○和名のはなし −君の名は その2−

 

  魚の名前には、学名、和名(標準和名)、地方名、流通上の呼び名、通り名などがあり、例えば日本を代表する魚である、学名Pagrus major は標準和名を「マダイ」といい、地方名としては「ホンダイ」、「タイノユウ」などがあり、流通上使われる名として春の時期の「桜鯛」などがあり、通り名としては単に「タイ」と呼ばれたりします。

 

 いろんな名前があると、ややこしいことが起こります。典型的なのが標準和名では「アカイカ」と呼ばれるイカで、このイカ自体地域によっては「ムラサキイカ」「ゴウドウイカ」等々の地方名を持っており、さらにアカイカという地方名を標準和名でいうところの「ケンサキイカ」や「ソデイカ」が持っていたりして、よくよく確かめないと誤解を招きます。

 

 なぜ、一種類の魚にこんなに名前が色々あるのかというと、まあ、昔は地産地消の消費形態でその地方の中で共通の名前があれば事足りていたので「地方名」だけで済んでいたのでしょうが、商売や流通が盛んになりはじめると、少なくとも売るときの共通した名前が必要になり流通上の名前や通り名が生じるようになったのだと思います。

 その上で、情報や物が日本中を動くようになって、日本どこでも通用する名前をということで図鑑などに記載されるような「標準和名」が整理されるようになったのでしょう。とりあえず標準和名で図鑑に載っているので、標準和名があれば図鑑と見比べてなんとか共通認識を得て誤解の無いように事を運ぶことはできそうです。

 学名については若干、事情が違っていて、学問の世界では早くから物に名前を付けて整理する必要から、18世紀にリンネが提唱した属名と小種名を並べる二名法と呼ばれる学名の体系が整理されてきました(亜種だと3つ並ぶ)。

 

 というやや堅い話から入りましたが、実はこれらの名前の中で割とカッチリ堅く固まっているのはラテン語表記される学名だけです。全世界共通で一つの学名が一つの種又は亜種を示すべく整理されています(常に新しい説が出て更新されてはいますが)。(註1)

 

 対して、よく学名と混同される標準和名(註2)については、最近でこそ学会発表をベースに新種等なら最初に報告提唱された和名を標準和名としましょうという暗黙のルールができているようですが、実は標準語と同じでこれといって決まりがあるわけではなく、時代と共に変化したりもしつつ、古くから使われている和名などは、根拠もなく何となく関係者一同そう思っているもの?が「標準和名」として使われています。

 実際に魚を始め生き物の名前を知るにあたっては、学名では読み方すらよく分からず、ラテン語の素養がなければ意味もわからないのでその名前に親しみを持って覚えることはできず、標準和名を使うことが一般的です。

 

 しかしながら、標準和名は学者が提唱したものについては意外にいい加減でセンスがないうえに、ルールがあまりきちっとしていないのでトホホな名前も結構あったりします。

 逆に、昔から使われていた地方名を基にしているとおもわれる標準和名には、昔の人の素晴らしい観察眼やネーミングセンスがうかがえるものがあります。

 もちろん、学者先生の中にもセンスの良い方もおられて、素晴らしい命名をしたりしています。そういったセンスの良い名前をもらった魚には何となく親しみがもてたりします。

 

 これから、魚を中心にちょっと記憶に残るような面白い標準和名についてピックアップしつつ、心にうつりゆくよしなしごとをつづってみようと思います。(註3)

 

 

○時代と共に変わりゆく和名

 先ほど、標準和名は「標準語」と同じで時代と共に変化したりすると書きましたが、そんなことがあるのか?と疑問に思われる方もおられるでしょう。

 しかし、実際には長い目でみると変化した標準和名を持つものがいます。例えばカジカの仲間の「アユカケ」は昔は「カマキリ」が標準和名でしたし、「シャチ」の標準和名は「サカマタ」でした。古い図鑑を見るとそうなっていてむしろ「アユカケ」、「シャチ」が括弧書きで別名扱いでした。今でも「アユカケ」の別名が「カマキリ」であると書いてある図鑑は多いですが、「シャチ」の古い名である「サカマタ」はほとんど使われなくなっています。標準語でも10年単位では変化があるように、標準和名も変わることがあります。

 

 もっと、劇的に標準和名が変わった事例もあります。

 実は2007年に「日本産魚類の差別的標準和名の改名勧告」というものが日本魚類学会からだされ、差別的とされる「メクラ」、「イザリ」、「テナシ」、「セッパリ」などの言葉が和名に使われている魚の名前を変更するよう勧告し、魚類学会としては図鑑や水族館での表記もそれに従うというものでした。

