○「クロひげ危機一発」と生物多様性

 

 ご存知のとおり「クロひげ危機一発」とは玩具メーカー「トミー(現:タカラトミー)」の30周年を迎えたロングセラー商品で、樽に入った海賊クロひげに、樽の隙間から参加者が順番にプラスチックの険を刺していき、クロひげが飛び上がったらその人の負け、罰ゲーム等が待っているというゲームです。このことはとりあえず置いておきます。

 

 さて、生物多様性について、これを保全しなければならないということは、なんとな〜く共通認識になっているように見受けられます。

 しかしながら生物多様性を保全するべきという主張の中にも、色々なレベルがあると思います。それらの主張を大きく分けると次の2つに集約されるのではないでしょうか?

 

\己多様性原理主義

 生物多様性は絶対不可侵のものだ、1種類たりとも生物を失うことはできない。失ったら二度と取り戻せないんだ。可能な限り人間の手の加わっていない状態に戻すべき。

 

∪己多様性日和見主義

 生物多様性が重要だということは聞いたことあるけど、とりあえず今の便利な生活とかを手放す気にはならないから、できることからやればいいんじゃないの。例えば、とりあえずブラックバスが生物多様性に悪いっていうからそれを駆除でもしとけばいいんじゃないの。

 

 というようなものです、

 ,鰐世蕕に現代社会では受け入れられません。人は一度手に入れた便利な生活をなかなか手放さないものです。

 よく、エキセントリックな自然保護論者が「人間は他の生物の生存を左右するような技術を持ってしまった。だから他の生物を守る責任が人間にはある。」とおっしゃっていますが、私は全くそんな責任はないと思います。

 いったい人間が何様になったというのでしょうか?完全に神様の視点です。おこがましいと思います。

 人間がどれだけ力を持とうとも地球上の他の生物と同じように、生態系の一員として組み込まれています。その中で精一杯よりよく生きていくためには、他の生物を利用し、時に駆逐してしまうこともあるでしょう。その結果、生物多様性の損失による環境悪化等のしっぺ返しをくらうことになれば人間にとって都合が悪いことになります。

 そういうことが起きないようにするために、あくまで人間のために生物多様性を守るべきだと思います。

 人間が地球上から消し去った生物種は10や20ではすみません。なかにはかなりの個体数を誇りその地域の生物群集上重要な地位を占めていたはずの種もいます。高次捕食者であるニホンオオカミなんてのも絶滅させています。

 かといって、それらの絶滅種が消えたときに、人間が得たものより失ったものが多いかといえば、一概には言えません。多くの生物種が失われ大事なものも失われたと思いますが、人間は便利な生活を手に入れました。

 1種類も失ってはいけないという主張は、現実味に乏しく論拠を欠きます。

 

 じゃあ△というと、これも問題があるように思います。

 ブラックバスの駆除だけで生物多様性が充分保全されるわけがないのは皆さんよくご存知のとおり(ブラックバスをそもそも駆除が必要な種とするべきかどうかという議論も別途ある。あったけど環境省はろくに議論もせずに環境大臣の鶴の一声で特定外来生物に指定)。

 場合によっては「できることからやってます。」という行為が免罪符になり、本質的な生物多様性の破壊を放置する原因になりかねません(建設土木業界は明らかに免罪符を求めているように思います)。

 水辺を工事する時に生物多様性のために今よりましな手法はいくらでもあるんだから、そういう手法をドンドン使うべきだ。という意見も実は要注意だと思います。使わないよりいいことは間違いないけどどこまで効果があるのか疑問です。免罪符にされるのには気をつけなければなりません。

 もっとも、国土交通省の進める「多自然型川づくり」では専門家委員会の調査で調査事例の9割で趣旨に反した工事がされていると指摘されるようなお粗末さで、免罪符云々を心配する以前の問題というのが実態でしょう(07年1月時点)。

 「自然型川づくり」なのか?いい加減にしろ!

