○「本のページ」第9部 −ナマジの読書日記2015−

 

 2015年もダラダラと更新していきます。

 

<2015.12.18>

○桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」 最近の若い作家ではお気に入りの作者の長編。「宗像教授」っぽい製鉄業のルーツと謎の山の民「サンカ」とかも絡んだ、日本近代史を赤朽葉家の3世代の女を通じて描き出す。解説で3世代の女を通じてという文学作品は「百年の孤独」とか「女系家族」とかたくさんあると例示されていたが、池澤夏樹の「静かな大地」も思い出される。3世代あると時代の流れのダイナミックさとか、それぞれの代の個性の違いとかもあって飽きずに読みごたえたっぷりと楽しむことができた。これまで若い読者を対象とした感じの若者の描写の独特のセンスがいいなと思っていたが、こういう作品もかけるんだという感じ。まだ読んでない作品多くあるので楽しみにしたい。

○ジェラルド・ダレル「積みすぎた箱船 」英国の古典的なナチュラリスト作家。いくつか読んできたが、彼の名言「ナチュラリストの幸せな点は、サバンナのライオンの狩りにも、庭の石の下のダンゴムシにも等しく感動できることである」が紹介されているのをどっかで読んで、なるほどそうだよネと感心したのが読むようになったきっかけであった。今作ではまだ植民地支配の残る時代のアフリカにイギリスから珍しい動物やら鳥やらを集めに行く採集紀行で、当時の世界中から珍しいものを集めていた「コレクター」の古き良き時代の雰囲気が良く伝わる。今なら保護動物だったりして全くできないような採集の方法で力一杯宝の山のアフリカを楽しんでいる。それは夏休みに昆虫採集にかけずり回った少年の日の純粋な喜びを彷彿とさせる。今でも「コレクター」の世界は蝶など昆虫や鑑賞魚の分野ではあるし、もっと企業的、科学的にプラントハンターや遺伝子ハンターなんてのもいるが、ダーウィンとウォーレスやらに代表される生物学や博物学の基礎を固めた時代の熱狂はすでになく郷愁を誘う。すべてが手つかずだった、まだ開けられていない宝箱の時代の残り香。

 

<2015.12.3>

○二瓶勉「シドニアの騎士」15巻 前巻までで最終決戦前にいっぱいいるヒロインのうち「彼女が本命かよ二瓶先生!」とビビらされつつ結ばれるという、あるいみ死亡フラグっぽい展開、からの予想外の展開もありで最終巻前にして盛り上がりまくっていたが、決着の15巻はもっとぶっ飛んだ展開もあるかと思っていたが、わりときっちりハッピーエンドで大円団。主な登場人物すべてに最終決戦の戦闘シーンでは格好いい見せ場が用意されていてそれぞれ超盛り上がった。ギャグ担当でヨゴレな役もこなす名脇役のツルウチの格好いい見せ場とハッピーエンドすごくうれしかった。ヒロインズのあぶれ組の結末でちょっとやっぱり二瓶瓶ならではという驚きの結末もあってそれもまた最高だった。連載終了時にネット上に「悲報 シドニアの騎士連載終了!」というスレがたっていたのに象徴されるぐらいに終わってしまうのが惜しい物語だったが最後まで楽しませてもらいました。二瓶先生次回作も期待してます。

○浅野いにお「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」1〜3巻 3巻が出たので1巻から読み直してみた、前回読んだ時はなかなか面白いマンガが出てきたなという感じだったが、今回パソコンでキンドル版のマンガが読める無料ソフトを使って大きめの画面で読んだら、この作者実はすざまじい画力だと気付いた。空にデッカイ円盤が浮かんでるんだけどそのメカメカしい描写とその下にある都市の景観を見開きで、これでもかっていうぐらいに書き込んであるのはなかなか迫力がある。必ずしも書き込みがすごくて緻密な絵がマンガ表現として優れているわけではないと重々承知だが、それでもここまでの画力はそれだけで魅力である。空にデッカイ円盤が現れて交戦して甚大な被害が出るんだけど、それが日常化してある程度対策も取られるとなんとなくうやむやと忘れられて行く様が、震災復興を食い物にしているような現実世界を皮肉っているんだと思うが、なかなかに視点としても鋭くて、その中で登場人物の日常やら苦悩やらも描かれていくんだけど、センスがあるなと感じさせられる。ギャグもイイ塩梅で切れている。今時の若い人のギャグのセンスだなあと感心する感じで古くさくない。あまり長期連載にならないような伏線の張り方だけど結末が楽しみである。 

 

<2015.12.1>

 再読モノも引き続き読んでいるが、積んでいた文庫本もセッセと読んでいる。そんな中からいくつか。

○池澤夏樹「氷山の南」文春文庫 水問題を絡めた海洋冒険モノという感じだが、そこは池澤先生なのでいつもどおり理屈っぽくて楽しめた。題材の一つにアイヌやアボリジニといった「先住民族」のアイデンティティーというのが出てきて、色々と考えさせられる。まあ、今時「先住民族」といったって消費文明との接触が無いのは、ひたすら他の文化との交流を避けているインドネシアとかアマゾンとかの奥地の部族ぐらいで、他はマサイだろうがイヌイットだろうが、既に大量消費文明の影響を受けて、昔ながらの文化は失いつつある場合も多い。そういう状況だから「アイヌはもういない」とか言い出す配慮と礼儀を著しく欠いた人間が絶えないわけだが、たとえ昔のような狩猟採集の生活がもう無くなっていても、自分たちがアイヌだと思い、アイヌであると認めるに充分な程度の受け継いだ血なり文化なりが残っている人がいる限りアイヌという民族は歴然として存在すると思う。暮らしぶりやらが昔と違ったら別の民族となってしまうのなら、今時ちょんまげ結ってるやつは関取ぐらいだし、着物着ることも少なくなってジーパンはいてマクドでハンバーガー喰ってるヤツらは日本人じゃないということになってしまう。アホかという話である。主人公のアイヌの少年と相棒のアボリジニの少年の既に失われてしまったモノも多い自分たちの民族の文化のなかで「自分は何ものか」という基準を求めてさまよう感じとか、よく考えると激しく世の中が変化して親の世代の常識が通用しない今を生きる自分たちもおなじようなものがあるなあと感じる。

○椎名誠「さらば新宿赤マント」文春文庫 椎名先生が日々の旅やら生活やらを書き殴ったようなエッセイシリーズの最終回。23年続いたとかもすごいが、作中先生がこれまで書いた本の冊数について調べてもらった話が出てくるのだが、まず本人も把握していないぐらい書いているというのがあれだが、200冊を越えるということでまあ多作な作家だと思っていたが改めて驚く。たぶん半分ぐらいは読んでいる。本作のような軽くサクサク読めるエッセイもアタマ疲れてる時にも無理なく読めてとても重宝するのだが、「椎名ワールド」と呼ばれるSFも本人SF好きだけあって面白いし、旅の本はこの「旅に暮らす作家」ならではの真骨頂という感じでとても面白い。エッセイでは「全日本食えば分かる図鑑」、SFでは「水域」、旅本では「極北の狩人」あたりが好きだ。中学生の頃読んだ「岳物語」からの長いつきあいの作家だが、最近はエッセイではお爺ちゃんとしての顔も板に付いてきて時が流れたのを感じざるをえない。まだまだ精力的に書きまくってくれているので頼もしい限りである。赤マントシリーズ最近の数冊がまだ残っていたので読み返したりしている。

 