 標準和名は先ほどもいったように、何ら規定があるわけではないので勧告されようが、古い名前を使うのも自由なはずで、そもそも標準和名を変更するというのもおかしな話なのです。

 だから、「魚類学会ではそう変更する」という拘束力のない宣言のようなものですが、実際には権威ある団体から差別的な言葉の使用を避けるためという耳障りの良い理由で出された勧告なので、マスコミ等でも標準和名として新しく提案された「イザリウオ」の替わりの「カエルアンコウ」や「メクラウナギ」の替わりの「ヌタウナギ」を使うことが公認ルールのようになりました。

 

 当方、単に言葉面をとらえて差別的だの何だのといって、チビクロサンボまで出版禁止にしてしまうような「言葉狩り」については極めて不快に思っており、気分の悪い出来事でした。

 

 だいたい、魚類学会は「魚類」の専門家集団であって、「言語」についての専門家ではなく、それが差別的かどうか、使用が妥当かどうかを判断するような専門的知識があるとは思えず、「差別的」であってもそれを指摘するべき機能を有した組織ではないと思います。なにをとち狂って畑違いの分野の勧告なんぞえらそうに出しくさったんやというのが最初聞いたときの感想です。

 

 まあ、そうせざるを得なかった背景にはどうも、水族館などで「メクラウナギ類」や「イザリウオ」に対して、「差別的表現だからどうにかしろ」とねじ込んでくるバカが絶えなかったようで、客商売の水族館の職員としては何とも対応しかねる部分があった、というようなことが原因としてあったようです。

 まあ、バカな客に「バカ」というとえらいことになる昨今では何らかの対応をとらざるを得なかったのでしょう。そういう事情は理解できなくもないですが、たとえ「メクラ」という言葉そのものに傷つく人がいたとしても、その「言葉」を使わないことが適当かどうかの判断とは別のレベルの話でしょう。

 その言葉が、侮辱や蔑みのためのみに使われるような言葉は使わないという判断があってもかまわないと思いますが、「メクラ」なんて、「メクラめっぽう」、「メクラ判を押す」というような日常会話でも使われていた言葉です。

 使うべき言葉か使うべき言葉でないかの区別は、その時々においてそれぞれの個人が適切と思う判断をするべきだと思います。生物の名前の「メクラ」はまったく問題ないと私は考えます。

 生物の名前の「メクラ」でも深く傷つく人にはそれなりの事情があるのでしょうが、その言葉で傷つく人がいる言葉をすべて狩り始めたら、例えばつらい病気にかかっている人にとってはその病名で傷つくこともあるわけで、そういった言葉さえ使ってはいけなくなり収拾が付かなくなります。

 バカ、ハゲ、デブ、メタボ、使い方によっては人をいたく傷つけますが、「バカ」と言わずに「頭の不自由な人」と言い換えたところで何か問題が解決するのでしょうか?「・・の不自由な人」的な言い換えをしておけばOKという安易な姿勢こそ、臭い物に蓋をしただけのおざなりな対応ではないでしょうか。

 「バカジャコ」という魚は「リュウキュウキビナゴ」に変更されましたが、バカバカしい限りです。

 まあ、こういうことはうるさいことを言うバカの声がデカければそれがまかり通るような風潮があり、いたしかたないことなのかとは思いますが腹が立ちます。

 

 「言い換え」、「放送禁止用語」も実際には単なるマスコミ各社の「自主規制」で何らかの明確な基準があるわけではなく、私個人が自分の責任で別の表現を使ったところで別にルールに反するわけではありません。バカにバカと言って何が悪いと暴言でも吐いておきましょうか。(註4)

 

 

 さて、気分を変えてセンスのある和名の紹介に移りましょう。

 

 なんといっても名は体を表すで、一言でその魚の特徴をとらえた名前は昔の人のネーミングセンスの良さというか、長い時の経過にも耐えて残った言葉の力を感じます。

 典型的なのは、目が大きいから「メバル」なんていう名付け方で、確かに同じ大きさのカサゴなどに比べ格段に大きくてウルウルとした目を見ていると、こいつは確かに「メバル」だと納得です。最近残念ながらメバルと呼ばれていた魚には実は3種の魚が含まれていたということが明らかになって、メバルという和名自体を持つ魚はいなくなってしまいましたが、まあクロメバルもシロメバルもアカメバルも「メバル」の名前を受け継いでいますから良しとしましょう。(註5)