 

 私の素人意見としては、希少種や人間の手が加わっていない生物多様性に富んだ生態系を保護・回復する場所、ある程度人間の手を入れて管理しながらもそれなりに生物多様性が豊かな里山のような場所、生産性を重視しながらも可能な範囲で生物多様性の保全に気を配るべき農地や山林、ある程度生物多様性を犠牲にせざるを得ない都市や工業地帯を分けて、それぞれ生物多様性の保全のためのとるべき方策を示すとともに、これらの場所がそれぞれどれくらいの割合であれば、人間が生きながらえていくのに足りる程度の生物多様性が保たれるのかを示す必要があると思います。

 場合によっては、人間が生きながらえていくのには充分なので、特別な保護区域以外では消えてしまうのも致し方ないという判断になる種も出てくるかもしれません。

 残念ながらそういう、全体像を把握した上での進むべき方向というのが示されているのを見たことはありません。

 環境省でも研究者だれでもいいので早く具体的な説得力を持ったプランを示して欲しいと思います。

 

 現状は、とりあえずできることをやりながらも、失われていく生物多様性を眺めているだけという気がします。

 なにもわからないまま、これは大丈夫だろう、まだ大丈夫だろうという感じで、欲望のままに人間が突き進む状態が、まさに「クロひげ危機一発」に似ていると思います。

 生物多様性の喪失にしても、地球温暖化にしてもどこかでストップをかけないと人間の存続が危ぶまれる状況に陥る確率は高そうですが、どこまで許されるのかよく分からないのをいいことに、人間は調子にのって樽に剣を刺しまくっているような気がします。

 少なくとも、無くなることは分かり切っている、過去に蓄積されたエネルギーである石油の利用を前提とした産業・社会構造や、森林資源、海洋生物資源の現在の備蓄を減らしてしまうような利用の仕方などがいつまでも持つわけがありません。

 「循環型の持続的発展が可能な社会へ移行しなければならない」と、あちこちで耳にしますが、具体的にはどうすればいいのかよく分かりません、そもそもそんな永久機関のような都合の良い社会が何も失わずに手にはいるのでしょうか?何かを我慢することで手にはいるのなら具体的に何をどのくらい我慢すればいいのでしょうか?よく分かりません。よく分かっていないこと自体かなり危ない状況ではないのかなと不安になります(註)。

 もしかしたら、「クロひげ」はもうポッカーンと空高く飛び上がってしまっていて、それでも我々はグサグサ樽に剣を刺しているのかもしれません。あーヤダヤダ。

ギル(「そんなにオレが悪いのか!」嫌われがちのブルーギル)

オヤニラミ(準絶滅危惧種のオヤニラミ 絶滅して良いかと聞かれると、そりゃ絶滅して欲しくないです。)

(註)この文章書いたのはちょっと古い時点で、ご存じかもしれませんが、2007年にIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が温暖化に関する報告書を出していて、かなり具体的に警告が発せられています。まさに科学者に求められているのはこういう仕事だと思います。私のようなアホに褒められてもしょうがないでしょうが、ノーベル平和賞受賞してるのも納得です。私の読み方が断片的で悲観的なのかもしれませんが、「緩和策を取るべきだけど、今考えられる防止策を精一杯とっても結構温暖化は進みます。」というような、ある意味ショッキングな内容でした。やっぱり黒ヒゲ飛んじゃってるのか?

(2008.3) 

<2009.3.28のブログより転載>

○黒ヒゲが飛ばないようにできるのか

 

 以前、「雑文」に生態系や生物多様性の保全について、「できることから始める」程度のおためごかしでは結局生物多様性が失われていくことをとどめることができず、取り返しがつかなくなってしまうのではないか、という懸念を「まだ大丈夫」、「もう少し大丈夫」と1本ずつ剣を刺していく「黒ヒゲ危機一発」にたとえて書きました。
 大局的な観点に立ってどの程度生物多様性は保全する必要があるのかを示し方策も示すべきだ。具体的には原生林のような豊かな生物多様性が保たれている場所、里山のような人とのかかわりの中で生物多様性が保たれている場所、集約的な耕作地、都市部などに分けて全国でそれぞれどれぐらいの割合が必要か、それぞれのケースでどのような対策を取るべきか示して欲しいというようなことを書いています。

