「極黒のブリュンヒルデ」9巻kindle版 チョイネタバレ8巻ラストでカズミに死亡フラグが立ちまくっていたが、やっぱりという感じの結果でオジサン悲しかった。だがまだ慌てる時間じゃない、このマンガは致命傷の人間生き返らせたり時間巻き戻したりする超能力者がいるのでカズミも無事で「こまけぇこたぁいいんだよ!」と再登場することを祈る。血しぶき生首飛び散るグロい超能力バトルも売りの今作だが、落差で落とすギャグもキレる。BL三国志ネタ「我ら生まれたときは違えども、イクときは同じ!」とか腹抱えてワロタ。

○島本和彦「アオイホノオ」1〜11巻kindle版 フィクションといいながら、ほぼ作者の大阪芸大時代の自伝+同期の庵野監督の伝説。作者自身も相当面白いんだけど、庵野監督がほぼ全部持ってく。嫁さんが書いた「監督不行届」も傑作だったが今作も庵野監督伝説としてこれまた傑作になっている。庵野監督はとびきりの天才なのでやっぱり普通じゃない。作者は庵野監督の才能というかぶっ飛びぶりをみて、大阪のショボイ大学ですらこんなんがいるのに、東京とか出っていったらもっと凄いのがゴロゴロいるんだろうなと思ったらしいが、さすがに庵野監督レベルの天才は何十年に1人レベルですね。宮崎駿、富野由悠季、庵野秀明、押井守が日本アニメ監督四天王だと思うんですはい。

○こざき亜衣「あさひなぐ」kindle版 薙刀なんちゅうまたマイナーなスポーツを持ってきたスポ根モノ。何の才能にも恵まれていない主人公がひょんな事で入部して、個性豊かな先輩や同級生達と時に反発しながらも団結を深めていき、ユニークな指導者に導かれライバル達と切磋琢磨して友情努力勝利!という、スポ根テンプレをそのまま使ったような作品。しかしすごぶる面白い。スポ根モノなんてこれまでも佃煮にするぐらいに書かれてきたと思うし、これからも書かれ続けるジャンルだと思うが、面白い作品はこれからも生まれ続けるだろう。あさひなぐには昔のサンデーのスポ根の臭いがするような気がする。奇をてらって訳のわからん方向に突っ走るより、こういう真面目に丁寧にスポーツの楽しさや苦しさや喜びを描いた作品が結局面白いようにオレは思う。

○弐瓶勉「バイオメガ」kindle版 人造人間やらわけのわからん生物やらが未来的な技術の武器とかブッ放しまくるハードSF。同作者の「ブラム」でも同様だったが設定が難しいうえに台詞少なめで内容6割ぐらいしか理解できてないと思う。でも格好いいと思ったし、わからんなりにも楽しめたが、同作者の「シドニアの騎士」がハードSFな雰囲気はそのままに、萌えもギャグもぶち込んで、わかりやすくサービス精神旺盛に描いてくれているのがオレにはちょうど良い気がする。うるさ型のファンはシリアスな作風の多い作者がギャグモノ描くと「媚び売りやがって」とか批判しがちだが、怖い作品とか難解な作品とか描ける作者のギャグって独特の味わい深さがあると思う。オレは楳図カズオ先生のギャグも諸星大二郎先生のギャグも大好きだ。グワシ。

 

<2014.6.27>

○池澤夏樹「セーヌの川辺」集英社文庫 フランスフォンテーヌブロー在住時に書いたエッセイ。「異国の客」のその後。池澤先生の理屈っぽい文章はやっぱりどうしてどうにも好み。当然ながらフランスと日本との比較からいろいろと考えて論陣を張っているんだけど、自分ならどう答えるか、とか考えつつ堪能した。先生日本に戻ってきているようで日本で書いた作品も早く読みたいので文庫化かkindle化希望。

○開高健「渚からくるもの」kindle版 あまり読んだ記憶がない題名なので、ひょっとしたら未読かと思って読み始めた。所々憶えているエピソードがあって既読かもしれないが、ベトナム戦争物なので他の作品で書いているネタを憶えているだけかもしれない。いずれにせよ新鮮な気持ちで読み始めているのだが、もう久しぶりの開高節はタマランものがある。読み始めてすぐに、短い文節でたたみかけるような独特のリズムに酔いしれた。じっくり味わいたい。

○岡本倫「極黒のブリュンヒルデ」5〜8巻kindle版 アニメでは一番好きなスカジ編が飛ばされたので、最新8巻が出たこともあり5巻ぐらいから読み直した。スカジ編はやっぱり最高に面白い。

 以下ちょっとネタバレ、極黒は超能力バトルモノなんだけど、超能力使うのは魔法使いと呼ばれる謎の組織に改造された少女達で、スカジは組織の持つトリプルAクラスの最強の予知能力者。本来100%の予知などあり得ないが、モノを動かしたりはできないけど人に話しかけることはできる分身を未来に飛ばして、未来に干渉して予知を確実なモノにするという反則っぽい能力でこれまで100%予知を外していない強敵。こいつに居場所を予知されれば武装した強襲部隊に殺されるという状況で、魔法使いではない主人公の良太は、仲間の魔法使い4人と戦い抜く作戦をたてる。直接攻撃能力のあるクロネコの能力は使わず、超能力としては、カナの近くにいる人間の死ぬシーンだけ見ることができるショボイ予知能力と、小鳥の入れ替わりテレポーテーションだけを使いスカジを出し抜き生き残る。良太スゲーってなる。もう、種明かしされたときには、ホントに良くこんなトリック考えついたなという脱帽モノの頭脳プレーで作者天才だと思った。まあもちろんアニメ化されるようなマンガ描いている人間が天才なのは当たり前だが、ちょっと特別な才能だと感じるぐらいのレベル。ジョジョの荒木先生クラスだと思うんだけどどうだろう。で、その作戦のなかで重要な役割を果たすのがカズミなんだが、種明かしされるまで「なんで?カズミそんなことしちゃダメだ!」とハラハラさせられまくりな分、もの凄い「カズミでかした!」感を味わえる大活躍。この作品はハーレムラブコメモノでもあり、作者の評価がそこまで高くないのはそういう「萌え」的要素に目をとられがちで、それ以外の要素が今一評価されていない傾向にあるのかもしれないが、超能力バトルの面白さもありで、萌えもありでなにがイカンのじゃ一粒で二度美味しいだろうが、と思ったりする。良太ハーレム的にはメインヒロインはクロネコなんだけどかませ犬系ヒロインカズミはそっちでも大活躍で「恋の宣戦布告」やら「ラララ〜 ラブホ行かんか!?」やら「名誉の傷や」やら超楽しませてくれる。8巻ラストは敵のトリプルAクラスのネット操作能力者、ネット廃人で便所行くのがめんどくさくてペットボトルに用を足すいわゆる「ボトラー」のフレイヤを相手に同じくネット操作能力者のカズミが、自分がBクラスっていうのは常々不服であり相手にとって不足無し、という感じで、カッコ良く電脳戦に突入する引きで終わっているのだが、ストーリーが終盤さしかかったこの時点で、サブキャラが格好いい活躍の場をもらうのって、もうコテコテの教科書どおりの「死亡フラグ」で嫌な予感しかしないのである。まあこのマンガの設定上、良太以仲間全員死亡あるいはもっと極端に良太含め地球生物全員死亡でもおかしくないのだが、それでもオレは思う。死ぬなよカズミ。 