 この手の見た目と名前が一致系の白眉はコンペイトウでしょう。コンペイトウ知らない方はネットで画像を検索してみてください。ダンゴウオの仲間で丸くてちっちゃくてトゲというか突起が体一面にボコボコとあってまさにコンペイトウです。

 私の好きなナマズも実は名は体を表していて、「ナマ」はなめらかなというような意味の古語で「ズ」は頭の意味だという説を読みました。意訳すると「ヌメッとした頭」というような感じで、まさに頭でっかちでヌルヌルのナマズのイメージにピッタリです。

 「ヨゴレ」なんていう名前のサメがいますが、確かにヒレのあたりのまだら模様といい汚れた感じですが、もうちょっとましな名前を付けてやればいいのにと思ったりもしますが、このサメが、外洋性なので普通は人との関わりは無いのですが、ひとたび海難事故が起こると非常に危険な種で、戦争で軍艦が沈んだときなどにはこいつによる被害が酷かった、おそらく食べた人の数ではホホジロザメよりも多いのではないかというようなオッソロシイ逸話を読むと「ヨゴレ」はイメージピッタリの名前だと思えてきます。

 

 また見た目ではなくても特徴を良く表した和名には納得させられます。堅い皮をベロンと剥いで食べると美味しい「カワハギ」、胸びれの骨で「ギギッ」と鳴く「ギギ」、釣り上げると「うまい餌だと思ったら、ハリに引っかけられて引き上げられて息もできない船のうえに転がされて、これからいったいどうなるんだまったくいいかげんにしてくれ・・・」とでも言っているのか、グチグチグチグチとなにやらぼやくような鳴き声をあげるシログチやキグチなど「グチ」の仲間なんかもなるほどという命名。

 

 こういった特徴を端的にとらえた命名のほかにも、ちょっとロマンチックな名前をもらっている魚たちもいます。

 「リュウグウノツカイ」なんていうのは、深い海からやってくる奇妙で美しいこの魚にピッタリな名前だと思います。

 「ユウゼン」というのはチョウチョウウオの一種で、黄色とかの派手な原色系の仲間が多い中、ユウゼンは渋く黒地に白い霞のような模様が特徴的な種で、その渋い配色が着物の友禅の小紋のような印象なのでその名をいただいたようです。

 「ナミノハナ」なんていう魚は、名前の響きがこれほど綺麗でなかったら私は覚えていなかったでしょう。小さなイワシの仲間です。

 

 さらに、パッと聞いたときにその名前の示す意味がわからなくても、その由来を聞けば納得するような名前もあります。

 「マカジキ」に代表される「カジキ」という名は、昔の木造船の背骨のような船底に張り出した部分を「梶木」といい、カジキはその丈夫な梶木に吻を突き刺すこともあるということで「梶木通し」と呼ばれていたのが語源だそうです。

 「キハッソク」なんていうハタの仲間は、皮膚の表面から毒を出す魚としても知られていますが、肉質も特殊でなかなか火が通らないそうです。煮ようとしても薪が沢山いるということから、8には沢山の意味があるので煮るのに薪が沢山必要な魚ということで、木が八束で「キハッソク」だそうです。

 「ツチホゼリ」なんていうのも意味不明な言葉ですが、このハタの仲間の魚は産卵行動かなんかで海底を掘り起こす行動をするそうで、どこの方言だかわかりませんが「ツチホゼリ」となっているそうです。

 

 更に、私が最も納得し、命名した昔の人のセンス・観察眼に感心したのが「マスノスケ」

です。食材としてはキングサーモンの方がとおりが良く、普通の人にマスノスケといっても馴染みがないかもしれませんが、北海道では略して「スケ」と呼ばれていたりしてます。いずれにせよどの図鑑にも載っている標準和名です。

 普通サケの仲間は、シロサケとも呼ばれるThe「サケ」を除いて、ベニザケ、ギンザケなどと「○○ザケ」と呼ばれるのが普通ですが、なぜかキングサーモンは人名のようなマスノスケという名前です。

 語源を調べると「スケ」というのは、古代から中世の日本の地方役人である国司の内、実際に権限をふるうことが多かった次官の「介」から来ているとの説があり、要するにマスノスケは「鱒の大将」というような意味だそうです。英語のキングサーモンとにていなくもありませんが、ここで、「サケノスケ」でなく、「マス」というところが鋭いと、私は思うのです。