 どうも環境省がそのリクエストにこたえるような構想を示すようです。
 「全国エコロジカル・ネットワーク構想」というそうです。公表された資料には(案)がついていますが、26日の読売新聞夕刊で「環境省が将来像を示す」と紹介されているのでおそらく何らかの決定を待って、この案をもとに大々的に動き始めるものと思われます。
http://www.biodic.go.jp/biodiversity/econet/20-3/index.html

 どうせくだらん役所仕事かマニアな研究者の趣味の世界だろうとあまり期待せずに資料にざっと目を通してみました。
 
 構想では、「奥山自然地域」「里地里山・田園地域」「都市地域」「河川・湿地地域」「沿岸域・海洋域・島嶼域」の5地域に区分し、それぞれの現状の把握と将来像を地図に落として示しています。
 「まあ、ええんとちゃうの?」という感じです。真面目に考えれば誰でも同じように考えるということでしょうか。
 どうしてその将来像を目標とするべきなのかという思想がいまいち見えにくいですが、まあ、現実的に取りうる措置をとった場合に期待できる美しい未来を描いたというイメージでしょうか。それなりに妥当な将来像のようには感じます。「人間が居ない方が良い」と言い出しかねない「多様性マニア」のヒステリックな主張に感じるような違和感は少なくとも感じません。

 次に私が注目した点は、指標となる生物をピックアップして、それぞれの生態系の全容が把握できなくても簡便にある程度の評価が可能なようにしていることです。
 その指標生物としてクマとか大型の鳥類とかいかにも環境省御用達の学者の好きそうな生物が出てきて、魚はサケとアユのみで純粋な淡水魚は一種も出てこないという状態なので、やっぱり趣味の世界かと思いかけました。が、どうもよく読むと違うようです。
 指標生物としては、その生態系における高次捕食者や希少種などその種を守れば自ずとその他の生物も守られる鍵となるような種を選ぶという考え方でピックアップしており、純粋な淡水魚は河川・湿地地域の指標生物であるツル類やガン類が守られていれば当然大丈夫という考え方のようです。サケとアユは海と川の生態系をつなぐ鍵種としてピックアップされているようです。なるほどコストを省き手っ取り早く広い範囲の状況を把握・評価するには合理的な方法です。
 ツル類よりもサギ類とかの方が良さそうな気もしますが、全国的な基準でピックアップするとそうなるというような説明で、地域ごとにさらに細かく詰める場合にはその地域ごとに適切な種を選ぶべきとされておりまあ納得。
 指標生物の選択理由についても説明資料がつけられており、丁寧な仕事ぶり。
   
 さらには全国の重要地域をピックアップしているのも具体的で良いと思いますし、構想名のもとになっている、生物多様性を損なう大きな要素となっている「生態系間の隔絶」をつなぐためのネットワークのイメージを示したのも秀逸といって良いのではないでしょうか。

 まだまだ議論が必要でしょうし、これで良いかの評価もにわかにはできそうにないですが、最初に当面の目標として示される構想としては充分というか、疑ってゴメンナサイというレベルのものになっていると感じました。
 「生物多様性を守った場合、どんなメリットがあるの。」という素朴な疑問に、今回示された将来像に達したときに得られる利益を数値で示せれば説得力あったのでしょうが、定性的には書いてあっても、定量的で具体的な説明は現時点では難しいようです。正直に難しいというようなことが書いてあって問題意識は持っているようで真面目な仕事の匂いがします。

 実際には、予算も権限も小さい環境省が、予算と権限の権化である国土交通省や農水省に対しどこまで主導権を取って対策を実現化させていくかということや、財政的に疲弊している地方自治体がどこまで積極的に取り組んでくれるか等が難しい問題としてあると思います。絵に描いた餅とならないようにしていく必要があるでしょう。

 今回、環境省を応援します。  

里山と田んぼとサギ類

 

<2015.1.31のブログより転載>

○値段がつかないからといって価値がないわけではない

ネット蛇篭

 ネットでちょっと前に見かけたやりとりで「金より大切なものなんて存在しねーよ!誰か反論してみろよ」という挑発に即座に「だったら金を使えないだろ。論破終わり」という返しを書き込んだやつがいて、「俺は今、本物の論破を見た!」と激賞されていて、ネットの片隅にはなかなかの賢者がいるようだなと感心させられた。