○「ガンスリンガーガール」kindle版 あまりファンだと公言しない方が良いのかなと思うアニメというのが自分の中にあって、でもまあ常々自分の好きな作品を好きだと言って賞賛・擁護できないようならオタクの名折れであると思って書いてもいるので、ここでベスト3を3位から公表すると、3位が「ローゼンメイデン」で、まあファンだというと人形フェチのロリコンだと思われかねないと思うのだが、この作品はアニメ見てもらえばあるいは原作読んでもらえば、結構多くの人にわかってもらえるだけの素晴らしさがあると思うので、既にアニメの「巻かなかった世界編」とかは昨年のエンタメベスト3でもカミングアウトしていて、まあこの程度はどうってことないともいえる。2位が「ストライクウィッチーズ」で、これはもうナンというか深夜アニメならではのバカバカしさ全開。魔法少女モノなんだけど魔法でエンジン動かすユニットを足に履いて、謎の敵生物と闘うので、ズボンとかスカートとかを履いて無くて下半身はパンツいっちょ(作中ではパンツといわずズボンと言っている)あるいはスク水着た魔法少女達が「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」ということで、普通に、個性的なメンバー達が最初反目しあったりもするけれど、試練を乗り越えて結束を高めて勝利していく的な王道を展開していて「馬鹿ノリで面白いッスよ」とまあお勧めすることは十分可能である。で第1位の今作だが、あまりにも設定が倫理上問題があるというか「どうなのよそれ?」と思わずにいられないの作品。でも背徳的で陰惨な部分があるからこその独特の迫力やら切なさはすざまじく心に刺さってくる。アニメ2期とも面白かったので原作マンガはkindle版でるのを待っていた。読む人を選ぶので、ある程度覚悟して読んで欲しいと書くけどハマると超面白い。

 以下ちょいネタバレ。内容は、イタリアを舞台に重い病気あるいは事故や事件に巻き込まれたりして体が使えなくなった少女達を国の諜報機関が親に誓約書書かせたりなんだりいろいろ工作して集めてきて、炭素繊維で強化された皮膚や人工の骨格や筋肉を与えてサイボーグ化し、ついでに薬で記憶を書き換えて洗脳し、コンビを組む工作部隊員に愛情(恋愛感情だったり兄弟愛だったりする)を抱き服従するように仕立てて、医療サイボーグ技術の開発に役立てるという建前のもと、特殊工作員として政府に敵対するテロリストを暗殺したりする戦闘マシーンとしてこき使うというお話で、見た目年端もいかない少女サイボーグ達が素手でも武器持っても軍人みたいな特殊工作員として切った張ったドンパチやらかすのは格好いいとしても、フラテッロ(兄弟)と呼ばれる相方の工作員にメロメロになっていたりツンデレっていたりするのは、正直引く部分がある。当然のことながら作中の人物もそういう非人道的な少女達の扱いに苦悩する描写が多く、納得できなくて内部告発しようとして口封じに交通事故を装って殺される工作員がいたり、サイボーグ技術も洗脳技術もまだ開発途上という設定でだんだんと脳の機能とかにダメージを食らってダメになっていくサイボーグ少女を見て自暴自棄になる工作員とか工作員側の苦悩も味わい深いし、サイボーグ少女側の10年以上もベットで寝たきりで自分の事を原因に両親が口論するのを聞き続けた少女が、毎朝起きてまず体が動くことに感じる喜びの切なさとか、生身の凄腕殺し屋にパンチでKOされて、命削って体サイボーグ化しているのに素手で倒されていては存在意義がないと落ち込む矜持とかも味わい深い。細かいところの伏線とか小道具とかも凝っていて、その辺も楽しめる作品である。少女と銃というのはそのまんまのタイトルの角川映画「セーラ服と機関銃」なんてのがあるぐらいにはまる人間にははまるコントラストのあるシーンだが、ペルー大使館事件で突入する部隊が使っていた楕円の円筒に引き金と銃口つけたようなP90とかを小柄な少女がぶっ放しているのはやっぱりとっても格好いい絵になっていると思う。一回服従を条件付けられた工作員は変えることができない設定で、告発し損なって死んだ工作員の使っていた少女サイボーグは、チームでの現場作戦には参加できなくなって、代わりに新しい関節とかクスリとかの人体実験を受ける毎日なんだけど、ある1日のプログラムに映画鑑賞というのがあって、単なる教育プログラムかなんかだろうと思って読んでいて、映画がフライフィッシングのシーンがあるので「リバーランズスルーイット」なんだなと思って、感想を「泣きたくても涙が出ない」「胸がいっぱいな気がするのに全然こぼれてこない」そんな気分だと言っているのも、一般的な感動の表現だと読んでいたけど、その話の最後のシーン一コマにもう一度釣り人が背景に出てきて、この少女は生前の担当工作員と普段はあまりしゃべりもしないけど、休日に2人で湖に釣りに出かけたときだけいろんな事をしゃべった、というエピソードが脳内検索でヒットして思い出されて、だからこそ、薬で消されたはずのその思い出がどこか潜在意識に残っているからこそ本人もよく分からない「泣きたくても涙が出ない」ような胸一杯の思いが湧いたのだと理解してちょっと泣けてくる。そして、映画を見せたのが単なる教育プログラムではなく薬の効き具合の検証であったというのも読み取れて、細かいところまで物語世界をつくってあるなと楽しめるのである。「なくした記憶が感じる哀しみ」とか、なんというか文学を感じる。

 

<2014.6.6>

 活字の本向けに脳のチューニングが戻ってきたのか、マンガ読みにあてていた帰りの電車でもここのところ活字本を読んでることが多い。最近のコンスタントに書き続けてる作家で当方が文庫版なりKindle版が出たら全部買う級のお気に入り作家は池澤夏樹、高野秀行、梨木香歩の三先生だというのが、積み上がった文庫本から見て取れる。まだ池澤本と高野本は積まれているので楽しみだ。それ以外の作家の本ももちろん面白いのいろいろあるので読まねばである。

○梨木香歩「f植物園の巣穴」朝日文庫 幻想小説のような、怪異譚のような怪しげ不思議な雰囲気のお話だけど、梨木先生得意の植物ネタが随所にちりばめられていて、そのあたりから作品世界に引きずり込まれたような気がする。堪能した。

○菊池治男「開高健とオーパ!を歩く」Kindle版 オーパ隊の一員として開高先生とオーパの旅を友にした菊池さんの、ガンを煩い残されたたぶん短いであろう人生の時間に、濃密で強烈だった若い日に経験したオーパ!を追体験しにブラジルを歩き、彼にとって「オーパ!」とは開高先生とは何だったのかということを求めさすらう旅路。文庫版で読んだ田舎のガキ(オレのことね)が、後の人生こんなになっちゃうぐらい影響される超弩級の作品「オーパ!」の旅を直に経験した筆者がどれだけの影響を受けたのか、もうもの凄い「とらわれている」というぐらいに影響受けてます。あたりまえだなそうだろうなと得心。開高先生ももちろん、ほかのオーパ隊の面々も鬼籍に入った人が多く、筆者のモノローグはそういった失った友の姿を思いおこす時、寂寥感が半端ではなく、人生終盤ってのはなかなかきつい事もあるんだなと思わされるが、その時に寂寥感だけではなく開高先生と確かに自分は旅をして充実した人生だったという思いも読み取れて、オレもそういう人生の終盤をむかえたいモノだと思う。友がいなくて寂しいのは、その友がいい友だったからに違いない。