 サケとマスの違いは、実は非常に難しく、単純に河川残留型が多いのがマスで、降海型が多いのがサケというような話では全くありません。実はキッチリと仕分けられるようなものではなく何を基準におくかでまったく違ってくるのですが、少なくとも北海道の漁業でサケといえばThe「サケ」をさし、マスといえば「カラフトマス」のことをさすのです。(註5)

 英名のキングサーモンと、サケとカラフトマスを比較すると、サケの大きいのがキングサーモンのような気がしますが、実はそれは素人臭いものの見方で、カラフトマスのデカイのがマスノスケだというのが正解のようです。検索図鑑で見ていくと最後に分かれるのがカラフトマスとマスノスケです。サイズに惑わされがちですが、斑点の多いヒレ等の特徴がよく似ているのです。

 そのあたりを見切って、サケではなくマスの大将と名付けたセンスと観察眼に脱帽する次第です。

 

 次に、学者先生が付けたセンス良い名前についていくつかいってみましょう。

  まずは「ウッカリカサゴ」。この命名のエピソードはわりと有名で、一般的には日本に留学していた韓国の研究者がロシアでこの魚について新種として報告して、日本の研究者としては灯台もと暗しでウッカリしていたということで、「ウッカリカサゴ」と命名した。と命名した先生のお弟子さんだったかの証言があるとの説が有名なのですが、本人が講演で「ウッカリするとカサゴと間違いかねないのでウッカリカサゴとした」と説明していたという説もあり、なにやら、学求の徒として悔しさを隠しきれない先生と、そうはいっても外向けにはそういった嫉妬的なネガティブなことを言わずに、ユーモアをもって説明している様がしのばれてなかなか味わい深いです。語感もなかなか楽しい響き。

 

 最近の命名で私が気に入っているのは、沖縄の北の鳩間海溝と呼ばれる海域の熱水噴出口の動物群で新種がバカスカ見つかったのですが、その、熱水の中で生きる甲殻類に「オハラエビ」、「ゴエモンコシオリエビ」と名付けたというもの

です。

 朝寝朝酒朝風呂大好きな「オハラしょうすけ」さんと、大阪城に忍び込んで釜ゆでになる歌舞伎のエピソードが有名な「石川五右衛門」から名前をもらい、熱水という特殊な環境に棲むという生態を示したのはなかなかのしゃれっ気だと思います。(鳩間海溝「NHKプラネットアース」)

 

 新種報告時には学者が名前を付けられるということで、その長さを競ったと思われる和名も見受けられます。センスがよいかどうかは別物ですし、長ければいいというものでもないですが、「寿限無」のようで私はわりと好きな名前です。

 私が学生の頃には、確か「ミツクリエナガチョウチンアンコウ」16文字と「ケナシヒレナガチョウチンアンコウ」16文字が、最長タイ記録だと聞いた記憶があります。

 この16文字を超えるべく、とある研究者はカワハギの仲間に「ウケグチノホソミオナガノオキナハギ」17文字と命名しました。命名者がどこかで、その魚の特徴をきちんと入れつつ16文字を超えようと苦労したというようなことを書いていました。でも途中に「ノ」が2回はいるのは反則じゃないでしょうかね。

 しかし、せっかくの苦労も最長の和名とは成り得なかったようです。私の知り得る和名で最も長いのが「ジョルダンヒレナガチョウチンアンコウ」18文字です。

 ミツクリ博士もジョルダン博士も魚類学の大物ですので、献名されても不思議ではないですが、この方式だと長い名前の研究者に献名すれば、更なる記録更新も可能かと思います。どっかの国に長い名前の魚類学の大家っていないもんでしょうか?「ジョビジョボビッチ」博士とかが実在すればそれだけで9文字稼げます。最長和名記録更新を狙う研究者の皆さんは参考としてください。

 

 あと、何となくユーモラスで馴染みやすいのが人名風の和名シリーズ。

 代表はスズキ、イトウ。鈴木さん伊藤さんという友達に一人はいそうな名字がなにげに魚の名前になっています。サイトウ(最近の図鑑ではオキイワシ)なんてのもいます、名字で多い田中は残念ながらいないけどタナカゲンゲならいます。名字でなく名前風の、シロウ(サブロウ属)、ムツゴロウなんてのもある。地方名だとサクネサブロウだのタモリだのもいます。

 

 