<2015.11.14>

 再読モノを中心にダラダラと読みまくっている。そんな中でちょっと書き留めておきたいのがあったので紹介する。

○服部善朗「服部博物館」「服部名人の海釣り指南」 JGFAのイヤーブックを自炊しつつ読んでいたら、在りし日の服部名人がIGFAの殿堂入りしたときの特集記事があって、記念パーティーの時に服部名人の所蔵する釣り具を解説した「近代釣り史」とでもいうべき「服部博物館」という本が記念に配布されたとあり、是非読みたいとアマゾンで古本屋にでも流れていないかと探したら、販売もされていたようであっさり見つかり購入。服部名人というと、磯の大物や「沖釣り」の第一人者というイメージがあったけど、ほとんどありとあらゆる釣りに精通していて、本当にこの一冊で日本の近代の釣りの歴史が垣間見られる超一級の資料であり、かつ、面白すぎ。服部名人が東京湾のシーバス釣りにラパラCDをもちこんだ我々シーバスマンの大先輩だとか、認識がなかったので尊敬の念を新たにしたところである。いろんな地方の数々の釣り方や漁法も紹介しているのだけれど、どっかにジギングの先祖は大西洋のタラ釣りだと書いたことあるが、服部名人によると、大西洋でタラのジギングがされていたのと同様、北海道では古くから手釣りの「タラのシャクリ」と呼ばれる釣法で金属製のルアーをしゃくっていたと書かれており、それに使われた「シャクリ」ルアーの一つがどうにもヨーズリのメタリックサーディンっぽくてジギングの源流は北海道にもあったのかと蒙を啓かれる思いであった。東北でタラをジギングで狙いたいと釣り宿に相談したら、そんなもんで釣れるわけがないとおきまりの反応だったし、タラのジギング自体チャーマス北村氏あたりが開発したような記事も読んだので全くの盲点だった。勉強になりました。マニアックに細分化専門化が進んだ昨今の釣りシーンの中で、釣りの歴史とか釣りという文化全体の俯瞰とかに興味があるのって、自分のようなマニアックな人間だけかもしれないけど、そういうのに興味ある人には是非読んでもらいたいお奨め本。ついでに服部名人の著作ほかに面白そうなのないかと探していて、沖釣りのマニュアル系はもちろん沢山書いているンだけど、アマゾンの紹介欄に対象魚「サメ」というのもあるのを発見して「服部名人の海釣り指南」も入手した。早速サメの所から読み始めているが、サメ釣りの方法、良そうな海域で船を流しながら釣る「ドリフティング」とオーストラリアのホホジロ狙いで錨うって撒き餌で寄せる「アンカリング」が紹介されていて、サメの釣り方を具体的に紹介している本なんて初めて読むからもう「流石服部名人!」と唸らされずにいられない。フックはマスタッドの7683がシャークフックでその6/0〜12/0とか具体的でサメ好きの心に突き刺さってくる。タックルとか仕掛けは結構自分が用意していたので正解っぽくてやっぱりサメ釣るならそうなるなという感じだった。名人、若き日にニュージーでデカいオナガザメ釣って、その年のニュージー記録で表彰されたとか書いてたし、たしかデッカいタイガーシャークを釣ってる写真も拝見したことがある。釣りの技術書といえばそうなんだけど、面白いこぼれ話も書いてあって読み物としても一級品。こちらも好き者の方々にはお奨めする。

○しりあがり寿「弥次喜多inDEEP」全8巻 書かれた当時に「大傑作」という評判を目にしていたけど、シュールな4コマが得意な作風のイメージがあったので、評論家好みの難解な作品かなとやや距離を置いてみていたが、キンドル版が出ていたので試しに読んだら、評判に違わない大傑作。ホモの弥次さん喜多さんのお伊勢参りの道中なんだけど、なんというかもう、持ち味のシュールさは「伝染るんです」とかレベルなんだけど「デビルマン」みたいな最終戦争やっちまったり、「1984年」みたいな監視社会の不条理も描かれていて読み応え充分。ある程度漫画読める人向きかもしれないが素晴らしいマンガ。昔は新聞の4コマって面白くも何ともない時事風刺ネタかサザエさん系のほのぼのとしたのかどちらかだったけど、この人が朝日の夕刊の4コマに決まったというのを知った時はチョット驚いた記憶がある。マンガの特にギャグマンガの歴史で吉田戦車の「伝染るんです」が果たした役割って、その後の商業誌に「不条理ギャグ枠」とでもいうべきものができたといって過言ではないぐらいに思っていて、吉田戦車なかりせば同じスピリッツ誌上の高野ヒジリーナ「パパはニューギニア」はもちろん榎本先生の「ゴールデンラッキー」とかも商業誌連載は無かったのかなと思う。でも、そういう商業誌的な流れとは関係無くシュールな不条理ギャグって吾妻ひでお先生の「不条理日記」やら山上たつひこ先生の「がきデカ」の昔からあって、しりあがり寿先生も、昔っから関係無く不条理でシュールな芸風で書いてきたんだと思うが、マンガの歴史が彼に追いついたんだろうなと思う。弥次喜多の掲載誌が今最も先端走っているという噂もある「ハルタ」だというのも後で知ってなるほどなと思ったところである。ちなみにいまハルタ連載で楽しみに読んでるマンガは「乙嫁語り」「ヒナまつり」「ハクメイとミコチ」「ダンジョン飯」「不思議の国のバード」で強力なラインナップがうかがえる。

 

<2015.10.9>

 引き続き自宅療養中で自炊した本やらマンガやら読みつつ、多少集中して本読めるぐらいに復調してきたので買って途中で放置していた本なども読み始める。自炊した中では今読んでる開高先生の「生物としての静物」がタバコも吸わんのにライターいじりたくなるぐらいにいい。タバコのラッキーストライクのところでチラッと触れられているハーシーズのチョコレートとか、戦後の空きっ腹で食べたときの美化された先生の記憶に基づいて書かれているのですざまじく旨そうなんだが、実際食べると増量材かなんかで粉っぽくて明治の方が旨かったりするのだが、それでもハーシーズ食いたくなるぐらいである。食い物の味について「筆舌に尽くしがたい」などと書く職場放棄を物書きはしてはいけないと諫める開高先生、流石の書きップリである。

○上田早夕里「華竜の宮」 上下巻の下巻のはじめぐらいで放置していたのを読んだ。以前読んだ「魚舟・獣舟」の海面上昇で多くの陸域が沈んで、ヒトは遺伝情報とかいじくって海にも進出したという設定で書いた長編で、「面白い」と薦めてくれる人がいたので読んだら素晴らしく面白かった。SFとしては海に沈んだ世界とか、遺伝子いじくったヒトとかAIとか高度な情報ネットワークとか、王道で目新しいというわけじゃないけど、一昔前のそういう王道SFの世界がまさに今目前に迫ってきた感じがして「オレが生きている今って「未来」だよな」と思う今日、よりリアリティーを感じるというか自身に迫った問題として、ヒトはどこから来てどこに行くのか、ヒトってなんなのか、誇りと幸せ、あらがえない運命や性、希望、とかとか結構考えさせられるし、主人公のストイックで内に秘めた熱さの感じも感情移入できるし、王道SF設定の様々な事物が世界観を形作る重要な要素となっており、特に近未来的海洋の描写のワクワクするような不思議な世界が面白いと感じた。前回も書いたけどこの人の書く物語はハードボイルドだと感じる。ご都合主義のハッピーエンド的展開は少なくいい人でも結構死ぬ時は死ぬ。なかなかにその辺の格好良さも読ませる作家だなと思うところである。

 

<2015.10.10>

 自宅療養中。基本暇なのでマンガ読んで小説読んで寝て食って。小説はオーケン先生のリンダリンダ・ラバーソウル再読以外はイマイチ頭に入ってこなくて読みかけて放置しているのが何作もあるが、西尾維新先生が忘却探偵シリーズを尋常じゃないペースで刊行してくるので焦って3作目の「掟上今日子の挑戦状」は読み切った。面白い。次の「遺言状」も期待できそうだ。3作目出たころぐらいで既にドラマ化決定していてネタが足りないんじゃないかと心配したが、全くのいらぬ心配の書きまくりぶり。並行して終わったはずの「物語シリーズ」も再開してしまったりして「どんなけ書くねンこの人」という感じだ。頼もしい限り。

 自炊した以前読んだマンガの読み直しもなかなか楽しめている。

 遠藤浩輝「EDEN」全18巻を前回読んだのは、1回目のクリスマス島釣行の時だった、まさに「楽園」のクリスマス島で苦戦している時に宿にあった4巻までを読んで、5巻から18巻までを帰国後買って読んだ。今回、4巻まで電子版で買い直し、5から18巻を自炊して読んだ。話自体はサイボーグや人造人間、ナノマシンなんかがでてくる、こういっちゃなんだけど「よくあるSF」だ。特筆すべきは戦闘シーンのグロさとかっこよさで、とにかく人が死にまくりで、ヒロインでも油断できないスリリングな展開に魅了される。最初の方にでてきたヒロイン候補的な少女が地雷に腰から下を吹っ飛ばされ腸をのたくらせているという悪夢のようなシーンが強烈。戦闘シーンも絵が上手いというかマンガ表現的な見せ方が上手くて、ナイフをクルッと持ち替えるアクションや、目線フェイント、少女戦士が強化人間のクビに飛びつきざま足を絡みつかせてプロレス技のフランケンシュタイナーっぽい挙動でぐるっとナイフでクビを切りつけるシーンとか鳥肌モノである。前回読んだ時はそういったアクション的な部分が印象深かったが、今回読んで人の心理的な部分でもなかなかに楽しめた。終盤、地球規模の震災やらで世界各地が被災して、その一つの救いとして人が個人ではなく「集合意志」の一部に取り込まれることになる「ウイルス」への感染というのが大きな舞台装置としてでてくるのだが、そのウイルスで妻と子を失いながらも、国境なき医師団と共に医療にあたる医師が、助手の女性と新しく人生を生きていく決意をするような描写の後で、あっさりと宗教的対立から起きた紛争でその女性を失ってしまう。なかなか酷い。でも現実にもありそうな話である。立て直そうとしていた時にそれをくじかれた時の痛手というのは人から立ち直る気力を奪いさるに充分な打撃である。医師も、妻も子もそこにいるという「集合意志」に合流しようとしかけるのだが、土壇場で耐えてみせた。ちょっとウルッと来るぐらい感動した。安易に幸せになれる道があるとして、それをなぜか知らないけど拒否しなければ保てない誇りが人間にはあると信じる。幸福ということに関して、脳内の幸福をつかさどるような活動を計測して、どういう人間がどういう時に一番幸せかというのを測った研究があるそうである。その結果、一番「幸福」だったのは、大金を得た者でも成功したビジネスマンでもなく、他者を幸せに導くことを考えている時の宗教家だったそうだ。それはとても素晴らしいことだと思うとともに、ケッと唾吐きかけたくなる事実でもあった。自分で考えたわけでもない神の教えに従って幸せになって、人様にそれをお節介にも分けてやる、そういう行為に大きなお世話だと心の底のほうで感じている自分がいた。与えられた幸せや強要された幸せなら欲しくないと、くだらないこだわりだと分かっているがそれでも強く思う。人が進化した次の段階として、個々の個体ではなくネットワークで繋がったりした一つの「集合意志」に取り込まれるという題材はインターネットが発達して、脳機能がいろいろと解明されて、人工知能だのについても議論になる昨今珍しくなくなっている。有名なところではエヴァンゲリオンの「人類補完計画」がそれで、「極黒のブリュンヒルデ」ではエヴァのパクリといわれていたが、こんなもん今時普遍的な題材である。日本で最初にそういう題材で描いたのは、たぶん若かりし日の諸星大二郎先生の「生物都市」。手塚賞とった当時ほぼ無名の新人の作品があまりにもデキが良かったので盗作ではないかと選考委員が確認したという逸話が残る。諸星先生は特別なマンガ家である。チョット脱線した。人はどこから来てどこに行くのか、人間とは、神とは、平和とは、幸福とは、あまたの物語が表現者が問い続けた問いが今作にもある。前回読んだ時にはその辺の大風呂敷を広げた部分がちょっと鼻につくように感じたが、久しぶりに読んだらむしろそのあたりこそ面白かった。グロいのOKなSF好きに強くお勧めする。※註:後で気付いたが、「極黒」のは集合意志に取り込まれるんじゃなくて1人の不死者が選抜される系だった。