○桜庭一樹「少女には向かない職業」Kindle版 「砂糖菓子」が面白かったので同じ作者の別の作品を読んでみた。やっぱり面白い。砂糖菓子と同様のグロテスク青春ミステリー的なお話だが、若い時に感じたどうしようもない破壊衝動的なものの書きップリが良い感じ。他にどんなの書いてるかウィキってみたら、この人直木賞作家やったんや。オノレの無知を恥じる。しかもアニメ面白かった探偵モノ「GOSICK」は原作この人やん。ちなみにタイトルは「となりの山田君」の人がノノちゃんの先生メインで描いてるマンガ「女には向かない職業」とたぶん元ネタ同じだと思ってググったらそのまんま「女には向かない職業」という海外ミステリがあった。桜庭先生の他の作品も読んでみたい。

 

<14.5.19>

 シャンタラム以降、積ん読状態の面白いのがわかりきってる活字本を、途中「甘ブリ」とか「SAO」とかシリーズ物のラノベを挟みつつ順次読んでいる。引き続き、行きの電車で活字、帰りの電車でマンガのパターン。

○池澤夏樹「星に降る雪」角川文庫 オレの苦手な恋愛モノ的な要素のある作品だが、池澤作品だとなぜか楽しめて、読めてしまう。2作品入っていて、後ろの修道院のほうが罪と罰的なテーマで特に面白かったけど、最初の作品も恋愛モノといってもオレのような「中二」な人間が大喜びしそうなニュートリノなんてのの話がネタになっていて、そういうとっかかりからスルスル読めるのかもしれない。オレ的「中二な光ベスト3」はセントエルモスファイヤー、チェレンコフ光、ルシフェリン・ルシフェラーゼ反応で、今作にはチェレンコフ光が地下のニュートリノ観測施設の水槽の中で光るイメージが背景にある。

○アーサー・ビナード「亜米利加ニモ負ケズ」 「平成の小泉八雲」は相変わらず絶好調である。英語表現と日本語表現の比較とか興味深く面白かった。「雨ニモ負ケズ」とアメリカの郵便局員のモットーの類似から、ネタ元かもしれないさらに古い詩に迫っていくあたりの面白さは、「2番煎じ3番煎じでも面白ければそれで良い、そういうのこそ文化じゃんよ!」と常日頃書いているオレの琴線にも触れまくった。でも1点、国際宇宙ステーションISSについて、たいした役に立つ成果も出ていないのに無駄に金を使っているという批判には、まあいろんな意見があって当然だがオレはまったく同意できなかった。科学と芸術にはワケ分からない「こんなもん意味あんのか?」と思うようなモノにもパトロンが金を出してやらないと壁をぶち破って進めなかったという事例が歴史的に沢山繰り返されてきている。何の役にたつか分からん研究でも、まあ経済的に許される限度とかはあり程度問題はあるんだろうけど、研究者の「知りたい」情熱には広めに投資しておくべきだと思う。例えば、クラゲの蛍光タンパク発見でノーベル賞取った下村脩博士の研究は、生物学の基礎的な研究としてそれだけで素晴らしい成果だといえるが、かといってクラゲが何で光ってるか分かったところで、それが役に立つ成果かというと別にすぐには役に立たない。でもその蛍光タンパクを病理組織のマーカーに使えると考えて応用技術を開発した研究者がいて、その技術は医学に多大な貢献をした。ノーベル賞は人類への貢献度合いを大きな尺度として測っている。下村博士はエピソード読むとものすごく勤勉で優秀な研究者だったことは間違いないと思わされるけど、他にも同程度の優秀な生物の研究者はいたかもしれない。でもたまたま研究成果が応用技術に繋がったかどうかでノーベル賞かどうかは分かれたはずである。賞に繋がるような役に立つ研究かどうかは、研究している時点では分からない。下村博士以外の優秀な研究者にも、ノーベル賞はあげなくても良いにしても、相応の評価と研究予算を与えるべきであるとオレは考えるし実際ある程度そうなっていると思う。研究についても最近は計画とか短期の評価とかが求められるご時世だが、そうであるからこそ「結果」のみを評価しないように気をつけなければならないと思うのである。いくつもの無駄や失敗の中からしか成功は生まれない。「成功」だけ効率的に計画的に得ることができると考えがちなのは、失敗したことのない「文系エリート」の典型的な愚かな思考パターンのような気がする。そう考える人が普通にいることは理解するが、オレ的には噛みつかねばなるまい。

○高野秀行「アジア未知動物紀行」講談社文庫 高野秀行は最高だ。そう何度でも書く。UMA(未確認動物)探しという高野氏本来の戦場でいかんなくそのバカバカしいまでの突撃力、分析力、探求心を炸裂させている。その情熱にオレはパトロンの一人として出た本買い続けて一票入れ続けます。UMA求めて退去勧告がでているアフガニスタンまで行くって具合のバカバカしいことを真剣にやっているあたりが素晴らしすぎる。「戦場の真実を世に知らしめるため」とかの使命感に燃えたレポートには絶対出せない路地裏の生活感が今作でも生き生きと感じられる。

○マンガも相変わらずキンドル版で読みまくり、幸村誠「プラネテス」、小池田マヤ「誰そ彼の家政婦さん」、加藤元浩「QED証明終了」、森末慎二原作「ガンバFlyhigh!」が最近読んだのでは面白かった。「プラネテス」宇宙モノで再読だが、最初の1話、ユーリのペンダントのエピソードがモーニングに掲載された時の、すごい新人が出てきたという衝撃をおもいだした。「誰そ彼の家政婦さん」はシリーズ第3弾、モーニング掲載のほのぼの四コマで知った作家の作品だが、本シリーズのようなドロドロした人の内面を書く作品も面白い。「QED」は探偵モノで、今時の少年探偵といえば金田一「はじめちゃん」と「コナン君」なんだろうけど、俺の愛する少年探偵はオレキホウタロウ君ただ一人と思っていたのだが、今作のトーマ君もちょっといいじゃんよ。マサチューセッツ工科大学(MIT)を飛び級で10歳で合格したけど、日本に帰国して普通の高校に入学しなおした天才児という肩書きで、天才ゆえの悲哀がちょっと影のある少年像を演出していて実にいいんである。トーマは萩尾先生の「トーマの心臓」から、QEDはミステリ界の大御所エラリー・クィーンへのオマージュなんだろな。このマンガ読むまでQEDって英語の「クエスチョンエンド」の略だと思ってたけどそれだとQEだな。正しくはラテン語quod erat demonstrandumの略だそうだ。オレの知識ってこういう勘違いいっぱいあるんだろうな。死ぬまでにいくつ訂正できるだろうか、まあ墓場まで持っていってもかまわんのだが。「ガンバ」は森末慎二原作の体操マンガ、これでオレがサンデーマイナースポ根三銃士と勝手に呼んでる「帯ギュ」「五所瓦」「ガンバ」をすべてキンドルで読み直したが、やっぱりどれも面白い。

 

