○人は食わなければ死んでしまうのに

 

 先日、親しい仲間内の飲み会の席で、「例の餃子事件(註1)以来、多少高くても国産の野菜を買うようにしましたよ。」という話をしたところ、先輩から「そんなの今更いうまでもなく当たり前だろ、食べ物は一番基本の大事なところだからケチっちゃダメだ。」とたしなめられました。まったくその通りです。反省。

 きちんと安全な食べ物を得るためには適正な値段を払って買うことが重要だ、というその場での議論も最近の食を巡る情勢をみていると納得です。もっと真剣に考える必要があるなと思い、つらつら考えてみたことを書いてみます。

 食べ物全般について詳しいわけではありませんが、魚介類については水産関係の仕事をしていることもあり、これでもプロのはしくれではあります。とりあえずは魚メインに考えてみることにします。

 

 最近の食を巡る情勢でのキーワードは間違いなく「食の安心・安全」でしょう。この食の安心・安全には大きく分けて「量的な安心・安全」と「質的な安心・安全」に分けられると思います。

 「量的な安心・安全」で一番重要な話が食料自給率を巡る問題で、経済的な発展を遂げる国々での動物性タンパク質の消費の増大などなど様々な要素が絡む中、日本人は将来にわたって自分たちの食べる食料を確保できるのかということが問題となっています。

 「質的な安心・安全」の問題では中国冷凍餃子に限らず、国内食品メーカー、料理店等々で枚挙にいとまのない偽装問題など、我々はいったいなにを食べさせられているのか?という不安を感じずにいられない状況です。

 

 これらの問題はいずれも一筋縄ではいかないややこしい要素が絡み合っています。たとえば、食料自給率の問題でも単純に輸入をやめて国産品を食べようという話ではすまない側面があります。なぜなら、国内生産だけに頼っていた場合、国内で不作や不漁があった場合に一気に食料品不足が生じるといったおそれもあるからです。実際にはある程度の輸入経路の確保は命綱となりえる重要なことです。もちろん自給率が100%以上で輸出もしながら、日本では生産できない食品を適宜輸入する、その輸入品は国内の産物が不作のときにはそれを補完できる、というような状況が理想かもしれません。が、そんな都合の良い話は非現実的です。

 また、質的な問題についても国産品なら安全かというと、国内でも偽装の問題が跡を絶たないことからも分かるように残念ながらそう単純にはいい切れません。

 しかしながら、カロリーベースの食糧自給率が37%(平成18年度)とという低さは危機的な数字であることは論を待たないでしょう。いくらなんでもこのままでは不作や不漁が来なくても国際的な食糧需給の変化によるプレッシャーだけでも将来的には食料危機を招きかねません。

 国産品でも絶対安全とはいえないとはいえ、やはりそのリスクは誰が食べるかも分からず遠い国のひとがつくる食べ物より、近くの産地でつくった人から直接買う方が、直接確認できることができる部分が大きく、ごまかしはしにくく、信頼性が高いことも想像に難くありません。(註2)

 

 というような、ややこしい問題点をあげつらねていると、食料を巡る問題は我々には無関係のところで大きな流れの中でおこっているような気がして、ともすると無関心になりがちです。たしかに、穀物の値段の高騰などは、なんだか良くわかんない食べ物をバカにしたようなマネーゲーム(註3)がその原因にあり極めて不愉快ですが、我々のような消費者が実はものすごい影響力、価格決定権を持っているということも事実だと私は思います。

 直接ものを買う我々が「高いから買わない。」といえば、いくら売る側が値段を付けようが意味がありません。値段が下がるかその商品が扱われなくなるかのいずれかでしょう。

 逆に「値段相応の価値があるから高くても買う。」といえば、当然その分値段が上がります。

 我々消費者が価格決定に大きな影響力を持っている。このことが、現在日本の食料をめぐる状況で大きな問題を生み出してもいるし、逆にうまくすれば我々消費者の力である程度状況を打開することも可能ではないかと思います。

 