○ダメ和名

 さて、それでは、ダメな和名もいっておきましょうか、とりあえず色々あるけど「カエルアンコウ」。最悪。

 例の差別的な言葉が使われている名前の改正のときに「イザリウオ」という皆に親しまれた名前からわざわざ換えた名前だけど、もう一度書くけど最悪。

 改正自体はまあ、仕方ない事情もあったのかなと許してやらないでもありませんが、このセンスのない命名だけは許せませんね。

 「カエルアンコウ」にした理由としては、「本亜目魚類の形態がカエルを連想させ,また英名がfrogfishであることから本科の基幹名としてカエルアンコウを採用.「ヒメヒラタイザリウオ」は瀬能・川本(2002)で提唱された.なお,改名案にはイサリウオ(漁る魚の意)も検討されたが,旧名を連想させない名称が適切であるとの意見を重視した.」と説明されていますが、形態のどこが「カエル」なのか理解に苦しみます。蛙はうえから押しつぶしたような形ですが、旧イザリウオは体系的には逆にタイのように横から挟んだような薄い形をしています。

 むしろ蛙に近い形態なのはアンコウそのもので、足のようなひれで移動する様も「アカグツ」や「ミドリフサアンコウ」などの他のアンコウの仲間もやることですし見た目はよりカエル的です。アンコウの仲間では一番カエルっぽくない生き物に「カエルのようなアンコウ」と名付けるマヌケ具合。対案の「イサリウオ」の方がずいぶんイイと思うのは私だけではないでしょう。旧イザリウオのダイバー達が付けた愛称「イザリン」も「イサリン」にするだけで済み馴染みやすいです。

 しかも言うに事欠いて「英名がフロッグフィッシュ」だ?

 世界で一番魚好き!と自負する日本人の、その日本の魚類学者が、欧米かぶれで英名を根拠にしてどうするんじゃ!恥を知れタワケども。

 「全員正座!」、「墨を擦って半紙に”大和魂”と100回書けこのバカもん共が!」

 と取り乱すほど私にとってはむかつく和名です。もう一回書いておきましょう。最悪。

 

 ということで、突然ですが旧イザリウオの新しい標準和名を私が提唱します。標準和名の決定には特にルールがあるわけではなく、魚類学会の提唱する和名がすたれて私の提唱する和名が広く使われるようになれば、それが標準和名です。

 それでは発表します。旧イザリウオ(亜目名、種名含めてイザリウオとなっていたところ全部)を改めたその新称は、デケデケデケデケデケ〜(ドラムロールのつもり)

 

 「モアンコウ」といたします。

 

 モアンコウの「モ」は海藻の「藻」です。モアンコウのアンコウ目の中での特徴は先ほども書いたように、他のアンコウの仲間が上から潰されたような形態で海底に張り付いていることに対し、海底ではなく縦の空間を利用する生態を有し、体形も横から挟み打ちにしたような扁平な形(もしくは球形に近い形)をしていることです。ホンダワラ等の流れ藻にくっついているのが典型的な事例であり、海藻に住むアンコウの意味で「モアンコウ」としました。

 「モアン」という言葉の響きも、海藻などに擬態しながらモアーンとゆっくり動く彼等のイメージに良く合うと自負しております。

 

 これから私は、カエルアンコウなどというくだらない和名は使わずモアンコウを使っていきたいと思います。

 ダイバーの皆様、アクアリストの皆様、釣り師の皆様、総ての魚好きの皆様、新称「モアンコウ」どうぞよろしくお願いします。愛称は「モアン子」でいきましょう。

 

 かなり脱線しましたが、引き続きダメ和名いっときましょう。

 

 とりあえず、「モドキ」と「ニセ」はだいたいダメですね。毒のある生物に姿形を似せている「ベイツ型擬態」の生物であれば、「アゲハモドキ」のようにモドキと付けても、意味的に間違っていないと思いますが、単に似ている生き物が後から発見されたという理由で「モドキ」だの「ニセ」だのと名付けられているのは気の毒な限りです。どの種も独自に進化してきたかけがえのない種だと思います。2種のどちらをモドキやニセとするのか根拠がありません。単に整理のためにそういう名前にしたのだとすれば、むしろ名付けて区別する方の立場からつけて「ウッカリ」すると間違うよ、という意味でウッカリカサゴとつけた事例のほうがセンスも良ければ、意味的にも間違っていないと思えます。名付けられる方の魚の生態に起因しない「モドキ」、「ニセ」はセンスが無いと私は思うのです。

 ぱっと思いつくだけでブリモドキ、アユモドキ、旧イザリウオモドキ、ニセクロホシフエダイと、ゴロゴロしています。

 旧イザリウオモドキはついでだから新称提案しておきましょう。「ウッカリモアンコウ」でどうでしょうか?言葉の響きが文句なしのラブリーさを醸し出していると思います。

 