<14.4.6>

○「シャンタラム」GD・ロバーツ新潮文庫 ケン一お勧めのこの厚くて熱い小説を、頭が疲れているとちょっと重すぎるので別の本を読んだりもしていたが、ここ半年ぐらいかけて朝の電車で読んできて金曜読了した。上中下刊のどれかの帯にこれを読んで心動かないヤツは既に死んでいる的なコピーが踊っていたが納得の内容、面白さ。主人公とマフィアのボスの哲学的な問答とか、一旦じっくりページを閉じて「自分ならどう答えるか」とか考えに耽ったり、理不尽な運命に心かきむしられるような気持ちになったり、血湧き肉躍る闘争、恋の駆け引き、男達の暑苦しいまでの友情、インド中心とした、旅人の日常、村人の日常、スラム民の日常、ギャングの日常、それらの対比、いろんな要素がそれぞれ独立しても楽しめるし、絡み合っていたり落差で胸に来たりと楽しめた。何というかそれだけの要素を短い小説に盛り込めば支離滅裂なモノになってしまうが、長編なのですべての要素が必要なモノとして書かれている感じで楽しめる。たとえるなら長竿のような小説である。長いのでバットががっしり芯が通っている感じでも、先が柔らかく、全体としては極端なテーパーでなくスムーズに仕上がっているような、使うのに体力はいるけどそういう長竿を振り回す楽しさに通じるような、長い物語を楽しむ喜びにあふれた物語である。

 ケン一は、「全編通してのテーマは、喪失感と自己確認と人間愛」と書いているが、他にも様々なテーマが含まれていて読む人によって、どのテーマが胸にくるかというのも違うのかもしれない。オレ的には自分の居場所を求める旅、男の友情、そしてやっぱり愛あたりのテーマが強く感じられた。「喪失感と自己確認」と「自分の居場所を求める旅」とは同じようなことの別の側面からとらえた表現のようにも思う。となると、男の友情がちょっと追加になってるぐらいでだいたい同じように感じたのかもしれない。オレが男の友情を大事なモノだと思っているので、主人公とプラバカルやアブドルの友情の崇高さというのが目についたのだろうか。

 以下ちょっとネタバレで、この小説で一番好きなキャラクターはプラバカル。インドに着いて「あなたは最高のガイドを見つけました。」とかいうヤツにあったら100%うさんくさく感じるだろう。それが、その言葉そのものに暖かな笑みを讃えた邪気のない善性の人間なのである、好きにならずにいられないキャラクター。逆に一番嫌いなのはカーラ、魅力的で男を振り回す女性そのものという感じで、裏切るし、人を信用しないし、そのくせ傷ついていて寄りかかってきて男を惑わさずにいられない。女性が苦手で紹介されるまでは知らない女性と口をきかない英国紳士のようなオレ的には近寄って欲しくない人種である。主人公はなんというかオレのようにケン一のようにだと思うが、自分が強くひとかどの男であることに誇りを持ちつつも、自分が弱くクズのような人間でもあることを知っていて、だからこそ、自分にないモノをもつプラブに強く友情を覚え、カーラを愛さずにいられなかったのだろうと思う。ラストちかくカーラとの愁嘆場が続き、嫌な感じで終わるのかと思ったら、最後プラブがらみのエピソードでこの長い物語が締めくくられて感動して、目頭熱くなるモノがあった。

 いい読書だった。

 

<14.3.30>

○「ましろのおと」1〜7巻羅川真里茂kindle版 昔(1989)、「サルでも描ける漫画教室」で相原コージ、竹熊 健太郎の両先生が、「紙面に音が描けるわけじゃないので音楽マンガは成功しない」と書いていて、読んだ時はなるほどなと思ったものだが、その後同じスピリッツ誌上で土田世紀「俺節」が連載されはじめてすぐに「そんなことないやんけ音楽マンガおもろいやん」と思わせられた。考えてみればグルメ漫画だって紙面に味が描ける訳じゃないけど普通に成立している。むしろそういう表現しにくいモノを表現してこその面白さってあるんだと思う。とはいえ、俺節は日本人の多くが共通の記憶として持っているだろう歌謡曲が多く出てくるし、たぶん音楽マンガ史上最高のヒット作である「のだめカンタービレ」でもクラッシックの名曲は結構読んでると頭に浮かんでくるはずだ。そういう意味で、俺節も「のだめ」も読んだら音楽が読者の頭の中で鳴ることを上手く利用して演奏シーンを読んで面白い作品に仕上げているのだと思うが、今作「ましろのおと」は「津軽三味線」が題材となっていて、例えば「じょんがら節新節」といっても馴染みが無くて上手く曲がイメージできない、にもかかわらず演奏シーンが死ぬほどカッコイイし音さえ聞こえてきそうなぐらいなのである。単に演奏するシーンを描写しているだけではなく、そこまでの過程や、人間関係、心理描写といったものの上手さがあわさって、津軽三味線というあんまり馴染みのない世界の物語に思いっ切り引き込まれてしまうのである。主人公の個人戦での演奏は目頭何度か熱くなるほどのものがあった。「何々は成功しない」「○○なんて不可能だ」という可能性を否定する言葉はこの世の中に沢山吐かれていて、その言葉は人間のやる気をもの凄く削っていく力をもっている。でも才能ある人間はそんな言葉を打ち負かして新しい世界を構築していく。素晴らしい音楽マンガだとしかいいようがない。今YOUTUBEで吉田兄弟やらの三味線聞きながら書いている。 

 

<14.3.28>

 「乙嫁語り」祝マンガ大賞2014!ということで森先生おめでとうございます。まあ、数年前からノミネートされていて、それで読んでみようと手にとってハマった作品なので、大賞取って当たり前ぐらいの評価の高い作品だったけど、それでも1ファンとして嬉しい気持ちだ。今回2位「僕だけがいない街」、3位「さよならタマちゃん」も既読でとても良いと思った作品なので、今回のマンガ大賞は割と世間様の評価と自分の評価が一致してしていたと感じる。結構世間様の評価と自分の評価がずれる時もあるのだけど、昨年の「海街ダイアリー」も試しに読んだらとてもいい作品だったし、天の邪鬼で世間様とズレたところのある当方だが、マンガの趣味に関してはここ数年は世間様と足並みが揃っている感じだ。といいつつも、世間様は全く評価しないであろう「昆虫探偵ヨシダヨシミ」のキンドル版が出たので早速楽しく読んだりしているのだが。

 

<14.3.21>

 正月明けてこちら、いまいち調子が安定せず、今週は床に伏せっていた。アイザックウォルトンもエドワードグレイも「釣りのことを語る時には自分の不幸を語らなかった」そうなので、釣りのコーナーではあまり体調が悪いだの何だのは語らないでおきたいと思うのだが、いかんせん人間ができていない当方の場合はこれまでもグチグチと書いてきたなと反省するしだいだが、まあ仕方ない。本のコーナーは元々公開するつもりでなかったころのノリを引き継いでいるので、わりとグチグチと思い悩むのがスタイルでもありご容赦願いたい。熱っぽく頭もスッキリしない中、なかなかスッと目に入ってきて読めるものを探すのに苦労もしたが、日がな布団の中で読みふけったなかからいくつか良かったモノを。