 今の消費者が問題を引き起こす原因となっている、と私が考える消費行動には、具体的には両極にあるような異なる2つのものがあります。

 

 一つは極端な「安物買い」です。「価格崩壊」とかいう言葉が目に付くようになって久しいですが、「安物買いの銭失い」という言葉の意味するところがだんだんボディーブローのように効いてきた気がします。

 「安いのけっこうじゃないの?」と思われるかもしれませんが、消費者が安いものを安いものを安いものを!と求め続けた結果、風が吹いて桶屋が儲かる(註4)がごときに、食料安全保障上の危機がやってきていることを説明したいと思います。

 消費者が安いものを安いものを安いものを!と求めた結果、小売店、流通業者は安い商材を血眼になって世界中から探してきて提供してきました。

 台湾産のマグロなど人件費の安い国で生産されたもの、アワビに似た食感のロコ貝など日本で生産されている食材の代替となるけどちょっと違う食材などなど、ありとあらゆる安い食材が入ってきました。

 これらの食材の中には、薬品の残存量が基準値を超えて問題となった中国産ウナギのように安全性に不安のあるものや、国際的な取り決めを無視して密漁してきたマグロなど生産過程に問題のあるものもあり、スズキと偽って売られたナイルパーチのように表示の偽装を招いたものもありました。日本の食卓に大きな問題を持ち込んだとともに、資源の乱獲など国際的な問題も起こしてしまっているといわざるを得ません。(註5)

 さらに、国内の生産者はそれらのときには反則技まで使っている安い食材との競合に打ち勝つために、コストダウンを図ったり、新しい技術を取り入れたりと努力もしましたが、廃業に追い込まれる生産者も多く出ました。国内の生産者による偽装などの問題や効率化を求めるあまりの農薬の使いすぎ、漁業では獲りすぎによる資源の枯渇なども招きました。いまの日本の食料生産基盤はハッキリいってガタガタだと思います。

 安全性もよく分からないような外国産の「安物」を買って、国内の生産者を廃業に追い込み、自分たちの将来の食料安保上の危機を招いてしまっています。

 これを「安物買いの銭失い」といわずしてなんといいましょうか?

 

 もう一つの問題行動は行き過ぎた「グルメ嗜好」だと思います。

 昨年の水産業界はマグロマグロマグロマグロでした。(註6)なぜ世界中からマグロを買い集めて日本で食べる必要があるのでしょうか?他の魚ではだめなのでしょうか?

 最近は「買い負け」なんていうヨーロッパや中国の市場に魚が回ってしまう状況もありますが、マグロに限らず世界中から魚介類が日本に集められてきました。

 その結果、マグロ資源の悪化などの問題が生じるに至っています。海外から持ってきたマグロなど食べずとも、日本近海でまだまだ利用できる魚があるにもかかわらずです。

 マグロにこだわる変な「グルメ嗜好」が問題をおこしているといわざるを得ません。

 日本近海の魚は獲りすぎて資源が枯渇しており、これ以上利用できるような魚はないように感じるかもしれませんが、実際には減っている魚が多いもののまだまだ余裕のある良い資源状態の魚も居ます。

 具体的には、サンマ資源がそうで現在国内で利用しきれないぐらい増えています。サンマやマイワシは何十年というような単位で自然に増減を繰り返すことが知られており、現在はマイワシが少なくサンマが多い時代です、こういう時代には積極的にサンマを利用しておけばよいのだと思いますが、現状は、生鮮で塩焼きや刺身にする利用形態が主で、まだまだ余裕のある資源状況ですが、これ以上獲ってきても消費しきれず値段が下がるだけなので獲ることができない状態です。

 サンマはマグロより値段は安いかもしれませんが、味で劣っているとは考えられません。好みはあれどもマグロがおいしいようにサンマもおいしいと思います。他にもスルメイカやカタクチイワシ、カツオ、サケなんかが資源状態が良く今食べるべき魚だと私は思います。