 区別するためだけに付けられた根拠のないニセだのモドキだのはダメと書きましたが、なぜか「ニタリ」は許せます。何となく語感が「ニターリ」と笑っていそうな雰囲気を醸すからでしょうか、ニタリクジラも良い感じですが、特に「ニタリ」と3文字で決めたオナガザメの仲間の名前は、サメが不気味にニタリと笑っているようで味のある名前だと思います。3文字のサメの名前はだいたい私の好みに合うということかもしれません前述の「ヨゴレ」しかりラブカとかオオセとか標準和名じゃないけどモウカとか痺れますね。

 

 次に「標準」和名が使われていないのはダメでしょう。

 「マダラロリカリア」なんて図鑑で初めてその名を目にしたときに何じゃそりゃ?と思いましたが、絵を見てすぐに南米産の「プレコ」と呼ばれるナマズの仲間とわかりました。沖縄で帰化していますがおそらく熱帯魚屋では「並プレコ」と呼ばれているやつで、標準和名は「ナミプレコ」であれば充分巷間に流布したと思いますが、「マダラロリカリア」はさすがにナンジャソリャでしょう。

 「キジハタ」もおもいっきり重要視する瀬戸内で「アコウ」と呼ばれていて、流通上は「アコウ」で通っています。「キジハタ」と呼ぶ地域がむしろあるのか疑問です。メヌケ類のアコウダイと紛らわしいかもしれませんが、なぜアコウとなっていないのか不明です。

 エゾイソアイナメについては、そもそもアイナメの仲間ではないし、消費地の東北太平洋側ではほぼ「ドンコ」で通じます。さすがに同名のハゼの仲間がいるのでそのままではまずいですが、海にいる「タナゴ」の標準和名を「ウミタナゴ」としたように「ウミドンコ」にすれば良かったのではないでしょうか?ちなみにウミタナゴも多くの地域で単にタナゴと呼ばれています。

 

 なんというか整理がおかしい名前が結構あります。

 まあ各種あやかりタイはまあしょうがないとして、メバルじゃななくてソイでしょ「タケノコメバル」は、と思ってしまいます。確かにいわゆるメバルの仲間もソイの仲間もメバル属ですが、メバルと名の付くのは比較的中層に浮いていて、ソイは底べったりで障害物に付くというイメージがあります。「目張る」といっていい目の大きい魚は、夜中層に浮いて上の方をにらみながら餌を探している奴らだとおもいます。トゴットメバルやウスメバルがそれにあたるでしょう。

 その意味でタケノコメバルは東北地方での呼び名「ベッコウゾイ」の方がピッタリ来ます。あと、メバルと付くのが納得いかないのがもう一種「ヨロイメバル」ですね。

 「カワアナゴ」もどこがアナゴなのか?ハゼでしょ。

 「サカタザメ」がエイのくせにサメとなっているのも整理がおかしいと思います。

 「ヘコアユ」はどこがアユなのか全く理解不能です。「ブダイベラ」はブダイじゃなくてベラなんでしょ?「カマスサワラ」はカマスじゃなくてサワラなんでしょ?わけわかんないのでやめてくれという感じです。

 

 カマキリ(アユカケ)という魚がいるけど、普通カマキリというと昆虫を思い浮かべます。しかし実は、カマキリという標準和名を持つ昆虫のカマキリはいなません。普通カマキリと呼んでいるのはチョウセンカマキリかオオカマキリ。同様にカラスという魚がフグの仲間にいるけど、カラスという鳥類のカラスはいないし、ハチというオコゼの仲間の魚がいるけどハチという昆虫のハチはいません。

 一方、ヤマドリというヌメリゴチの仲間の魚がいて、同じ名前のヤマドリという鳥類がこれまたいたりします。同様にシジュウカラという魚と鳥が、カジカという魚とカエルが、ホウズキという魚と植物が、スギという魚と植物がいたりします。

 なんだか紛らわしい。どうして混乱するような和名になっているのかわからないですが、どうもややこしいです。

 

 

 以上、いろいろと魚の名前について、どうでも良いような知識をひけらかしてきました。

 名前って、そのモノを知るときの第一歩だと思うので、けっこうくだらないけどこだわったりします。

 

 

 

 

 

(註1)ただし、学名は読み方については定められていないため、日本ではヘボン式ローマ字を基本に読むことがルールとなっていますが、実際には英語風に読まれることも多く、ハッキリ言って読み方は適当です。