 

<2015.10.05>

 ここ1週間ぐらい寝たり起きたりの具合の悪さで、医者から2週間自宅療養の診断がでてしまい、マンガとか小説読んで暇つぶして飯食ってクソして寝るだけの日々が続く。

 一時期あたまが熱っぽくて本が読めない状態だったが、すでにそこまでは酷くはなく、自炊したオーケン先生のエッセイやら、まとめて時間取って読みたかったマンガとか頭に優しく抵抗のないモノをダラダラと読んでいる。

○岡本倫「エルフェンリート」全10巻 「極黒」で知った漫画家の長編デビュー作でアニメの方は見たことあったけど原作も読んでみた。アニメは上手くこの作品のというかこの作者独特の、内蔵飛び散るようなエログロに萌えが被さった味を生かして映像化されていたことがよく分かる。「極黒」のアニメ最後がグダグダだったことを考えるとこっちのほうは素晴らしいアニメ化だったように思う。しかし、最初のころ、作者自身もあとがきとかに書いているが絵がイマイチで、それでもこの作者ならではの他には絶対無い特殊な感性を買って連載描かせた編集者の慧眼ぶりに感服する。連載してるうちに絵は格段に上手くなる。エロ・グロ・萌えに眼を奪われるかもしれないけど、物語の持つ面白さというか熱が紛れもなくある。奇才なんだけど天才だろう。

○スピナマラダ!全6巻 野田サトル 「ゴールデンカムイ」がクソ面白すぎるので作者の他の作品無いかと検索したら「ゴールデンカムイ」は長編2作品目で長編デビュー作がアイスホッケーをテーマにした今作だったので読んでみた。検索時にどうも打ち切りだったという情報があったので、中途半端なところで終わっているのかと思ったけどそれなりにキリの良いところで終わって、おまけの外伝もノリノリで書かれていて楽しめた。ゴールデンカムイでもバトル回の合間の日常回のギャグとか面白いなと思っていたが、ギャグは得意な人だったことが判明。184センチの長身ヒロインネタが特に笑える。外伝も彼女にスポットを当てたモノで腹抱えて笑えた。スポ根モノの熱いノリを行く王道路線ではあるんだけど、ヒロインが184センチでウェアを引き裂く太ももの筋肉を誇るスピードスケーターとか、萌えとかそういうのにほど遠かったことやら、そもそもスポ根モノでアイスホッケーなんて、アイスホッケーの場面などほとんど出てこなかった久米田先生の「南国アイス」以来ってぐらいのマイナーさ加減やらで残念ながら長期連載はゲットできんかったようだ。でも「ゴールデンカムイ」で花開いている才能は、間違いなく今作にもみてとれる。野田サトルは描くマンガ全部読まねばならぬ漫画家になりそうだ。ちなみにスポ根モノでマイナーな競技というと上に書いた岡本倫もスキージャンプで書いている。スキージャンプものはついでに宇宙兄弟の小山宙哉も書いている。今まで読んだ中で最もマイナーなスポーツモノはジャンプで読みきりだったと記憶しているが、フリスビーベースボールというフリスビー投げてバットで打つ競技だと思っていたが、いま検索したらそういう作品がヒットしないのはともかく、競技自体がヒットしない。よく考えるとフリスビーって回転していないと飛ばないのでバットで打っても飛んでいかないので競技自体が創作だったと思われる。架空の競技はマイナースポーツではなくセクシーコマンドー部とかそっちのカテゴリーか、なんてのはどうでもいいことである。

○大場つぐみ、小畑健「バクマン」全20巻 映画公開にあわせて1、2巻が無料配信されていたので試しに読んだら面白くって、残り18巻買うハメに。買って損無し。2人組の漫画家のサクセスストーリーなんだけど、少年ジャンプ連載でアニメ化もしている大ヒット作だが読んでいかなかった。なんというか話の組み立ての上手さ、ライバルで仲間である漫画家や編集者のキャラクターのたてかた、マンガバトルとでもいうような手に汗握る勝負の引き込まれる迫力、どれもこれも良くできていて、100点満点の100点取るような作品。宿命のライバルである天才君もいい脇役だが、描きたくないのにイヤイヤ描かされて、それでも面白いギャグマンガ家が良い味出してて笑える。主人公と相棒、それからライバル含め仲間達の友情、努力、勝利はもうジャンプマンガの王道というかお手本的な面白さ。この原作、作画コンビにはもう一つ大ヒット作「デス・ノート」があるのだが、実はこれまた読んでいないので読まねばならぬと思っているところ。原作者の方は正体を明かしていない覆面作家とでもいうような人らしいが、「とってもラッキーマン」のガモウ先生だというのが定説のようだ。作中、主人公の叔父さんの描いてたマンガのモデルがあきらかに「とってもラッキーマン」でマンガ読みならガモウ先生で間違いないと思うところだろう。学生時代にガモウ先生の読み切りが初めて乗った号のウルトラジャンプだかの新人の読み切りがいっぱい乗っていたやつを読んだ時に、なぜか新人作家に混じって掲載されていた諸星大二郎作品の異質な迫力と「とってもラッキーマン」のヘタクソで背景も描いていないような絵だけど、妙に来る面白さには目が行かざるを得なかった。しかしあの絵でラッキーマンがアニメ化まで行く人気作になるとは予想外だったが、絵がイマイチだという弱点を作画担当者とコンビ組んで解消して大ヒット作たたき出したやり方はまさに、今作の主人公達2人組のサクセスストーリーを地でいくような活躍で、お見事と唸らされるところである。 

 

<2015.9.06>

 我が家の本棚に「自炊」という電子書籍化第二波が到達してはや2週間ほど。チマチマと裁断してスキャナーにかけてという作業はそれなりに時間がかかるが、PDF化したついでに面白かった本を読み始めたら、まあ分かりきっていたこととはいえ面白すぎて、新刊出るのを楽しみにしていたマンガもほったらかして読みふけっている。今、中島らも、大槻ケンヂ、高野秀行の3先生分ぐらい自炊できたところで、らも先生得意のドラッグネタ炸裂「アマニタ・パンセリナ」、真面目にふざけた人生相談「明るい悩み相談室1」、チチ松村氏、いしいしんじ先生との絶妙の掛け合い「らもちち私の半生」「その辺の問題」、アホほど笑うオーケン先生の「変な映画を観た!!」、高野先生の「地球のシワに夢を見ろ!」とおおいに再読を楽しんだところである。引き続き「自炊&再読」楽しんでいきたい。

 