○「四畳半神話体系」森見登美彦kindle版 そろそろマンガも読みたい作品はだいたいチェックし尽くした感があり、文字の本で積ん読状態(実際に紙で積んである本とKindleにダウンロードして読んでないのとがある)になっているものから、軽めのモノをということでラノベも読みつつ、ちょっと前に楽しく視聴したアニメ「有頂天家族」の原作者のこの作品もアニメ化されていて面白いという評判があったので、アニメじゃなくて原作読んでみた。なかなかに楽しめた、人間結局どうしたって出会う人間とは出会って、多少紆余曲折あっても結果は同じになるという話なんだけど、確かにそうなんだろうなと自分の来し方を振り返っても思い当たる。釣り人はどうしたって釣り人になるというのをグレイ卿も書いてた。

○「アキハバラ@DEEP」石田衣良kindle版 直前にシュタインズゲートシリーズの「変異空間のオクテット」という同じくアキハバラを舞台にしたラノベを読んでたんだけど、ラノベはラノベで若いオタクそのものが書いているンだと思うノリが楽しかったが、石田衣良という「大人の作家」が書く、若いオタク達の戦いもこれまたとても楽しめた。「他人と上手く関われない」「欲望が希薄」等々といわれる若い世代の、その反面の「自分の楽しみを純粋に高く求める」「多くを手に入れなくても満ち足りることを知る」能力を、新しい世界を切り開く者達として作者が高く評価して、応援しているという気持ちがよく分かる。そういう思いを抱く時、自分も「大人」になったものだと思わされる。

○「鬱ごはん」施川ユウキkindle版 グルメ漫画というのはいつの時代も一定の需要があり、バブリーな時代には「究極」とかやってたように、時代の背景を色濃く反映させている。最近のグルメ漫画の傾向としては、やっぱり食べ物って誰と食べるかとかどういう思いを込めて料理するかとか、そういう人との関係性が大事だよね、というのがあると思うし、そうなんだろうなと当方も思う。「きのう何食べた」とか「高杉さん家のおべんとう」なんてのが愛読漫画の中ではそういう漫画だし、グルメ漫画というカテゴリーではないけど最近の漫画では「銀の匙」の食べ物シーンの読んでて腹が鳴る度合いは頭抜けていると思う。銀の匙では農業高校の授業や課外活動で食料生産の根本的なところから食べ物のエピソードが立ち上がってくるので、「選別からはじかれたジャガイモの丸揚げ」なんていうなんてこと無い食べ物に破壊的なまでの「うまそう感」が生じている。ひるがえって今作だが、あまり旨そうな食べ物は出てこない。都会のフリーターの主人公が、毎日食わなければならないのかと思うとうっとうしい、と食の楽しみなど全否定する台詞を吐くわびしい食風景である。コンビニ飯、牛丼屋、ファミレス等々、我々、都会のワーカホリック達にもお馴染みのというか、もの凄くリアルにお世話になっている食べ物たちである。これが不味ければそれはそれで「不幸」という味が出てくるというモノだが、主人公も言っているように特別旨くもないけど不味くもないのが始末に悪い。安い上に不味くないのでそれで満足してしまうというところに、主人公のフリーターで幸せでも無いけど、食うのに困るわけでもなく定職に就く気にもなれないという、まさに「今時」事情をもが映し出されたグルメ?漫画になっている。主人公の皮肉な視点とそこにさらにツッコミをいれる幻想のクロネコが甘くない現代の食事情を、見たくもないので目を背けている事実を見せつけてきて切なくなるのである。牛丼250円だかで食う度に、それなりに旨くてそれだけの安さをキープするためにどれだけの労働者が低賃金に泣いているのか、まともな値段の飯屋がどれだけつぶれてるのかとかとか考えると陰鬱な気分になってしまうのを止められない。そういう歪んだ食い物こそが、それでもそれを食わずにいられないということが、今の時代なんだなという気がする。

○「ポーの一族」1〜5巻萩尾望都kindle版 キンドル版がでてたので、そのうち読もうと取っておいたのを今読んでいる。5巻まできて、もう少しで読了する。1972年にスタートしたということは当方の生まれた次の年に書かれはじめているわけだが、初めて読んだのは中学生の頃だったと思う。姉の本棚のを勝手に借りて読んだ。なんかそれまで読んでた少年漫画とは違って「文学的」な雰囲気のある漫画だなと感心しながら読んだ記憶があったが、吸血鬼の一族のアランとエドガーが永遠の命をもつなか、いろんな時代を旅していくようなストーリーだったということぐらいしか憶えてなかった。今読んで、「今でもまったく古くない」という陳腐でありがちな賛辞が恥ずかしいぐらいのすごい漫画であるとあらためて思う。後に、延々と漫画に限らず他の作家達に永遠の命を持つ者の悲哀というテーマで書かせたであろう影響力とか考えると、最近は「カリスマ」の次に流行がきてこれまた陳腐になってしまった「神」という言葉が、この作者にはやっぱりふさわしく、まさに「少女漫画の神」萩尾望都を堪能できる永遠の名作だと思う。40年経っても色褪せない魅力は、これからも何十年も、何百年だって、やっぱり色褪せないのではないかと思う。

 

<14.3.9>

 「かわればかわるほどいよいよ同じ」という開高先生お得意の言い回しが胸に去来する、この頃の読書。

○「フライ・フィッシング」エドワード・グレイ 講談社学術文庫 19世紀末に書かれた英国のフライフィッシングの本なんて、読んでおもろいんかいな?あんまり古い話されても今時とはちょっと違うよね、だいたいオレってばあんまりフライは真面目にやってないからフライフィッシングの話についてけへんのとちゃうやろか?と思いつつも開高先生監修となっているので、まあ暇つぶしにと読み始めた。

 もうね、第1章「はじめに」で「私の目的は釣りの技術を教えることではない。しかし、もし私に専門家になろうという野心があるとしたら、釣りの楽しみについての専門家になりたい。釣りの腕前ということなら誰にゆずってもよいが、釣り人としての名声が上手下手ではなく、釣りへの愛着、釣りの喜びによって計られるとしたら、私は釣り人達の間で高い地位を占めたいと思う。この本の主な目的も、この喜びについて語り、その喜びの特質や価値を説明することにある。さらに、釣りという人類の知る最高のリクリエイションを持つことをなぜわれわれ釣り人が祝福するか、それを話したいのだ。」ときた日にゃ、不肖私、平民出のしがない釣り人ではございますが志は同じでございますグレイ卿!あなたと同じ思いで100年を超えた未来の東洋の端っこの島国の釣り人がインターネットたらいう便利な媒体を使ってこうやってグチャグチャと書いております。と、時空を超越した釣り人どうしの連帯感を感じて、1日のもっとも哲学的な時間である朝のクソをひり出す集中した時間をこの好著を読み心を釣りをめぐる思索にあてることとして、はや数ヶ月。読み切って釣り人として、「オレは釣り人でつくづくよかった」と豊かな心持ちに浸るとともに「かわればかわるほどいよいよ同じ」と洋の東西、時代の過去未来問わず、釣り人が感じる幸せや、苦労やなんやかやは一緒なんだなと深く得心した。