 ただ、サンマはマグロのように冷凍で刺身商材として流通させる技術システムが構築されておらず、一年中安定的に提供できるマグロとは商材としての扱いやすさ汎用性の高さが違うということはいえるかもしれません。生鮮と同等の評価が得られるようなサンマの冷凍流通技術や、消費者の「サンマは塩焼きか刺身」という意識を覆す干物など加工品の上手な売り込みでなんとか状況を改善できるのではないかと期待しています。

サンマ酢締め(サンマの酢締めもとても美味い)

 

 また、各漁港では今の流通システムに乗らない少数しか捕れず消費者になじみのない魚が、美味しく食べることができるにもかかわらずゴミ扱いで捨てられています。消費者がホントの意味で魚の味を知るグルメならこれらの魚は希少価値をともなって高値で取引されてもおかしくないと思いますが、現実には現在の「グルメ嗜好」は要するに、マスコミが美味いといったものを美味いと思う程度の「ごっこ」でしかないと私は感じており、訳の分からないものを高く買うくせに、本当に美味しいものは全然知らないという哀れな状況ですので、今日も美味しい魚が漁港のゴミ箱に捨てられて飼料の原料にされています。

 

 その哀れなグルメたちが責任の一端をおうべきだと思うのが、福岡の「吉兆」に代表される偽装の問題です。極端なグルメ嗜好が、本来の料理やサービスの質、あるいはその料理や店が持つ歴史や格式に対して支払われるべき対価を、単なる「評判」に安易に支払ってしまう状況を生み出してしまったために、こういう消費者をバカにした偽装が生じたのではないかと思います。だました店が悪いのは当たり前ですが、安易にだまされ続けた哀しきグルメたちやそれを煽ったマスコミにも責任があると思います。

 クソ高い値段設定など、いくら高度な技術を持った料理人がいい素材を使っていたとしても、真っ当な値段ではないと感じるぐらいの冷静さは必要なのではないでしょうか。実際にはまともな素材ですらなかったようですが。

 人をもてなす際に店の高級さが重要になる場合もあり、そういった高級な店の必要性があるのも分かりますが、そんな店を一般市民がもてはやして利用するというのはちょっと違うんではないかと思います。(註7)

 

 こういったように、我々消費者の安易な安物買いが、食卓に得体の知れない食材を引き寄せ、真っ当な国内生産者の首を絞め、行き過ぎたグルメ嗜好が貴重な食材の奪い合いや資源の枯渇を生み、偽装の入り込む隙を与えていることに対して、我々は何をすべきでしょうか?

 

 端的にいえば、正しい情報を仕入れよく考え判断し、適切な値段で真っ当な食材を買いましょう。ということだと思います。消費者がもっと賢くならねばならないと思います。

 

 マグロは目玉が飛び出るような高級なクロマグロのトロとかは、めでたいことがあったときぐらいにたまに食べるだけで良いんじゃないでしょうか。それを安く食べようとして、資源が減っている地中海のマグロを畜養して脂をのせたようなものをを輸入してまで食べなくても良いんではないでしょうか。(註8)

 普通にスーパーで売っているメバチやキハダは、日本の漁船が獲ってきたのを選んで買ってあげてください。多少値段が高くても、日本にマグロ漁船があれば安定的にマグロを日本に供給する体制が保てますから、将来の安心のための経費だと思ってください。

 間違っても、産地の表示がないような怪しげなマグロは、いくら安くても買わないでください。

 安くて美味しい近海物のサンマやスルメイカ、カタクチイワシ、カツオ、サケなどはどんどん買ってください。食べ方も飽きないように工夫してください。日本の近海で獲ったこれらの魚介類を食べることは、遠くの国から輸入してくるより輸送コストや燃料の無駄も省けます。人気が出れば値段も多少上がるかもしれませんが、日本の漁業者が儲かって将来にわたって日本の食卓に魚を届けてくれるはずです。もちろん食料自給率もUPします。安全性に関する情報も近海の魚なら手に入れやすいはずです。