<2015.9.06>

○高野秀行「謎の独立国家ソマリランド」は高野秀行が決定的な仕事をしたという感じ。いつものことだが、現地の向精神薬系嗜好品(今回はカートという草)を現地民と嗜みながら、路地裏から人々の声から、辺境地の見てきたこと聞いてきたことをレポートする。今回対象地は海賊で有名なソマリアの中で独立を宣言しているソマリランドという国というか地域というかなんだが、不思議と平和なソマリランドから出国?して、内乱続くソマリア南部とかにも突撃取材していて、それが「激戦地からの決死の特派員レポート」というに相応しい、危険な地域での取材なのだが、なぜか漂う独特の路地裏感。そしてほのぼのとしてしまう現地の人達のキャラクターや営みの真っ当さ。この作品でどっかのノンフィクション賞獲ったそうだが、それでも堅苦しくないいつもの高野節全開で楽しめること請け合い。高野氏提唱のエンタメノンフの傑作がここに誕生したということか。ソマリランドに関しては続編もあるようなのでそちらも読んでみたい。高野秀行は替わりのいない希有な作家だ。

マンガの方は、夏には読んどかねばなということで戦争関係のいくつか読んだ、こうの史代モノ既読作品2つと、「凍りの手 シベリヤ抑留記」を読んだ。今も世界のどこかでは戦争しているのに飯が旨くて幸せで申し訳ないような、ありがたいような。最終巻となった「高杉さんちのおべんとう」10巻は「おぞましい」結末でドン引きした。あの結末が普通の感覚の人が考える最良のモノだとするならオレは普通になどなりたくない。

 

<2015.8.18>

○大槻ケンヂ「FOK46 突如40代でギター弾き語りを始めたらばの記」オーケン先生40過ぎての手習いでギター弾き語りを始めてその様子をまとめた私小説的エッセイ集なんだが、楽器とかの音楽でも他でも何でもそうだが、上手くなって成功するには「才能と運と継続」が必要で、とにかく継続は誰でもできるんだよガンバレというメッセージが随所に込められている。開高先生が書いてた釣りに大事なのは「運、勘、根」という言葉とも共通性を感じるし、全くそのとおりだなと思う。才能やら運やらはあるかどうかわからん世界だからとにかく継続しとけばそのうち運も向いてくるって事だと思う。オーケン先生音楽の才能自分ではあんまり無いと書いていて、確かに歌声も味はあるけど上手いって方じゃないと思う。でも今作でもオーケン先生、譜面も読めないのでギターの指使いをボサノバ歌ってる女性に書いてもらうエピソードでその女性が「ネイティブスピーカーじゃないので英語歌詞のボサノバの世界では限界がある」と嘆いてるのを聞いて、「そんなの適当に日本語をのせて歌っちゃえば良いんじゃないの」ってフライミートゥーザムーン(エヴァのEDでも使われてて綾波がクルクル回ってるアレ)の歌詞をさらっと日本語訳して「オーケンは絶対音楽続けるべきだよ」と念を押されるぐらいに、歌詞というか言葉の使い方は独特の感性があって才能がたしかにそこにあると感じさせる。自分でもどこかのエッセイに書いていたが変な歌詞には自信があるという言葉どおり、独特の歌詞世界はサブカル界では人気で、今まさに放送している深夜アニメの主題歌でも本人歌ってるのと歌詞提供のがあるぐらいの引っ張りダコ状態。バンドマンとしての筋肉少女帯の活動が好調で、作家活動はたまにエッセイ集が出るぐらいだが、出たら買うので長生きして書き続けて欲しい。今作も同じ時代を生きる40代のオッサンとして共感と泣けるぐらいの切なさとかを感じて「絶対作家も続けるべきだよオーケン先生」と思ったところである。

○中島らも「エキゾティカ」 なぜ自分はらも先生が好きなのかよく分からん?とどこかに書いたが、これ読んで思い出した。ようするにらも先生の書く文章がすばらしく面白いから好きなんだ。この感性その博識。今作とか「人体模型の夜」とかキレッキレのらも先生の全盛期の短編集は読めば分かる唸らされるぐらいの面白さ。長編とはまた違う抜群の切れ味。

○岡本倫「ノノノノ」1〜13巻 面白い。この人のマンガは実はあんまり深く小難しいこと考えて無くて、自分が好きでみんなに受けると思う面白いことを全力で書いているっぽいと気付き始めたんだけど、それがちょっと普通じゃなくて特殊としか言いようがないところまで突き抜けてて、もう、最高に面白い。脇役岸谷の美味しいとこもっていくとぼけたキャラが良い味出してる。

 

<2015.7.25>

○青木修「磯の作法」前・後編 筆者の青木修さんの名前は’小笠原の磯’というイメージと共に頭にこびりついいている。私がロウニンアジ狙いの釣りを始めたばかりの15年近い昔だと思うけど、アングリング誌上に筆者が所属する「石拳」の小笠原遠征報告が掲載されていて、その中で青木氏が磯からスタンドアップファイトで40キロのイソマグロとか30キロのロウニンアジ釣ってる写真を見て度肝を抜かれた。強烈な写真だった。ロウニンアジとか青物系の魚がどうにも制御不能なぐらいに引く魚だというのは乏しい自分の経験でも理解していたが、それを我々船上から釣る人間なら、かかったら必死のパッチで根から離すべく操船してもらうというのに、磯から釣ってる場合は自分が立っている「根」の方に寄せてきて仕留めなければならないのである。なんというか想像ができない世界のすざまじい釣りをする人達がいるモンだなと思わされたし、ビワコオオナマズを釣らせてくれた名古屋のSさんが、「あのイソマグロの口にかかってるミノー、実は僕が作ったんです」とか話していたという釣りの世間の意外な狭さを感じさせるエピソードもあって、頭にこびりついていたのである。そのエピソードは「知人から譲り受けたがこれまでもったいなくて使っていなかったアカメ用の大きなハンドメイドミノーをつけて投げる。」と書かれていたりして、Sさんがデカいアカメを羽交い締めにして持ち上げている年賀状とかを思い出したりもした。ブログに書いていた記事を、57キロ!!のイソマグロを磯から自らの「磯の作法」に則りナイロンライン使用の50lbクラスのスタンドアップタックルで仕留めて20年近い小笠原通いに一区切りを付けて書籍にしたということだが、もうその小笠原通いの情熱というか、フルスイングッぷりが感動的である。まずは時化たら磯に乗れないので、毎年初夏から秋ぐらいのシーズン中何回も遠征計画を立てて、準備して気象条件ダメなら次の遠征に切り変えてというあたりのところから半端じゃない。その上で磯に乗れても良い魚がかかるかどうかはその時々で、かかったらかかったで難しい釣りなので根ズレでブレイクとか当たり前で、何度も何度も何度も苦杯を舐めさせられる。それでも「淡々と」と自らに言い聞かせるように書いているとおり、上手くいかなかった反省点は次に生かすように経験値として蓄積し、どうしようもなかった部分は「魚の方に運があった」と割り切って、淡々とラインシステムを組みルアーなり餌なりをキャストし、良い時合いを待ってチャンスを待ち続ける。釣り師の理想像の一人として私の頭の中には「老人と海」のサンチャゴ老人がいるのだが、彼は長い不漁の後ついに仕留めた大物カジキがサメに無残に食い荒らされた後も、実に淡々と次の漁に向かう準備をしていて、それを当たり前と感じさせる雰囲気をまとっている。釣りっていうのは釣れる力量があっても、最後にチョット「運」が回ってこないと結果は出せない。その回ってきた「運」をガッチリつかまえる能力を鍛え、虎視眈々と準備して「運」が回ってくるのを何度でもあきらめずに繰り返し挑戦して待ち続けられる、そういう釣り師になりたいと思う。でも、なかなか釣れないとしんどくて、待ちきれないのよネ現実は、と思うのだが、そういう釣れない時もあるけれど、チャンスはきっとやってくるし、漫然と釣っていたのではない、知恵も力も振り絞って釣れなかった経験は後々生きてくるっていうのが、10年単位だと間違いなくあるっていうのは、私も常々書きたいところで、そういう釣りの「釣れない部分」って書く人あんまりいないから私が書くしかないと思っていたけど、この本読むと釣れなかった時のしんどさも含め淡々と書かれていて、オレごときが今さら書くこともないのかなと思ったり、まあ磯から50キロオーバーとかちょっと特殊な釣り人の話ではなくて、船から20キロぐらいで苦戦しちゃうオレぐらいの釣り人の話が持つ平凡さというか現実感も有りといえば有りかなと思うので、これからも釣れないしんどさも、釣れた至福についても書いていきたいと思いをあらたにするのであった。久しぶりに胸躍る釣りの現場からの本を読んだ気がする。

 

<2015.7.20>

 活字本は、開高先生の電子版全集が、紙だと再版かかってないようなのも収録されていて、あまり読んだ記憶無いものと、再度読みたいものから読み始めている。いま「最後のエッセイ集」を読んで「50代エッセイ集」に突入しているが、全集読み切ることになりそうな気がしている。

○古賀亮一「ゲノム」金銀「新ゲノム」1〜5、生物研究所のお手伝いロボットパクマン(昔あった硬貨を腕に載せて下に押しつけると、口を開きながら硬貨をパクッと食べる貯金箱の後頭部のギザギザが再現されていて懐かしい。)がオッパオイオッパイ言って、同僚のエルフのエルエルにセクハラする。エルエルがほぼ毎回その日のテーマの虫ス−ツを着る。というワンパターンのシモネタ系ギャグマンガ。オッパイ、お尻、おなら、股間、小学生の喜びそうなネタをフルバーストで連射してくるバカ臭いマンガだが、小ネタのセンスとかどうにも好みで楽しめた。レズっぽいダクエルやら両性具有のナメクジ人間なっちゃんも可愛い。面白かったが旧版4巻、新版5巻を一気に読むのは正直お腹いっぱい感が否めないところ。