 お金があればある程度何でも買える。お金が大事だというのもある程度そうだろうと同意する。ただ、お金っていうのは、本来価値のある物、例えば食料だとかサービスなんていうものを、全部現物で保管してはおけないしサービスなんてのはそもそも保管という概念と相容れないので、そういう価値のある物と交換可能な便利なモノとして作られた道具であり手段である。道具だから本来使ってこそ意味があって、一番大切で使えなかったらネットの賢人のおっしゃるとおり意味がない。お金は手段であって、本質的にはそれ自体が目的にはならないはずである。どれだけ現金があっても使わないならただの紙切れだし、銀行口座にあればケツ拭く紙にすらならない数字でしかない。お金が沢山欲しいという場合、硬貨マニアとか特殊な物質崇拝的な心理を除けば普通は、お金がたくさんあって食うに困らない、欲しい物が沢山買える、楽しいサービスも沢山利用できる。という金を使って良い目を見たいというのが目的で決して金そのものが目的ではないと理解している。

 

 なぜ金の話をし始めたかというと、先週carankeさんと東京郊外の湧き水の川で、魚を釣って鳥を見て、いろいろと話したときに「こういう生き物が棲める環境があるっていうことの価値って、費用対効果とか経済的な価値では計りにくいんですよね」という話題になって2人でグチグチとコンクリートでどこでも固めたがる人達の悪口をいいつつ議論したりして、その後もいろいろ考えたからである。お金に換算する方法がないので経済的に評価しづらい、そういったものにも価値のあるものがあると、金で買えないような、かけがえのないものもあると私は信じるという話である。

 東京ぐらい経済優先で突っ走って行き過ぎたのが表立ってくると、さすがに残された貴重な自然や文化遺産は残していこうという機運は高まっていて当然で、くだんの湧き水の川も水辺の公園が良い塩梅に手を入れて人と共存する里川的「自然」に整備されていたり、水源地の一つが昔そのあたりの農村によく見られた竹林とセットで公園となっていて、河岸段丘の断面からポコポコと湧き水が湧いてくるという地理学的な知識を裏打ちする、まさにその現場を目で見て感じることができたりと、割と自治体も気合い入れてちゃんと考えて保全やら教育やら含めて力を入れている様がうかがえた。

 魚も鳥も虫も沢山いるので、釣ってても鳥見ていても、都心から電車一本でこんなに楽しめて良いのだろうかというぐらい良いところなのだが、果たしてこの良さがどれくらいの釣り人に理解されるのかは疑問である。分かる人には分かると思うのだが、ものすごい数の釣り人が東京の周辺にはいて、あやしげな爆釣情報などネットで流れると「人山」がたってえらいことになるくらいなのだが、なぜかネット検索であっさりたどり着けたこのポイントには釣り人は全然ストレスを感じない程度の少数しか来ていない。

 

 よくフライフィッシングにおいて、「生態系全体からのアプローチ」とか大上段に構えた大仰なキャッチフレーズを目にするが、時にそれが形骸化してなんか小難しく水生昆虫の種類やら生態やらをゴチャゴチャと知っているのがレベルが高いと勘違いしているような気配を感じることがあって、もちろんすざまじいレベルでホントに生態系全体から魚に迫って行っているフライマンもいるのでちょっと失礼かもと思うが、そういう洒落臭い知識じゃなくて生態系っていうなら、もっと虫と魚だけじゃなくて山川見て鳥も見ろよと正直思う。山に雨が降ってそれが染み込んだのが、河川に切り取られた河岸段丘の崖から染みだして湧き水の川になる。地熱で暖められた湧き水は水温安定していて冬でも暖かく、その分水中の植物ももちろん虫も年間通じて豊富で、それらを餌に魚も鳥も多いという知識をもって冬この川をポイントに選ぶというのは、大雑把ではあるけれど「これが生態系からの魚へのアプローチです!」と胸を張って言い切れるものであり、carankeさんという鳥の専門家の案内で鳥の世界も楽しんでみたりしたらもう、楽しいの楽しくないのって、まさに「金には換えられない」楽しみであった。