 よく勉強して、いい加減な情報や偽装にだまされないようにしてください。

 値段の安さに隠された、安くなるからくりを見抜いてください。その安さが不当な仕組みから来るものや、自分たちの食卓の安全、安心を脅かすようなものは買わないでください。最近の水産物の偽装の問題では「そんな安い値段でまともなモノが出てくると思う方がバカなんじゃないのか?」と思う事例も散見されます。(註9)

 表示がおかしければ買わないでください。分からないことは魚屋さんに良く聞いてみましょう。質問に答えられないような安く売るだけの魚屋さんでは買わないでおきましょう。

 その食材の取れた場所や保存状態、生産の際の薬の使用状況などが分かる情報が開示されている商品を積極的に利用しましょう。そういう情報の付いた商品がよく売れれば、そういった情報を開示する生産者、小売店が増えていき安全かどうかを良く判断して食料を購入することができるようになります。

 安易に、マスコミがかき立てるブームに乗らないでください。ご自分の専門分野に関するマスコミの論調の全てとはいわないまでも、その多くがトンチンカンな的外れなものであることは良く経験されるのではないでしょうか。おそらくどの分野でも同じようなレベルだということは想像に難くないです。

 これまで食べたことがない魚についても、よく調べたうえで挑戦してみてください。見慣れない魚だからといってそれだけで敬遠していれば、美味しい魚をゴミ箱行きにしてしまったり、外国産の魚についても将来に渡って安定的に利用できる資源の利用チャンスを捨ててしまうことにもなりかねません。

 

 これらのことは自分への自戒も込めて書いたことですが、将来の自分たちの首を絞める安物買いや、偽装を招いたり本質を見損なうことになるグルメごっこはそろそろやめにしないといけない時代がきていると思います。

 

 ものを安すぎず高すぎず適切な値段で買いましょう。本当に美味しくて安心・安全なものを食べましょう。これが今回の私の主張です。

 

 

 

(註1)2007年にメタミドホスという殺虫剤に使用されていた成分が混入した中国製の冷凍餃子を食べたことによる中毒事件が発生。その後、中国製の食品の不買などもおこり、食の安全性についての議論も活発化した。

 

(註2)生産した場所で食べれば、輸送コストもかからず、安全性の確保も用意であることから昨今「地産地消」という概念が提唱されています。賛成。もちろんその地域だけで生産できない品物もあり、ものの出入りが全くないということは非現実ですが目指すべき理念としては正しいのではないかと思います。

 

(註3)小豆の先物相場で借金こさえたなんていうのは、古典的なバカ野郎の見本ですが、その穀物の先物相場という一種のバクチが世界規模で行われており、かつ穀物の値段が高騰している原因が、食えないで飢えている人がいるのに食べ物を石油の代わり使おうとかいう話だと聞けば、まともな神経の人間なら頭に来ると思うのですがどうでしょう?

 未利用のプランクトンだとか食品加工工程で出る廃棄物だとかを石油の代わりに使おうという話は賛成できますが、食べ物の生産を落としてまでやることじゃないと思います。

 

(註4)風が吹くと、砂埃が吹き飛ばされて人の目に入る。人の目に砂埃が入ると目が不自由な方が多くなる。目が不自由な方が増えると目の不自由な方の職業である三味線弾きが増える。三味線弾きが増えるとたくさん三味線がつくられる。たくさん三味線がつくられると三味線の胴に皮を張るためにネコがたくさん殺される。ネコがたくさん殺されるとネズミが増える。ネズミが増えるとネズミに桶をかじられることが多くなる。ネズミに桶をかじられることが増えると桶屋に修理の依頼が増える。桶屋に修理の依頼が増えると桶屋が儲かる。因果応報の説明としてこれほどイカしているものを私は他に知りません。バカげてて洒落てます。

 