マンガは他に、「燐寸少女」のいろんなパターンの書きぶりに感心したり、「極黒」13巻の「引き終わり」に、最近のマンガでこんな極端な「引き終わり」を多用するのは「極黒」ぐらいだなと感じたり。続きが早く読みたくて仕方ない。

 

<2015.7.4>

 版権切れた釣りエッセイシリーズはなかなか楽しめている。正木不如丘「健康を釣る」の、釣りは動と静が交互に来て身体を休めつつ精神もつかいながら行くので、身体に過度の負担にならずに健康に良いんです的な屁理屈とか、50年前の釣り人も屁理屈くせえなあと微笑ましい。

○中島さなえ「いちにち8ミリの。」たまにらも先生の本の解説とか書いてた娘さんの本がkindle化していたので読んだ。インチキ宗教嫌いなところとか受け継いでるなという感じ、普通に面白いのは血なのか育ちなのか。今後も注目してみたい。

○時雨沢恵一「ガンゲイル・オンライン機銑掘廖。咤腺魯謄譽咼▲縫瓧牡の銃器関連の考証を担当した縁で勃発した「SAO」の川原礫と「キノ旅」時雨沢恵一のコラボ企画。気梁咾棒邯吟が「本物のガンシューが始まるぜ!」と書いていて、SAOのファントムバレット編の舞台になったフルダイブゲーム「ガンゲイル・オンライン」オリジナルの川原礫も自分の書いた本編は主人公剣使いとはいえ、銃で戦うゲームでビームソードで銃弾切っちゃったりはガンファイトじゃないよねとさすがに思っていたらしい感じだ。そこで、ペンネームからして「シグザウアー」だったんだなと今気づいてしまった銃器マニアの時雨沢恵一が、ガンゲイル・オンラインという枠を借りて、乗りに乗りまくって書いた2編3冊、オモロかったッス。銃器の蘊蓄いっぱい出てきます。銃器のそれぞれの特性やら、ゲームの設定やら上手く使って、策略、強襲、逆転、マシンガンバババババ、グレネードドッカンドッカンな感じで久しぶりに新巻出る度に一気読みしてました。ラスボスキャラのピトフーイ(ネーミングセンスからして秀逸)が誰か?という伏線も回収して、とりあえずシリーズ終了かもしれない感じだが、続きもあれば読んでみたい。ちなみにピトフーイの正体は早い段階で予想付いたが、最後間違えたかと思ったらやっぱりあってた。

 マンガは種々読んでいるが、ゴールデンカムイが3巻もクソ面白い。バトル回の手に汗握る死闘と、アイヌ蘊蓄満載の食事シーンとか日常回のギャップがまたいい。ギャグもかなり良い線いってる。扉絵でたまに主人公達の装備が紹介されていて不死身の杉元だと三十年式小銃と銃剣だとか、アシリパだとメノコマキリ(女用小刀)、カリンパウンク(桜の皮を巻いた弓)、エキムネクワ(山杖)とかそれぞれカッチョイイんだが、脱獄王の白石の装備が「飴」のみとか吹いたよホント。オソマ(うんこ)ネタも笑える。杉元よ、食べられるウンコなんて無いというが、ウサギのウンコで未消化なやつは人間も食えるらしいぞ。続き早く読みたい。

 

<2015.6.18>

 「シドニアの騎士」講談社漫画賞、「あさひなぐ」小学館漫画賞 受賞おめでとうございます。

 なんちゅうか、「あさひなぐ」はサンデー系のマイナースポーツモノの伝統を受け継ぐ小学館漫画賞にまさに相応しい作品だと思うけど、「シドニアの騎士」は二瓶作品としてはサービス精神あふれるモノだとしても、正直マニアックな所もある作品なのでこういうビックタイトルには無縁かと思っていたので一ファンとしてとても嬉しい。今日発売のモーニングで講談社漫画賞の方を知ったところである。

 ついでといってはなんだが、今日帰りの電車で読んでた「それ町」14巻も面白すぎてやばかった。ちなみに同作品ビックタイトルは2013年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門をとってます。じゃんけんネタのタケルの男気と何重にも張られた伏線の見事な回収ップリといったらもう鳥肌立ちましたわ。賞とったら偉いってモンじゃないとはいえ才能ある人が正当に評価されることは良いことだと思う。と、全然賞には縁のない高橋葉介先生の「学校怪談」キンドル版で読み直してやっぱりどうにも面白いと思ったりもしつつなマンガ読みの日々。発熱して寝込んでいる中、嫉妬深いガールフレンドの立石さんに八千華ちゃんとの浮気疑惑を責められて「ああ!また熱がァ〜ッ!」っとうなされる山岸君が何回読んでもオレのツボなのか笑える。賞なんぞもらっとらんでも葉介先生のマンガが面白いのなんてのは、分かるマンガ読みならみんな分かってることだ。

 

<2015.6.10>

○石川梵「鯨人」インドネシアにマッコウクジラを漁る部族がいるらしいという話は、先住民と捕鯨の関係の報告かなんかで読んで浅い知識としては知っていた。そのインドネシアはレンバダ島の鯨漁に7年(後日譚を入れるともっと長い)の月日を掛けて取材した力作。取材時90年代には、なんとまだエンジン無しのボートを漕いで槍一丁でマッコウクジラに船上から飛びかかるというすざまじい漁の実態で、もう、度肝を抜かれた興奮した。筆者は鯨を漁る(「いさる」も「すなどる」もATOK変換してくれない。「いさる」と読んでネ)という行為を残酷でも野蛮でもなく崇高だと感じたと書いているが、血の海で鯨と格闘する様は残酷で野蛮きわまりなく、それ故に崇高だと、人間の動物の他の命を奪って生きることそのものの一つの極致だとオレは感じた。インドネシアの鯨人たちも凄いが筆者の気の狂ったような取材対象への執着ぶりも迫力があり書く文章には凄みと共にそれでもどこかセンチメンタリズムが感じられてグイグイとキタ。たぶん今年NO.1として年末紹介することになるだろう。釣りとか海とか好きな人間なら、まあ四の五のいわずに読んでくれ。

 

<2015.5.28>

○道満清明「ヴォイニッチホテル」1〜3巻 万人にうけるとは思わない。でも分かる人には分かるんじゃなかろうかという大傑作。ギャグが黒くて、エログロありで、でもシュールでセンスがキレキレで分かる人間にはタマラン面白さ。「黒さ」の例としては劇中劇「爆裂魔法少女メルティ」の使い魔が「ピカドゥ」とか変身呪文が「モタズツクラズモチコマズッ」とか、もう不謹慎というかなんというか、まあそういうの嫌いじゃない人は読んでください。楽しめます。

 

<2015.5.15>

 マンガ「ゴールデンカムイ」がクソ面白くて、アイヌとかウチナーのウミンチュものとか狩猟民族系の物語の面白いのないかと物色しているが、早速面白かったの2作品ほど。

○姉崎等「熊にあったらどうするか−アイヌ民族最後の狩人−」 口の周りに入れ墨入れていたアイヌのばあさんとかに育てられた最後の世代ぐらいのタイトルどおりアイヌの狩人。鉄砲を使っている世代だがそれでも、単発の銃で一撃で倒して、無駄に二の矢を使わない美学とか、痺れる格好良さ。

○小林照幸「海人」沖縄の糸満漁師って追い込み漁とかの開発で有名だけど、戦前その漁業労働に子供が労働者として売られる「糸満売り」というのがあって、その酷い扱いとか悲劇とかは読んだことあったんだけど、そういう負の面ではなく、糸満売りで年期あけるまで仕事を仕込まれると、ひとかどの漁師として飯が食えるようになっていたという事例で、潜水漁中にサメに襲われたけど生き延びた話とか、腕一本で家族を養っていく技量とか、やっぱりどうにもこちらも格好いい。

 