 釣りって魚だけじゃなくて周りの鳥や草木や川や風も含めて楽しんだ方がいいよ、とか、仕事もあるからリクリエイションとしての釣りも楽しいんだよ、とかいちいち御説ごもっともですな感じで、「釣りに関する理論で私が完全に自信を持てるものがたった一つある・・・釣りについて何を言うにしても「つねに・・・である」、「けっして・・・ではない」という二つの言葉はまったく的外れだということである。」は当方が割とよく使う「釣りに100%は無い、逆に0%っていうことも無い」という言い回しが100年前には言われてたのを知って、当方の言いたいようなことはとうの昔に言われているんだなとちょっと残念にも思ったが、それでも今も今後も形を変えて語り部を変えて語られ続けなければならない真実の一つのようにも思った。

 「間違った毛鉤をほんとうに巧く振り込んで流す方が、正しい毛鉤でぶざまな振り込みをやるよりはましだ。」とか、「釣り人は多くの新しい釣り具を探し求めてきた。ところが人生はあまりにも短く、われわれにその一部しか使わせてはくれない。こんにち、釣り具について述べるのは、我々が携帯する必要があると考える釣り具の量を増やすためではなく、むしろ減らすべきだからである。」なんていうのは、100年前の「こんにち」よりさらに物があふれた21世紀の「こんにち」の方が心しておかなければならない警句になっているのではないだろうか、と増えて仕方のない我が家の釣り具を鑑みても思ってしまう。

 「予想もしなかった大きな魚をばらした少年の苦痛がどんなものであるか、われわれの多くは知っているはずだ。その絶望で一生がめちゃめちゃになってしまったように思え、過去の楽しい想い出はきえさり、現在の失敗を償い得る成功など将来あるわけがないと思う。(中略)もっと年がいってさえ、ひじょうに大きい魚をばらしたら、平気でいることなどとても望めない。堪えられないことを完全に堪えることなど、誰にもできはしない。」などというのは、先日もかけた魚をばらしたばかりで不調に苦悩する身としてはなかなかに心に染みる慰めだ。

 他にも、「フライフィッシングの」というよりは「釣りの」楽しみ方や、哲学やらが書かれているので、フライマンはもちろん、「釣り人」とはどうあるべきか「釣り」を楽しむというのはどういうことか?などと思い悩むような、当方のようなあなたのような釣り人すべてにお薦めしておきたい。

 最後に訳者あとがきがあるのだが、ここで西園寺先生が、釣りや自然を心から愛し楽しみながらも、社会的な責務を全うするために外務大臣まで勤め上げたグレイ卿と比較して、釣り場にいながら釣る気もなくまっすぐなハリを垂らして釣りをするふりをして出世した太公望を「釣り人の風上に置けない俗人、外道」とこき下ろしていて痛快であった。

 釣り場に出たら、心の底からの「釣りたい」という思いを解放して、魚を釣るために力一杯闘いそして楽しむのが釣り人である。釣れなきゃ悔しがる。洋の東西問わず過去も未来も現在もである。

 そうですよねグレイ卿。

 

○「ヴィンランド・サガ」幸村誠1〜13巻kindle版 キンドル版13巻がでたので1巻から読み直した。始まった頃は少年マガジン連載で「プラネテス」の作者がとんでもなく面白いヴァイキングの歴史ものを描き始めたと刮目して読んでたけど月刊アフタヌーンに移籍、続きが気になってたけど読めていなかった漫画の一つだった。

 ベースの物語としては11世紀ごろのデンマークのイングランド侵攻の戦いがあるのだが、このデンマークのいわゆるヴァイキング達の殺戮と略奪っぷりがすざまじくて、少年誌から移籍したのはその残酷な表現からかと思っていたが、いまウィキったら作者の描くペースが週刊には間に合わなかったというのが大きかったようだ。確かにこの人も描き込みが細かくて、戦乱シーンとかもうどんだけ人描くねンとおそれいる。迫力あるマンガである。

 そういうマンガ的血湧き肉躍る描写も楽しめるんだけど、何というか「人はなぜ争うのか」「平和とは平等とは自由とは」というテーマも結構力一杯描かれているので、いろいろと考えさせられる。大国のエゴとか、勝ったモノが「勝ち」という結果とか、貢ぎ物で難を逃れる農園主とか、奴隷労働とか、いろいろ描かれていてヴァイキング達が暴れまわっていた時代が野蛮で残酷にも見えるのだが、よく考えると「ちがえばちがうほどいよいよ同じ」というのを、ロシアが相変わらずの「おそロシア」ップリを全開にクリミヤ半島ぶんどりそうなのをみるにつけ、ここでも感じざるを得ない。アメリカがロシアを非難しているけど、まあブッシュ政権時だったとはいえアメリカさんも「大量破壊兵器がある」とかイチャモンつけてイラクに侵攻したでしょ?マンガの舞台でも税収難を解決するためデンマーク王が農地を接収するために農園主にイチャモン付けて罠にはめるんだけど、なんかもう11世紀も21世紀も一緒ジャンよ、人類歴史に学んでないジャンよという感じがする。社会生物学的にみて「武器も持たない争わない」なんていうヤツらは集落でも国でも、略奪されて終わりなのは目に見えてるので、そういうヤツらは生き残れなかったという理解でたぶんある程度あっていて、まあ、ロシアだのアメリカだの資源も持ってて軍備も強い「強国」が、世界を牛耳ってるんだろうと思うけど、もう少し、社会生物学的な最適解という噂もある「売られたケンカは買うけど、自分からは攻めない」というのがスタンダードな世界に人はなれないものだろうかとオレは嘆くのである。ガンガン開拓して富を増やしていく農園主の老いた父親が「必要以上の富はろくでもないものを呼び寄せるだけだ」という警句を吐いているが、人間誰しももっと良い暮らしがしたい、いざというときの蓄えも多い方が良いと考えるのが普通というもので、なかなか「必要なだけの富」で生きていくのは難しいのだろうと思う。だから、結局富を求めて争いは絶えないし、奴隷労働も無くならない、人は幸せから遠ざけられる。11世紀の働いた分飯が食える奴隷と今の普通のサラリーマンと本質的に何が変わったというのか?足枷は無いだろうけど、国が作った規則やら何やらで自由は狭められ、飯食うためにはきつい仕事もこなさねばならず、程度は違うかもしれないけど同じだと思う。オレは奴隷だ、働いて制限付きの自由な時間を買っているに過ぎない、と思うのは悲観的すぎるだろうか贅沢だろうか。

 まあ、そういう戦下でも奴隷の身分でも幸せとかそういうものはあるというのが救いだろうか。以下ちょいネタバレ。

 13巻では、主人公達が奴隷として働く農園の農園主お気に入りの女奴隷が、他の農園で見張りや主人をぶった切って逃げてきた元夫とともに逃走を図る。主人公とその友人も手助けするが、それは失敗に終わり、女奴隷は王に罠にはめられて絶望していた農園主に「裏切り」を攻められ、棒で打ち据えられて瀕死の重傷をおう。死の間際で彼女は三途の川を渡り掛かるのだが、主人公達に「よくしてくれたお礼だけ言いたくて」と意識を取り戻してから死ぬ。主人公の友達は女奴隷のことが好きだったのだが、恋敵である元夫との逃走を、バレれば処刑されるにも関わらずに無償の愛で助けていたのである。こういう浪花節に最近弱くなった。泣けた。

 戦争とか奴隷労働なんていうクソなものも人間の行いだが、無償の愛なんていう素敵なものも人間の行いとして、今も昔もこれからもある。だからオレたち人間は生きていけるような気がしている。