 ただ、この楽しみは、文字通り価値がお金に換えられない類いのもので、費用対効果とか考え始めると、釣り人やバードウォッチャーが多少来たところで、まず公園整備や河川環境保護の経費が賄えるような額にはならない。ただこういった現物を見て生態系やら河川、地域の歴史やらの地理学を学ぶ機会というのは大事だというのは分かる人間には分かるはずである。現物見ないと絶対に身につかない知識とか経験とかがある。だから東京あたりの財政豊かな自治体ではそれなりにお金を付けることができる。

 ぶっちゃけ川で魚を釣ったこと無いような育ちかたした人間が、まともに川の自然を守る方法が分かるわけがない。

 いま、若い親の世代が今一そういった自然と接する機会を持ってきていないように思う。だから川はコンクリで固められまくるし、釣り場に子供が少ないようにも感じている。湧き水の川にも餌釣りで淵のアブラハヤを釣っている近所のジサマと瀬でフライでオイカワ釣ってるオッサンと青年ばかりで、竿持った子供はこれまで1人しか見ていない。

 簡単に釣れそうなデッカイ鯉とか泳ぎまくってるのに、なぜ釣ろうとしないのか、学校が柵を越えて川に降りるなと言っているのかもしれないが、そんなもんは子供は無視して暴れる権利があると私は信じる。そういう元気が今の子供にないわけではないように思えるのだが、親自身が川や池には危ないので近づくなと言われて育っているので、川に近づけたがらないのではないかと疑っている。

 近所の川の柵超えて釣りに行ってヌシみたいなデッカイ鯉釣ったことがある。という子供時代の経験はそれこそお金に換算できないデッカイ価値があると思うのだがどうだろうか。都会の川の堕落した鯉なんて逆にそのぐらいにしか存在価値がないと思うのだが。

 

 というように失った自然を取り戻そうという流れは都市部を中心に結構あると思う、あると思うんだけど、なんか最近コンクリ好きの勢力が盛り返してきたように思う。

 少なくとも、日本でも「生物多様性」とかいう言葉を目にするようになって、一回そっちに行きかかった流れが、またぞろ景気もちょっと良くなって公共事業も回さねばならんということで、ほっといてくれよというところまでコンクリ化しているように思う。

 直接被害食っている事例では、近所ポイントのシーバスのついていた排水脇のネット蛇篭の岬の部分が、何の不都合あったのか直線のコンクリ護岸に改修されてしまった。現象としてシーバスがまったくつかなくなってしまったが、その背景にはネット蛇篭なら隙間にハゼ系だのエビカニの類いだのがいっぱい棲めたのがいなくなって、けっこうそのあたりの生物群集におっきな影響与えている実態があるのだと推測している。

 ネット蛇篭というのは正式な名称ではなく勝手にそう呼んでいるのだが、でっかい1トン袋ぐらいの大きさの樹脂製のネットで作った篭に石を詰め込んだものを、積み上げたりして川の浸食を防いだりする護岸に使われるもので、見た目は石積み護岸のような自然な感じにはならず写真のように土嚢を積み上げたようなパッとしない見た目になるし、ルアーはネットに根掛かりまくるのだが、石積み護岸以上に生き物が隙間に棲む機能に優れているようで、割と高く評価していた。テナガエビ釣りでも良くそのまわりを狙う。積み上げるのにクレーンでどかんと積めば良いだけで、一個一個人力で石を組んでいく石積み護岸に比べればコストは小さそうだし、ルアーが根がかるのはトップでも投げとけという話でどうということでもない。見た目を気する公園整備とかには向かないだろうけど都会の川の護岸整備には結構良いんじゃないかと思っていたが、これの良さがわからんかねコンクリ屋や財政担当者は?という仕打ちとなっている。オレは見た目パッとしないが実力者のネット蛇篭を応援したい。

 