<2015.4.26>

○井伏鱒二「釣師・釣場」kindle版 「山椒魚」の人というイメージだが、釣りも好きで他のエッセイは読んだことあったが、Kindleでみつけた本作も良かった。船頭に聞く紀伊半島から房総に釣り方が伝わってそれが三浦半島に伝わってとかの、漁法の伝播のはなしとかも興味深かったし、海も川もいろんな釣りやってるんだけど名人やら船頭やらの「釣り哲学」なんかも上手に聞き出していて唸らされることしばし。で、この作品買ってお奨めされてくる作品に結構古い版権切れて無料の釣りエッセイがあって、50年以上前の釣り人の書いたものだが、これがどれもこれも味わい深い。石井研堂「大利根の大物釣」のデカイのをバラした後の釣り人の打ちひしがれ方とか、佐藤惣之助「釣れない時君は何を考へるか」の妄想とか「あるある」って感じだし、佐藤垢石「東京湾怪物譚」の東京湾にニホンアシカがいたころの話など読んでいると馴染みの東京湾の情景に巨大ザメやアカエイの怪が泳ぎだすようで楽しい。釣りの話を書いてそうな作家って「集成 日本の釣り文学」のアマゾンの内容紹介で著者名が出てくるので、それであたりをつけて調べることが可能なので、しばらく50年前の釣り人の「釣り話」には楽しませてもらえそうである。こういう版権切れた作品を電子化するのはボランティアの人達がやってくれているらしいが、ありがたいの一言だし、文化事業的な観点でもすごく有意義なんじゃないだろうか。1000年後の釣り人もきっと、「ああ、釣り人っていつの時代も一緒なんだな」と共感を持って楽しめるだろう。それはとても素晴らしく素敵なことだと思う。

 

<2015.4.11>

 ここのところ、活字もマンガも「これ」といったアタリを引かない。自分のコンディションによるものかもしれないなとおもいつつ、この機会に読んだことない作家の作品をと探してみて心に引っ掛かった2作品。いずれも女性が作者のマンガ。

○久世番子「パレス・メイジ」1〜3は、明治ぐらいの時代の架空の女性天皇とその従者の身分違いの恋的なお話、女性天皇のキャラクターが男前で格好いいのと、乙女チックな物語がオッサンの中の乙女な部分にジャストミート。

○折羽ル子「まんが猛獣島」は、どうもこの作者まだ商業誌デビュー前のよう。キンドルは自分で作品を様式に当てはめて売りに出すということが可能なようで、プロではない「同人作家」の作品も結構売っているが、なかなか金出して読もうというところまで、表紙と内容紹介だけではいかないものだが、今作は絵柄が結構好みのセンスなので買ってみたら面白かった。ストーリーがどうとかいう類のマンガじゃないけど、キャラクターのバイオレンスで可愛い感じがなかなかに良い。もともとツイッターで公開している漫画のようでタダでも読めるようだがオッサンはツイッターの古い記事とかどうやって呼び出すのかわからんので他の作品も含めkindle版を買うことにする。そのうちどっかの商業誌が買い付けに来ると思う。

 

<2015.3.18>

○ジョージ・オーウェル「1984年」 アニメ「サイコパス」一期のラスボスが部下に作中の、「犯罪係数」により人間が管理されるという管理社会を評して、「オーウェルのそれより、やや無秩序なディックのそれに近い」とか語っていて、ディックの方は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を若い頃読んだのでなんとなくイメージできたが、オーウェルって「1984年」とか「動物農場」とか書いてる人やな、ぐらいの知識はあったが、読んだことなくてそのうち読まないかんな、と思いつつも忘却の彼方になりそうだった。ところが、ハイペリオンシリーズ2部まで紙で読んでて3部4部がキンドル版でたので買ったら、同じ名作古典SFというカテゴリーなのか「1984年」がお奨めされてきてなんとなくポチッとしたところ、これがアタリを引いた。普通SFで行きすぎた管理社会を描くディストピアものなら、レジスタンスがSF的道具とか使ってカッコ良く活躍するものだとおもっていたけど、全くそんな派手な展開無し。ひたすらガッチガチに管理された社会下での不幸やら「反社会」的思想でつかまった人間の拷問洗脳とか、苦悩にまみれた鬱々とした展開。でももの凄く哲学的で示唆に富み、考えさせられる濃い内容。何というか、言論やら思想やらを統制された管理社会の気持ち悪さって1948年に近未来としてSFの世界で描かれたものでも、実際に歴史上存在した例えば戦時下の日本の大本営発表とかでも、現在の将軍マンセーな北朝鮮でも一緒だと感じたんだけど、ひるがえって今の自分がそういう管理された社会に存在していないのかという疑問を抱き始めると、マスコミとか周りの人間とかの言葉やらに影響を受けていないわけはなく、全くフリーダムな思想ってそもそもあるんかいな?とか「自由」が揺らぐ感じがしてきて、たまにはこういう読み応えのある小説読んで頭グラグラさせるのも必要だなと感じたしだいである。

○野田サトル「ゴールデンカムイ」1巻 超期待の物語の開幕である。アイヌとかウチナーのウミンチュとか狩猟民族系の文化って、中二的な強烈な格好良さにあふれていると思うのだが、そういう民族文化を絡めた娯楽物語って「蝦夷地別件」ぐらいしか思い当たらないんだが、今作はもう目一杯そういうの楽しめます。日露戦争で「不死身」と呼ばれた復員兵とアイヌの少女がコンビを組んで、アイヌから奪われた「金」を廻っての争奪戦に参戦。復員兵は親友の残した未亡人でもある「惚れた女」に目の手術を受けさせるため金が必要で、アイヌの少女は「金」を奪われたアイヌの娘であり敵を討つため、2人とも「金」以上の動機に突き動かされて戦いに赴く。1巻では「金」のありかを示す入れ墨を施された脱獄者の一人の死体を熊から奪って確保するつかみのあたりから、早速アイヌの少女の父親仕込みの狩猟技術が炸裂する。トリカブトベースの毒の矢じりとかカッコ良過ぎてもだえ死にそうだ。2巻ももうじきでるようで楽しみでならない。

○影持蛍太「GROUNDLESS」1〜3巻 架空の国と時代を設定した戦争物。なかなか面白いなと読んでたら、1巻の作者あとがきが作品以上になかなかに興味深かった。作者は10年引きこもっていて引きこもったままWebマンガとしてこの作品を当初発表したようだ。それが、おそらく沢山の人に読まれて出版社の編集者の目にとまって紙媒体化、電子書籍化となった模様。ブラック企業による搾取とかで若者にろくな仕事がなく引きこもるしか無くても、引きこもったままでも才能ある人間が努力を継続していれば、いつか報われることもあるということだと思いたい。今時のジャパニーズドリームはこんな感じなのかもしれない。がんばって面白いマンガ描き続けて欲しい。1票入れます。

 

<2015.3.06>

 オーウェルの「1984年」というSFの古典的名作を読み始めたら面白くて、また読み切ったら紹介することにしたいが、年度末ということでサラリーマンにはスケジュール厳しい季節をむかえてもおり、活字本のペースは今一上がらず。そんな中でも面白かった活字モノとマンガをいくつか書き留めておく。

○メレ山メレ子「ときめき昆虫学」 ネットで発信していた情報を書籍化しているようだが、金払って読む価値のある面白さ。専門家の行くところまで行ってしまった文章も当方は好きだが、この人や「とりぱん」のとりのなん子の「生きもの好きの素人」の視点の、なんと瑞々しく、楽しく、おおらかなことか。感心する。突っこんでいけば学者の書いた解説本やら論文やらも読まねばならなくなるが、そこまで行かなくてもちょっと気に留めて手を伸ばせば、生きものの不思議や素晴らしさには出会うことができるんだよ、ということを教えいざなってくれる好著。万人にお奨めします。

○クール教信者「小林さんちのメイドラゴン」、高橋葉介「怪談少年」 マンガは結構読み散らかしているが、ここのところ当方の中で「切なさ」がブーム。人など比較にならない長寿を誇るドラゴンが自分の好きな人間が100年もしないうちにコノ世から居なくなることに思いを馳せる時に感じる切なさ、少女の霊に付き合って少女の霊が幸せな一生を体験したのを看取ってそのまま残ってしまった自分の分身の寂しさを思って泣くせつなさ。両作品ともコミカルな作品なんだけどイイ感じに「切なさ」が胸に突き刺さる。

 

<2015.1.31>

 やや大きな不調の波がきているのか、ここ2日ほど寝込んだが、なかなか眠りにつけず眠剤切らしていたこともあり、起きている間布団の中で延々と小説とマンガを読んでいた。

○角幡唯介「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」はケン一も文献調べとかの緻密さが凄いと書いてたように思うが、ようするに今時の冒険って、もう高い山も寒い極地も密林の奥地も到達し尽くされていて、文献調べて調べて、とかのうえで極個人的に「情熱」をかき立てられた場所にしか目的地が残って無くて、そういう所は一見なんでそこに行かねばならんのか世界最高峰とかみたいなわかりやすさがないので、人様にそこに行かねばならん理由を説明するにはそのあたりから「物語る」しか無いということだと思う。筆者はその物語を他人には価値のないものであり、上手く伝えることもできていないと感じているようだが、オレはあんたの気持ち結構分かったと思うよ。すべての高い山が登られているのと同様にすべてのデカイ魚も釣られているからね。後はオノレの中でどれだけ情熱をかき立てられる物語が紡げるか、というのはよく似ていると思うよ。などと偉そうに書いてみる。