 

(註2)例えば「ここ柳川市は北原白秋ゆかりの土地で、白秋は地元で「ミズクリセイベイ」と呼ばれる魚を題材にした俳句(短歌?)を残しています。ミズクリセイベイとは学名をオヤニラミという淡水魚で」ときたあたりで、思わす「それは標準和名や!」と突っ込むというようなことが結構あったりします。

 

(註3)面白い和名の海の生き物が沢山紹介されている名曲があります。NHKの「みんなの歌」で話題をかっさらった「恋のスベスベマンジュウガニ」です。

 ネジリンボウ、テズルモズル、モクズショイ、カッポレ、トラフカラッパ、ウマズラハギ、ハクションクラゲ、タコノマクラなどが出てきます。是非一度YouTubeあたりで探して聞いてみてください。画像もイケてます。

 

(註4)もちろん、不愉快に思うような人が沢山いるような、侮蔑的な意味で使われてきた言葉を不用意に使うことは避けた方がいいに決まっていますが、それすらケースバイケースで一律に使わない方がよいとは思っていません。

 当方、一律に何かを決めつけて禁止してしまうとかそういう安易な解決方法に嫌悪感を抱きます。

 アメリカの黒人(あえて「アフリカ系米国人」とは書き換えない、当方の世代にとってアメリカの黒人はマイケル・ジャクソンやらカール・ルイスやらマイケル・ジョーダンやらと言ったヒーローのイメージがあり、「黒人」ッぽいカルチャーはむしろあこがれの対象でありました。言い換えなければならない必然性が全く理解できない。)に対するおもいっきりな侮蔑的呼び方として「ニガー(ニグロ)」というのがありますが、これすら許される状況があることをハリウッド映画で見たことがあります。

 記憶がズダボロなお年頃で題名が思い出せないのですが、香港警察の腕利きデカであるジャッキーチェンが、ロス市警だったかNY市警だったかに研修に来て、黒人のよくしゃべる俳優(アレ、ソレあの人よ!有名な人!)の演じる刑事と組んで事件を解決するという映画の中で、聞き込みの時に黒人刑事が、同じ黒人である顔見知りの酒場の主人に「ヘイ!ニガー調子はどうだい?」というような挨拶をして和気藹々と話しているのをみて、ジャッキーがまねして、「ヘイ!ニガー」とやったら、速攻でパンチが飛んできたという場面です。笑いました。ことほどさように、その言葉が「差別的」かそうでないかはその言葉が使われる背景次第なのだと私は思います。

 

(註5)河川に主に済むものをマス、海に出て行き戻ってくるものをサケというなどといういい加減な説明を聞くと腹がたつ。サクラマスは海にいてもマスと呼ぶし、カラフトマスなどそもそも河川残留型は聞いたことがない。

 英語のトラウトとサーモンの訳として鱒と鮭を適当に使ったのが訳のわからなさに拍車を掛けている。

 そもそも、英語のトラウトとサーモンは元々の言葉が生まれたイギリスのことを考えると、トラウトがブラウントラウトを指していて、サーモンがタイセイヨウサケを指していると考えられるが、それがアメリカに渡った時点でトラウトにニジマスやらイワナの仲間のカワマスやレイクトラウトが加わり、海に下る大型種にはそれぞれ「キング」、「シルバー」、「ピンク」、「レッド」、「ドック」サーモンと名前が付き、この時点でサーモンはともかく、既にトラウトの整理はグチャグチャ。根拠もなく何となく「湖や川にいるのがトラウト」的な雰囲気になってしまっている。

 とにかくサケとマスは何を根拠に分けるかで全く異なる、もしくは分けられない。サケとマスという分類は実は根拠も何も無いと認識しておくべき。

 北海道の漁業の話をしているときにマスといえばカラフトマスだが、カラフトマスは分類的にはタイヘイヨウサケ属のサケの仲間である。日本海でマスといえばサクラマス。これもタイヘイヨウサケ属。こうしてみると、日本では海に下る大型のサケ科魚をサケとマスに分けていた様子がうかがえる。今、ヤマメやイワナはマスだと認識されていると思うが、これらは昔の日本ではマスではなく「ヤマメ」や「イワナ」だったのだろう。海に下るイワナに「アメマス」という呼び名があることからも、マスは海にいるものを指していたことが示唆されるような気がする。