 なにげに、当時のイングランドとウェールズの地図が載っていて「フライフィッシング」にもイギリスの地図がのってたので、呼び方変わろうと同じあの島が舞台なんだなと「意味のある偶然の一致」を感じた。

 

<14.2.16>

 大雪が降って外に出られないという事情もあったが、金曜から体調悪く寝込んでもいた。この機会にそろそろラスト近い「シャンタラム」読み切ろうとするが、熱でボーッとした頭にイマイチ言葉が入ってきてくれずに、あきらめてひたすらマンガを読んでいた。とりあえず「それ町」再読でマンガは無理なく読めそうだと判明したので、1巻買って面白かったら続巻買ってというトライアンドエラー方式で面白いのを探した。こういう時、電子書籍は極めて便利。外に行かなくても買える。まあアマゾンで買えば本屋に行かなくても買えるが、入手は次の日以降になってしまうが電子書籍なら数分のダウンロード時間でゲット可。結構な数読み散らかしたが良かったのは、「ハクメイとミコチ」妖精さんポイ生き物の日常系だが描き込みすごくて独特の世界観が良い感じ。「千年万年りんごの子」2巻までだが続きが気になる。「機械仕掛けの愛」は泣かせる方の業田良家でベテラン安心の良作。「罪と罰」はいつものババアのチチと階段落ち+トラックという様式美さえ感じさせる最低の画太郎先生品質、コメント欄が罵詈雑言に近いようなメタくそなコメントながら☆は5つついていたりして画太郎ファンはこの最低さをこそ求めているのだなとひそかな連帯感を感じる。その気持ちよく分かる。でもって一番良かったのが森薫「エマ」全10巻、「乙嫁語り」が面白いのは、当方が最近カザフエリに国名を変えると発表あったカザフスタンに行ったことあって、中央アジアに今も憧れと興味があるからだと思っていて、森薫代表作というか出世作の今作は、古い英国、メイドと裕福な商家の息子の身分違いの恋ということで、そんな乙女チックな話はイマイチおっさんには楽しめないんじゃねえの?とおもいつつもキンドル版が出たので試しに読んでみた。もうね、「ローマの休日」観る前と観た後とほぼ一緒の感じ。40過ぎのオッサンの中にある乙女な部分が目を輝かせて「素敵!」と絶賛。うっとりしちゃう。乙嫁語り最新6巻も買ってあるし森薫はオレ的「出たら買う作家」に登録である。

 

<14.2.14>

○「フルメタルパニック」賀東招二kindle版1〜12巻、「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」桜庭一樹kindle版、ラノベ読む勢いついてしまいいくつか読んだ中で再読だけどやっぱり「フルメタ」と割といい評判聞いてた「砂糖菓子」がとても楽しめた。ライトノベルっていうカテゴリーはまあいろいろ定義とかあるんだろうけどぶっちゃけ「電撃文庫」「ガガガ文庫」「富士見ファンタジア文庫」とかのラノベレーベルから出てればラノベだと世間様は認識しているようで、まあそうなんだろうなと思う。主な購読層としてティーンエイジャーを想定しているので、少年漫画的な乗りの作品が多くエエ大人が読むもんではないという評価もあるが、少年漫画でもエエ大人が読んでも面白いのがあるのと同様、ラノベもいろんなのが書かれていて結構大人が読んでも面白いのはあると思っている。いつでも何でもそうだと思うがカテゴリー分けなんてあんまり気にしなくて良いと思う。「砂糖菓子」はミステリー系の青春ものなんだけど、若い時に読んでおくべきだった(オレの若い時には書かれてなかったけど)と思わされる感じで、多感な思春期の少女少年達の心の動きとかグロテスクな美しさのある文章で書かれていてちょっと感動した。現国の教科書とかは思春期にはヘッセの「車輪の下」とか漱石の「こころ」とか読めと薦めていたが、どちらも全然ピンとこなかった当方的には、同じ教科書的作品にピンとこないサイドの若い人には「砂糖菓子」とか「コインロッカーベイビーズ」とかを読んでおきたまえと薦めておく。人と機械の違いは何なのかなんてテーマは、ふた昔前の知識人ならデカルト先生とかパスカル先生あたりの哲学書でやっつけたんだろうけど、一昔前のインテリなら「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」とか「2001年宇宙の旅」あたりのハードSFでやっつけてたんだろうし、われら今時のサブカル野郎共はラノベで結構やっつけている。以下ちょいネタバレ。

 当方が人工知能(AI)が心を持つかとか考える時に真っ先に頭に浮かぶのが、ソードアートオンラインとフルメタで、フルメタ主人公機の戦闘支援AIの「アル」はこの物語の登場「人物」で当方一番のお気に入りである。フルメタはロボットモノなのだが主人公が搭乗するロボットは一時的に乗っている機体もチョコチョコあってそいつらは量産機なんだけど、メインで乗ってる一代目のアーバレストと二代目のレーバテインが主人公専用機。これは実験機で1台しかない機体で一代目が敵に破壊されたときもAIは回収して二代目に移植している。アルはAIとしても、主人公との関係から学習していくとともに、ネットやらTV、ラジオなんかからも自立的に情報を仕入れながら進化していくユニークな機械なんだけど、主人行機に搭載されている、人の精神を力場に変換して攻撃したり防御したりという兵器「ラムダドライバ」の制御にも関係する特別なAIとしても描かれている。描かれているんだけど、このAIが最初、テンプレな感じの「機械的」な受け答えしかできないのが、そのうちジョークを言いはじめ、クソ朴念仁な主人公ソースケと良い塩梅の掛け合いをやりだし、そのうち単なる戦闘支援AIというより相棒と呼ぶにふさわしい関係になっていく。一代目のアーバレストの時に敗北を喫した敵機のことをもの凄く根に持っていたり、最後二代目も大破してAIだけ生き残った状態で次の機体はもう作る予定がないと聞いて「では、車にでも積んでください。車種はトランザムを希望します。」なんていうアメリカンな感じのジョークをかますなど、ホントに人間くさくていいやつなんである。ジョークのネタあかしなんてのは無粋の極みだが、なんでトランザムかというのが分からん人は「ナイトライダー」をググってみて欲しい。オッサン世代ならアメリカンジョークをいうAIと聞けばナイト2000のAIを真っ先に思い出すはずでオッサン世代なら分かるネタなのである。ついでにアーバレストの型番は「ARX−7」で、「ハイハイRX−7、サバンナ、サバンナ」という感じで作者が車好きのオッサンだというのも分かる人間ならわかる。そしてフルメタ最終巻では、主人公ソースケは無事ヒロイン千鳥を救い出し、因縁の相手2人を倒すのだが、脱出が間に合わず核ミサイルの直撃する基地に置いてけぼりを食らう。そこでコックピットも壊れた状態のレーバーテインに積まれていたアルが、最後の最後で「覚醒」して劇的に危機をしのぎきって「人間の証明」をやってのける様には打ち震えるようなカタルシスを感じた。

 ネズミにニセの記憶を植え付けることに成功したとか、コンピューターソフトが将棋の名人に連勝したとか、最近の情報系の技術の進化を見ていると、アルのような魂を持ったAIはきっとそのうち実現して、結構楽しい関係が築けるんじゃないかと期待を込めて思ったりするのである。