○中島らも「ロカ」 連載中に亡くなって絶筆となっていると聞いていてまだ読んでなかったのをKindle版が出ていたのを見つけたので読んだ。ネタは使い回しでなんか読んだようなのが多いし、いきなりギターの調弦方法を詳細に書き始めたりで、だいぶウロ入ったらも先生という感じがするが、それにしても面白い。所々腹の底から笑せってもらった。終わりどころも良い塩梅でこれで完結でも全然問題無い。若い頃の作品のナイーブな感じも好きだし、「ガダラの豚」とか「永遠も半ばを過ぎて」とか絶好調で書きまくってたころのエンタメ作品も好きだし、ジジイの繰り言みたいになってる晩年の作品も全部好きだゼ、らも先生。

 両作品に「81」という数字がキーワードとして出てきて、意味のある偶然の一致を感じる。のをはじめ頭がやや変な回り方をしているようで、森薫「シャーリー」の2巻を読んで、どう考えても購入履歴とか調べても初めて読むはずなのに、読んだことあるような気がしてならない。単なるデジャブか頭が変な毒電波にやられかかっているのか、リーディングシュタイナーでも発動したのか。「自分が世界の陰謀に巻き込まれている」とか言い始めるキ○ガイの初期症状ってこんな感じで始まるんじゃなかろうかという感じで気持ち悪い。

○伊藤黒介「イブ愛してる」 マンガでは人様にお勧めされたこの4コママンガがちょっと凄かった。最初はサキュバス(女淫魔)がオカマを誘惑するように命じられてという枠でドタバタコメディーをやる予定だったと思うのだが、途中から天使と悪魔に例えられる善と悪についてというテーマでけっこうグイグイやり始めて、ドタバタコメディーは軽やかに続けながらもなかなかに考えさせられる面白さ。半端じゃなさそうなバックボーンを感じさせつつもギャグはバカ臭くて好みの芸風。

 最近、お勧めされたマンガが結構当たりを引くパターンがあって、自分でナニが自分の好みか分からないのに、人様には割とそれが分かるようで、「客観視」とか「岡目八目」いう言葉を噛みしめていたりする。

 

<2015.1.27>

 冬この時期は体調崩し気味で今日も仕事休んで布団で読書。しょうがないよねッ!

○高野秀行「未来国家ブータン」kindle版 高野秀行は面白い。とそろそろ世間様も認識し始めたのであえて書かなくても良くなってきているが、もう一回ぐらいは書いておく。

 ブータンには興味があった。国民の「総幸福度」を高めるという国民総生産とかの経済は二の次で幸せに暮らしましょうというコンセプトで有名な国で、果たしてそんな国がこのグローバルスダンダードとかいうクソ野郎様が世界を席巻しようとしている時代に本当に存在しているのか、あるいは昔、北朝鮮が「地上の楽園」と喧伝されていたように、外向けそう広報してるだけで、国民は国王の圧政に苦しんでいたりするのではないか、という疑念が拭えなかったところである。でももし存在するならそれは素晴らしいことだと思っていた。日本のようないろいろとデカくなってしまった国が今さらそのままマネはできないとしても、幸せに生きていくための参考には大いになるだろうと思う。

 でもって、半鎖国状態で情報があまり外にでてこないブータンに、なにを間違ってかブータンの伝統的な知識や生物資源を基に商品開発などしていこうという協同事業をブータン政府とおこなうことになった日本の会社が、その調査の手始めの露払い的現地調査を辺境作家高野秀行に発注してしまったのである。1ファンとしては面白いレポートが読めて嬉しい限りだが、人ごとながらその会社大丈夫かと心配になる。何しろ高野先生本人が自分で大丈夫だろうかとしきりに心配しているような人選である。まあ、仕事の進捗はおいおいスピードアップしていくとして最初の顔つなぎとして、まずは日本人が真面目でフレンドリーだということを売り込んで信頼関係を作るという戦略なら、高野先生というチョイスはこれ以上ないものだと思う。現地での「雪男」情報を探るという個人的な野望があるからとはいえ、高野先生、地元の通過儀礼的酒責め接待から、なかなかうまく行かない聞き取りから、ブチ切れたりあきらめたりせず、実にコツコツと丁寧にこなしている。

 いつものことだが酒も現地の人と飲みまくり。レポートはいつもの路地裏感に溢れる現地の普通の人から、今回政府のエリート職員まで様々な人とのやりとりを含めつつ面白おかしく報告されているので、その辺の楽しみはまあ読んでくれという話だが、結局ブータンは「楽園」なのか?という疑問について、高野先生の見た限りではどうもある程度本当のようである。同じような「後発」の小国が軒並み植民地支配からの独立や独裁政治からの脱却後、経済発展を目指すも民主化の流れの中で人件費が高騰するなどして経済発展は頭打ちをむかえ不況やら内戦やらにあえぐというパターンに陥る中で、ブータンだけがそういった国々や先進国も含めた先例を他山の石として、経済発展ではない環境保全を重視した持続的な社会構築の中での幸せの方向性を求めるというのを実現していると解説している。中国インドという大国に挟まれ下手に欲をかくとチベットのように喰われる状況下で敬虔な仏教信者の国という背景もあるが国王の舵切りも良かったのではと書いている。

 もちろん、そういった価値観で国を統括するためには教育という名の「洗脳」に近いことが行われていることや、反抗勢力を押さえるための治安部隊が人の集まるイベントでは目を光らせていることも読み取れる。にしても庶民もインテリも国の方針に対して概ね満足しており、その満足は高野先生はあまり選択肢がないから悩まなくて済む状況が庶民にもインテリにもあるからだと考えていて、提供されるモノがそれなりに納得できるレベルなので皆文句を言わないという構造が某ネズミの国に似ていると書いていた。そう考えると某ネズミの国の良くできたサービスを押しつけられる感じが嫌いな人間としては、自分の幸せはブータンまで行っても結局無いのだろうなと思うのである。「何が君の幸せ?何をして喜ぶ?分からないまま終わる、そんなのは嫌だ」というアンパンマンのオープニングの歌詞は実に味わい深いとオッサン思うのである。

 個人的にはあまり資源を消費せず足ることを知り、そのことに価値観と幸せを見いだすという方向性には大賛成である。そうできたらいいなと常に思う。でもそれを国とかの社会単位で強制あるいはそれしか選択肢がない方向に持って行くというのは、どうにも居心地が悪い。オレは軽蔑するが、お金をガンガン稼いでジャブジャブ使って物質的な豊かさを求めたい、それこそ幸せだ、と思う人間の存在を否定はしたくない。軽蔑しつつもそういう部分が自分の中にもなくもないからなおさらである。オレが他人に自分の幸せを押しつけられたくないように、他人にオレの幸せも押しつけるべきではないと思う。というのが楽園ブータンの高野先生からの報告を読んでの感想である。

 同じような大国に挟まれた小国の独裁国家である北朝鮮があんなに悲惨な感じがするのに、なぜ構造的には結構似ているブータンについて、まあ「幸せな国」って言って良いんだろうなと思うぐらいに違いが生じているのかというのをつらつら考えてみたが、結局それは国民をちゃんと飢え死にしないようにできているかというところに尽きるのではないかと思う。それができれば独裁国家だろうが、共産主義国家だろうが、議会制民主主義国家だろうが、良い国なのかもしれない。逆も真なりで国民飢えさすような国はどんな体制であろうともひっくり返してしまうべきだと思う。

 なにげにカラー版ということでカラーで読めないタイプのkindle端末使っているのでその分安くしてくれと思ったりもしたが、書籍は文庫版が出るタイミングぐらいで文庫版の値段で電子書籍も出るパターンが多いが、高野先生はもう単行本出すタイミングで電子書籍版も出す方針にした様子だ。ちょっと値段は高いが早く読みたいので歓迎である。 

 

○中島らも「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」kindle版 段ボールに詰まっている蔵書の自炊計画はほぼ頓挫している。めんどくさいので読みたくなったら紙の本がどっかにあるはずなのにkinde版買っちまっている始末。自分のものの考え方のベースには開高先生とらも先生の本が大きくある。本ということでは他にもいろんな作家の作品を読んだが、この2人から一番影響を受けたように思う。

 釣り師でインテリジェンスの権化のような開高先生に自分が惹かれるのはわかりやすいが、ラリリで都会派でちょっとセンチメンタルならも先生になぜ自分がこうも惹かれるのかよく分からない。自分は開高先生のようなインテリジェンスあふれる人間になりたいと願ったが、妙な知識があふれ出すオタクな人間になってしまった。らも先生のようなわけのわからんオッサンにはなりたくないなと願ったが、程度は軽いがわけわからんオッサンにはなってしまっている。

 そんならも先生の作品でも「今夜すべてのバーで」と自分の中で1,2を争うぐらいに好きな作品。高校、浪人、大学時代中心の短編のエピソードを積み重ねて青春時代を描き出すという構成になっているが「自伝的青春小説にハズレ無し」の例に漏れない面白さ。爆笑、共感、時には泣けたりもする。久しぶりに読んだけどほぼ内容覚えているぐらいで何度も読んだ作品だけど、また読んでも面白かった。

 