 東北でも復興の名の下にまたぞろコンクリ屋が勢いづいているようで、海岸やら河川やらを醜悪なコンクリの壁で覆う気満々のようである。

 一旦壊してしまえば、山でも川でも元の状態に回復するとなったら膨大なコストがかかる。そういうのはヨーロッパやら東京やらでも前例はいっぱいあるはずだけど、地方ではその価値に気づかずにコンクリで固めてしまうとcarankeさんも嘆いていた。

 「そんなのどこにでもあるでしょ?」と気にもせずに、どうってことない水辺をコンクリで固めてしまった結果が、メダカですら絶滅を心配しなければならない昨今の状況である。ボチボチ危機感を持ってもらわないと警鐘は既に鳴りまくっているという話である。

 東北沿岸部の被災地でも、地盤沈下した土地が汽水湖のようになっていると報告していたが、そういう場所に水鳥がきているのを、わざわざ金をかけて使うアテもないのにポンプアップして排水し始めているようである。

 人が使わないのなら水鳥やらに使わせてやってくれと思うし、本来そういった汽水域の低湿地は田んぼの魚というイメージの強いメダカのもう一つの本命的生息地であったはずで、上手く使えばメダカ復活の場所にもなり得るだろうに、とコンクリに固められていない水辺の価値の分かる人間なら思うはずである。メダカ一種類が復活すれば良いという話では無く、そういう環境が残されていること自体に価値があるという話が分からんかなということである。

 

 ことここに至って、日本ではコンクリで固められていない水辺の価値は非常に高くなっているのは間違いない。

 それは、原始の姿のままの深い森の渓流やら、最近一般的にも認知を得てきた、人との共存で作られてきた里山里海的なものやらが価値があるというのと同様に、ありとあらゆるレベルでとにかくできるだけコンクリが少ない方が良いと言い切れるぐらいにすべての水辺で言えることだと思う。

 都会の川でもコンクリで天井も覆った暗渠で光も差さない釣りもできない場所よりは、コンクリの運河でも天井のコンクリが無ければ日の光でコケでも生えればハゼやイナッコがやってきてシーバスが入ってきて釣りもできるという流れができる。両岸コンクリでもその中に土手の部分があって植物が生えているか否かでまったく棲んでいる生物の多様性は変わってくる。とにかく今より悪くするな、チャンスがあったら良くしてくれ、コンクリ引っぺがせ土を盛れ、ネット蛇篭を積め、最低限放置しろと言いたい。必要性もない工事ならせんほうがマシなのは金銭面からも明白なのに、年度末予算が余ったからといって護岸工事すんなやボケと思うのである。

 安全面を考えれば、原始のままの暴れ川が良しとはできないだろうし、農業など産業との関連で効率的な整備が必要な水系もあるとは思うが、それら安全性や効率性などと同様かそれ以上に考慮しなければならず、取り得る範囲でベターな方法で保全していかなければならないのが、生態系やら生物多様性といったものだというのが、今時の良識だと断言できるのだが、じゃあそれがお金に換算するとどのくらい価値があるのよ?と聞かれると「お金じゃ計れないんです」としか説明しようがないので、金が一番大切だと思っているような本質的な間抜けを納得させるのが難しく、どうしたものかと悩むのである。

 全体的にどのくらいコンクリを引っぺがせばいいのか、その基準というか目標が分からないところも問題ではあるが、一応環境省が全国エコロジカル・ネットワーク構想なんてのも出しているので、そのへん参考にしろだし、とにかく危機的にコンクリが多すぎるのでどこでも迷わず引っぺがせな状況だと思う。

 

 少なくともこのブログを読んでくれている人はコンクリで固められていない水辺の価値の分かる人だと信じている。そういう人から是非、自分の釣り場の見てきた話を踏まえて、「コンクリで固めない方が良いんですよ」というのを機会ある毎にいろんな人に言ってあげて欲しい。できれば釣り仲間に引っ張り込んだりして我らの「反コンクリレジスタンス」に参加してもらえると、きっと楽しいことになると夢想するのである。

 ジョン・レノンは「国境など無いと想像してごらん」と歌ったが、私は「コンクリ護岸など無いと想像してごらん」と歌いたい。

 

 ”イマジン ゼア〜ズ ノ〜 コンクリ〜”ってね!

 

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