 

<14.2.4>

 賀東先生モノが続いているが、フルメタルパニック全巻短編含めキンドル版で買い直してしまった。シャンタラムのアフガニスタン編よんでたら、「そういえばフルメタのソースケはアフガンゲリラ出身だっけ、なんでロシアスペツナズ出身のカリーニン少佐が父親代わりなんだっけ?ガウルンは元敵だっけ」とか気になってちょっと読み始めたら、「こりゃアカン、オモロイわ!また読みなおそ」ということになってしまって本編全12巻ぐらいと短編10巻くらい買って、半分ぐらい読んだ。なかなかシャンタラム読みおわらんぞな。そんな中でも、マンガも読み続けており「頭文字D」とか「シグルイ」とかもおもろかったけど、4コマでなかなかに面白いのを見つけたので書いておきたい。

○「ナンバーガール」1巻谷川ニコkindle版、日常系学園4コマというのはジャンルとしてあって「らき☆すた」とか「けいおん」とかが代表例なんだろうけど、まあ、パターンとしては元気、ツンデレ、クーデレ、優等生、天然、不思議ちゃん、他諸々(1人にいくつかの要素を付与している場合有り)にキャラ付けされた4人組のメンバーが学園中心に日々の出来事のほのぼのとしたエピソードを展開する緩めの作品群である。今作登場する中心メンバーは4×4の16名。しかも近未来っぽい設定で全員クローンで1から16までの番号で呼ばれている。培養槽で育てられて小学生ぐらいの体格と知能、知識を持って学園生活を始めるのだが、クローンなので最初皆同じで個性が無く、みんなクール系の天然系。そのあたりを落ちにつなげていくのだが、回が進む毎に、ちょっとしたエピソードから個性が生じてきて、髪を団子にしている4、ショートの12、リボンの13、牛乳ばかり飲んでる6、悪さをして先生にとっちめられることの多い2。服のセンスが悪い10、賢い7、などなど、一卵生の双子でも育っていく過程でキャラクターはおのおの違ってくると思うが、そのあたりの成長と変化の現れ具合が16人のクローンでワイワイと表現されているところが上手い感じ。かつ、イマイチ社会常識がない16人の女の子達のシュールでバカバカしい日常はなかなかに楽しげで、キャラクターもそんなに凝った造形ではないシンプルなデザインなんだけど可愛らしくて良い。アニメ評判良かった「ワタモテ」と作者同じだが、今作の方が好みである。SFや不条理ギャグとしてもなかなかに侮れない実力派という感じ。まだ1巻だけど引き続き楽しみに読みたい。

 

<14.1.6>

 年末年始、旅の途中で、釣りの前日興奮で眠れない夜にマンガ沢山、ラノベちょっと読んだ。

○「甘城ブリリアントパーク」2巻賀東招二kindle版、「フルメタルパニック・アナザー」6巻大黒尚人kindle版 ラノベ2本。賀東招二ものはアニメ脚本でもラノベでも監修でもだいたい好き。面白い小ネタ含め書くこといっぱいあったはずだが既に忘れている。ラノベはそういう気楽に楽しむモノだと思うが、そんな中でもグッと考えさせられるようなエピソードもあったはずだが、年末、行きの新幹線で読んだので既に忘れちまった。またそのうち読みなおそう。アナザーの方は賀東先生の代表作「フルメタ」の外伝ものを新人に書かせるという企画で、「本人書かなきゃつまんねえんだろ」と懐疑的に感じたのだが、1巻読んで「こりゃ当たりだ」と判明。なんでも賞の応募者の中で選に漏れたけど、武器関係の描写が妙に上手いやつに賀当先生目を付けて書かせたらしい。売れ行きも好調で新人しっかりチャンスをモノにしたようだ。頑張って面白いの書き続けてくれ。一票入れます。

○「まりかセヴン」1〜4巻伊藤伸平kindle版、「女子攻兵」1〜3巻松本次郎kindle版 巨大な女子高生が闘うという2作品。系譜としては吾妻ひでお先生の「ななこSOS」からの流れか。なんてどうでもいいけどバカ面白かった。「まりかセヴン」は、まああれだ大人の事情でセ「ヴ」ンになってるけど「ウルトラセブン」のパロディーギャグマンガ、バカな女子高生がいい加減な宇宙人セヴンに乗りうつられて怪獣と闘うバカバカしい作品だが、扉柄の影絵のどうにもウルトラマンな感じとか、もうオッサンホイホイそのもので超楽しめる。ヘビの怪獣がナジャスっていうのはコブラの学名由来、対決するカエルの怪獣がジライヤーというのはガマに乗ってあらわれる忍者児雷也由来の名前とか、小ネタの仕込みも充分でギャグも切れ切れで続きが楽しみである。「女子攻兵」は松本次郎独特の電波でキッチュでサイケでちょっと難解で面白いSFもの。異次元への入植者が独立を求めて闘う戦争で、女子攻兵とよばれる巨大な女子高生型の次元兵器に乗り込む主人公達の、現実と妄想と狂気が混在する世界。女子攻兵のメールに絵文字付きで送られてくる謎の情報を追う主人公の「自分は狂っているのか、正気なのか」という問いは古今東西テーマにされてきた人の根源的な「自分は何ものなのか」という問いとほぼ近似であり、松本次郎先生独自の答がどう示されるのか続きが楽しみでならない。

○「霊媒師いずなAscension」1〜5巻真倉翔、岡野剛kindle版 「地獄先生ぬーべー」のコンビがぬーべーの脇役だったイタコの血を引くいずなの活躍を描く第二シーズン。いやもう、ぬーべー読んでたオッサンなら間違いなく楽しめるだろうという面白さで、笑いあり涙ありお色気アリで青年誌掲載なんで、エッチな表現はやや過激だけど、疲れたオッサン達を応援してくれるようなエピソードもあり、時事ネタをエンタメに昇華してくる感じとか石田衣良先生の池袋ウエストゲートパーク並みに面白いと思うし、単純に勧善懲悪ではなくて、「呪い」使いのライバルの「必要悪」に勝てない、自分の正義が揺らぐ感じとか、たぶん意識してると思うけどブラックジャックのキリコとの関係みたいで味わい深くて、もっと話題になってもいいのになと一ファンとして思う。これ名作だよ、オレの中では絶対。

○「それでも町は廻っている」1〜10巻石黒正数kindle版 旅の友として失格級の面白さ。帰りはゆっくり寝て帰ろうと贅沢してグリーン車とったのに夢中になって寝る暇無かった。アニメ版を視聴していたときは、「紺先輩かわいい」というネット上の評判に「激同」と思ってみてた。まあ、ゆるい日常系アニメに謎解きミステリーの要素ありぐらいの感じで見ていたが、原作はさらにオレ好み、SF展開有り、ファンタジーあり、謎アリ、パロディーとか小ネタも有りで超楽しめる。紺先輩は金髪ショートのクーデレ系で原作でも良いんだが、主人公の弟タケル君のガールフレンド「エビちゃん」が、これがとっても良いツンデレ系であった。いろいろスペック高いツンデレちゃんなんだけど、なんとスタンドも出せる。スタンド名は「アイアンメイデン」。もう、最高ですわ。まあ一番可愛いのは利発な弟君なんだけど。

 

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