<2015.1.24>

○岡本倫「極黒のブリュンヒルデ」11巻 一段落で最終回かと思ったら「もうちょっとだけ続くんじゃぞい」的第2部突入。味方の魔法使いは1人死亡、1人記憶喪失、1人能力喪失だが、クビチョンパくらったカズミは案の定不死身の能力者が生き返らせていて、主人公良太のハーレム状態は続くのであった。とりあえず地球生命の終末と最強の魔女の暴走は防いで、魔法使いの少女達は寄生生物の卵がいつ孵るか不安を抱えつつも学園生活に復帰して、カズミも元気に「交尾や、交尾!!」とヒロインの一人としてその慎みの無さはいかがなモノかというセリフで良太にせまりまくっている。しばらく日常回でまた超能力バトルに突入していくんだろうが、良太のキレッキレの戦術にまた唸らされたい。魔法使いの少女達同士や同級生との女の友情が結構「熱い」感じでジャンプ系のノリだなと強く感じる。

 

<俺の読書 14/Jan/2015 Wed>

ナマジへ、年末年始に読んだ本の中でおもろかったもの

□ 「海の翼 〜エルトゥールル号の奇跡〜」秋月達郎 PHP文芸文庫

 23年は経ってしまったか、トルコに行った時のこと。 自分で行きたいコース組んでおきながらトルコに関する世界史的な予備知識は残念ながら殆どなく、世界でも類を見ない親日国家であること、デカい公共工事は日本のゼネコンが頑張って受注していること、何回か行ったことのある串本の紀伊大島沖でその昔トルコの船が座礁して漁民が助けてその慰霊碑が残っていること、カッパドキアの奇岩に穿たれた住居群はスターウォーズ エピソード1のロケ地で映画そのまんまの風景らしい、ぐらいのモンであった。

 そのトルコに行く直前に串本へ行ったこともあり、やや鼻持ちならない現地ガイドに「串本に慰霊碑建ってるの知っとる?」というような事を途切れがちな会話の途中で聞いたのだが、当然知ってますよ、という答えが返ってきただけやった。

 数日後、紀伊大島のエルトゥールル号に関する話をその鼻持ちガイド君が車中で詳細に紹介しはじめた。

 明治23年のエルトゥールル号の遭難で大島の漁民にトルコ国民が嵐の中で何人も救われたこと。 そして昭和60年イランイラク戦争時に、かのフセイン大統領が48時間後にイラン領空の封鎖を宣言し、在イラン外国人の脱出激が始まったこと。 欧米人は自国の航空機で慌しく帰国していく中、在留邦人救出の便を飛ばすことをフラッグシップのはずの日本航空はクソ組合が妨害し(山崎豊子「沈まぬ太陽」でも日本航空の組合はクソやったな)、日本人は戦時下のイランに取り残されそうになったところを、トルコ航空が日本人救出を買って出た。 

トルコ航空が飛行機を飛ばしたのは、ひとえに95年前に串本大島沖で受けた恩を返す為なのだと‥‥。

 そんなこと全然知らなかったオイラは己の無知に恥ずかしくなった記憶が今も残っている。 昭和60年というと中学校に上がったかどうかの年齢だったとしても、そんなことがあったことを知らないばかりか、周りの大人から聞かされたこともなかったことに恥ずかしくなった。

 このエルトゥールル号とイランイラク戦争時のトルコ航空による邦人救出劇を絡めて書かれたのがこの小説なのだが、かなりの部分がノンフィクションらしい、というのはビリビリ伝わってくる。

 100年前も前の恩をトルコ国民が子から孫へ伝え続けていくトルコ人の国民性を親近感と言うか国を越えた友情を持って書かれている。

普段の読書は印刷してある活字の上に視線滑らせていくだけで目的の半分は達しているようなオイラやけど、こいつは久し振りのおすすめ本なので久し振りに俺の読書書いてみました。

 

<2015.1.12>

 新年早々体調崩したりしてヘロヘロでマンガばっかり読んでる。そんな中で活字もの今年1発目は結構なスマッシュヒットだった。

○西尾維新「掟上今日子の備忘録」は同作者の「化物語」シリーズ終了後の次のシリーズということだったんだけど読むの得意じゃない探偵モノだった。まあ化物語シリーズ最終刊におまけで付いていた第1話を読んでそこそこ面白いと思ったので、Kindle版で買って、正月休み帰りの電車で読んだらこれが期待以上。元々西尾維新はミステリ畑出身のラノベ作家ということで得意なジャンルなんだろうけど、1日寝るとその日あったことを忘れる忘却の探偵今日子さんが素早く事件を解決、という感じでスッキリ面白い。そういえばこういう短期の記憶が定着しないで消える病気だかってあったよねと思いつつも忘れかかっていたら、大熊ゆうご、田畑由秋「ヤングブラッジャック」読んだらまさにその病気出てきた。脳の海馬が機能しなくなるとそういう症状になるとのことで「意味のある偶然の一致」っぽい。最近ブログにも書いたように物忘れが激しく人ごととは思えない。ヤングブラッジャックなかなかに面白く楽しめて、勢いついて思わず本家をKindle版で読み返し始めているが、自分の中でマンガベスト3をあげるときに1位は「ブラックジャック」、2位「釣りキチ三平」、3位「がきデカ」としていて、あまり親しくない人には3位「がきデカ」を「あしたのジョー」に変更していたりするが、まあ1位は揺るぎない。でもそれは感受性高い若い時に読んだ印象があってそうなっているだけで、実は今読んだらそれほどでもないかもと、あの感動はもう無いかもと思っていたが、全くの杞憂。たぶん人生で3度目の通読に突入しているのだと思うが、これはもう1位はそうそう動きようがないというぐらいにやっぱりとっても面白い。手塚作品は傑作多くて好みも分かれるだろうがオレ的にはブラックジャックが文句なしの一番の傑作だと思う。いちいちブラックジャックがカッコイイと感じるのはブラックジャック読んでカッコイイとはどういうことかとすり込まれたからなのではないかと思うぐらいにブラックジャックがカッコイイ。自分の技術にプライドがあって金にがめつく腕の安売りはしないけど、親子の情には弱くてコロッと手術料まけてやっていたりする。キリコの必要悪やら人が死ぬという自然の摂理に負けたその負けた背中がカッコイイし、ピノコの幸せを願いながらもなかなか人並みの幸せをというのが難しいことに直面して苦悩する様もカッコイイし、そういうブラックジャックを身近でみて心から尊敬し理解し先生を「あいちてゆ」ピノコの存在に癒される。

 マンガはその他にも、面白いのいっぱい読んでいて、「懲役339年」はなかなかに哲学的というか寓話的で味わい深い、「ニッケルオデオン」の道満清明のセンスはなかなかオレ好み。発表の場所がエロ本系媒体が多いせいか、エロいネタは多用するけど何というかあんまりエロネタでもベタベタしてない、カラッとした感じで笑える。エロとギャグ以外にも心理描写も上手く今後化けるんじゃないかとひそかに期待している。

 一方我らが田中圭一「いかれポンチ」であるが、ベッタベタの手で触りたくないようなオゲレツなシモネタの嵐である。30年間シモネタ一筋とキャプションが踊っているが、確かに学生の頃読んだ「ドクター秩父山」から奇跡のメジャー誌連載「昆虫物語ピースケの冒険」から、「神罰」あたりの手塚キャラでシモネタという冒涜から、サラリーマンの副業らしいがこれまでずっとシモネタしか書いていない。いっそ清々しい。はっきりいって好きな漫画家の一人である。これからも我が道を行って欲しいモノである。

 いろいろ面白かった最近読んだマンガのなかでも特に書き残しておきたかったのが石塚真一「岳」。山岳救助のボランティアの三歩を中心に、北アルプスの山の物語を描いているのだが、読みながらあらためて登山というのは人が死にすぎる「趣味」であると思う。釣りだって落水したりして溺死なんてのもあるが、そういう目にあっているのは知り合いの知り合いぐらいまで行かないといなくて、山のように、先鋭的な登山家なら当然のように仲間の何人かが死んでいるなんてことは無い。だからといって山に登るななどとは全然思っていなくって、それでも登りたい情熱があるのなら登れと思っている。登山家よ、そこに山があるなら登れ、すべての高い山に登れ、とエールを送りたい。最後の方のエピソードでは三歩がローツェに登るのと並行して、三歩がかつて救った若者が、会社を辞めて有り金突っこんでガイドを雇ってエベレストに挑戦する。どこかに、自分は先鋭的登山家の前人未踏の登攀よりも、草登山家がガイドでも酸素ボンベでも使えるモノはすべて使ってたどりつく頂にこそシンパシーを覚えると書いたが、作中エベレストに登りにやってきた面々は、それぞれの想いや事情を抱えて、皆力一杯の挑戦をしており、夢叶う者、退けられる者それぞれにドラマがあって、そういう草登山家を力一杯描いてくれた作者に共感したし感動させてもらった。みんな自分の「山」があるのなら、そこに向かって思いっ切り登るべきだと思う。

 

 

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