 いい加減なもやもやとした雰囲気で、「マス」という言葉が使われているが、分類学上は種名亜種名を除くと○○マス科等、マスは出てこない。タイヘイヨウサケ属、タイセイヨウサケ属、イワナ属などサケ科魚の比較的小型のものをマスと呼ぶことが多いが、単なる慣習であり、しかもその慣習による一般的な分け方に、カラフトマス、サクラマス、マスノスケがおもいっきり反するという状況にある。

 

 

(註6)最近、イワナが4亜種に分けられるという説が提唱され、それが無条件に受け入れられて一般的になってきているように思う。

 その説では、いわゆるアメマスタイプの陸封型を「エゾイワナ」という亜種名とし、その他、それぞれタイプとして知られていた「ヤマトイワナ」、「ニッコウイワナ」、「ゴギ」を亜種としている。キリクチタイプは形態の差異からいってヤマトイワナに入れられている。

 私はこの説に疑問を感じるというか、多分間違っているという感触を持っている。

 この説を提唱した学者は、以前からこの4つに分けるのが妥当ではないかという自説を持っており、それ自体は一つの説としてあり得る話だとは思っていたが、それが定説のように受け入れられたのには、遺伝的な調査によるこの説の裏付けが得られたことが大きい。

 が、しかし有りていにいってイワナがそれぞれのタイプ毎に遺伝的な差異がみられるのは当たり前である。同じタイプのイワナでも川筋が違えば遺伝的な差異が見られることが知られているぐらいに、川ごとに違っていて当たり前の種であり、典型的なタイプ毎のサンプルを持ってくれば当然遺伝的な差異がみられるのは自明。

 海の魚のように簡単に交雑できる同じ水域に棲んでいるにもかかわらず、遺伝的に差異が認められるのなら、それは、行動などで生殖隔離が生じている典型的な事例と考えられることから、メバルなどについて最近の種を分けて整理する方向に何ら異論はない。

 しかしイワナの場合、もちろん典型的な事例を持ってきて調べれば違うことに疑問はないが、その間を繋ぐ「中間型」が簡単に出現して、綺麗に分けることは難しいと考える。

 この場合、チワワとセントバーナードではあきらかに遺伝的な差異も形態的な差異も認められるにかかわらず、様々な変化を持ったタイプを含んだ「イヌ」という種の範囲に収まっていると同様に、様々な変化を持ち明確に線引きができないのであればイワナも一つの種(又は亜種)の範囲内であると考えるべきと思う。

 イワナの場合数をみればみるほど4つに線引きはできないと感じるようで、膨大な川を研究のためというより趣味で釣り歩いた進化論の大家「今西錦司」先生は、おそらく地理的に生息地が分断されているゴギだけが亜種レベルの差であって、ニッコウ、ヤマト、エゾイワナ(アメマス)は1亜種のなかのバラツキだろうとの感触をもっていたようである。

 在来イワナが消えてしまわないうちに写真に納めたいと執念の釣行を繰り返し「イワナの顔」という素晴らしいイワナ図鑑を作り上げた白石勝彦氏も、アメマスとニッコウの線引きには疑問を感じているようだ。

 両氏の見解に当方もイワナ釣り師として共感を覚える。

 ゴギ、キリクチの両タイプについては釣ったことがないのでどうこう言うべきではないが、東北のアメマスの川でニッコウ的な模様のイワナが釣れることなど珍しくもない。

 単刀直入にいって、件の遺伝的調査においてはサンプル数、特に中間型がどのくらい存在するかを示すようなサンプリングが不足していたのではないかと疑っている。原著論文を読んだわけではないので確かなことはいえないが、自説を証明するために無意識に都合の良いサンプリングをしてしまっているのではないかと疑ってしまう。機会があれば論文にあたってみたいところ。

  ただ、一つの可能性として、既にイワナの在来のものは、放流魚とも交雑しないような堰堤などで隔絶された支流にのみ生き残っていて、それらが既に他の川のイワナと交雑することができなくなっており、そのために自由に川を下っていた過去のイワナと現在のイワナでは既に状況が異なっており、放流により交雑が進んでいる地域を除いてしまうと、人為的にではあるモノの明確に生殖隔離が各タイプで起こってしまっており、亜種として扱った方が適当な状況が生じているということはあり得るのかもしれない。

 とりあえず私は、現時点ではイワナ4亜種説を支持しない。

 

 

<参考>

「日本産魚類検索」東海大学出版

今西錦司「イワナとヤマメ」平凡社ライブラリー

白石勝彦、和田悟「イワナの顔」山と渓谷社

ほか

 

(2009.11)  

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