(註5)マグロについては、国際的な約束に反して獲ってきたマグロを扱った業者はその名前を公表するという制度ができています。ナイルパーチもロコ貝も「スズキ」や「アワビ」と偽って売られなければ、基本的には問題のない食材だと思います。味も悪くないと思いますが、食の保守性というのはけっこう侮りがたく、そう簡単にそのままの名前で売れるものではありません。しかしその味なり安全性なりを宣伝しながら売っていく努力をせずに安易に偽装することが許されることではないのは自明でしょう。食が保守的であるという一面を宣伝やその食材の品質などで打ち破ることに成功し、日本で定番商品としてむしろ高級な食材として流通しているノルウェー産のアトランティックサーモンやノルウェーサバをみると、真っ当な努力をしたものをきちんと選ぶことの重要さが理解できると思います。ノルウェーの戦略的な取り組みと日本の市場の好みもガッチリ把握した商品の提供姿勢などは日本の漁業者を応援する私としても「敵ながらあっぱれ」といわざるを得ません。個人的には脂がきつすぎて好みではありませんが、と強がるのが精一杯です。

 食の保守性については、歯がゆく感じることが多いです。例えば、近年海水温の上昇の影響か九州などで以前は多くいなかったアイゴやブダイなどの植物食性の魚が増えて、藻場の藻類を食い荒らすことが問題になっています。この話を聞いたアイゴやブダイの類をよく食べる地域である、沖縄や紀伊半島の人間は「食べればいいサー」、「食うたらええやん?」と思ったことでしょう。ところが、九州ではこれらの魚を食べる習慣が無く、宣伝してもなかなか消費されないという現実がありました。時期を選べば臭くもなく旨いといっても聞く耳を持たない人がほとんどだったと思います。食は本当に保守的だと痛感させられる事例ですが、でもそれは必ずしも悪いことではなく食というものの重要性を考えると当然ともいえることだと思います。食があまりに冒険的であれば、毒魚を食って死んでしまうかもしれません。長年培ってきた魚食文化にはその地域で獲れる魚を上手に利用するために工夫してきた先人達の知恵がつまっており、安易に変えることは健康を損なうことさえ引き起こしかねません。近年の日本の食の欧米化が生活習慣病増加の原因となり、日本食が見直されていることを見れば、食の保守性と食文化の大切さは容易に理解できるでしょう。しかしながら食文化は保守性だけからなるわけではなく、先人の挑戦、工夫の結果も併せて含んでいるものです。毒魚であるフグさえ上手に美味しく利用するのが食文化の一面です。、情報が何もなかった時代と違い、現代は他の地域での利用実態や食用に適するかどうか、栄養面や味で優れているかどうかなどの情報が簡単に手に入ります。古くからの食文化を大切にしながらも、もっと積極的な工夫がなされても良いと思います。

 

(註6)国際的なまぐろ資源の管理体制が資源保護のための漁業の規制の強化の方向に動き「マグロが食卓から消える」というようなセンセーショナルな見出しで報道が繰り返しなされました。しかし、このとき水産業界の人間で本当にマグロが食べられなくなると考えていた人は皆無だったと思います。なぜなら規制の強化は今後も引き続きまぐろ資源を利用するため獲りすぎないようにという考え方で行われ、漁獲が0になるものではなかったからです。また、クロマグロなどの高級なマグロはそもそも最初から消費が限られており、多少減っても一般消費者への影響は無いとみていました。そもそもマグロを刺身で食べることが一般的になったのは冷凍設備と流通体制が確立されたここ20年か30年そこらの話で、私はマグロが日本の食卓に不可欠だとも思わないので、無くなったら無くなったで別の魚を食べれば良いだけだと考えていました。もし無くなっても当面困るのは客寄せの目玉としてマグロを使うスーパーと寿司屋ぐらいでしょう。スーパーでも寿司屋でも無ければ無いで別の手を考えるはずです。マスコミのアホなアオリにはウンザリしつつもそれを利用して仕事につなげはしましたが。

 

(註7)高級な店が悪いといっているわけではありません、繰り返しますが、店の格式や値段の高さも料理の味に大きく影響する要素ですから、高級店がその高級さに見合う仕事をしてその真っ当な対価を受け取る分にはなんらケチを付けるものではありません。

 食は文化的・歴史的な価値も一面として持っており、日本食文化の象徴としてのすし職人の腕の冴えや旬の魚の提供のされ方などは、たまには高いお金を払って食べてみる価値はあるでしょうし、フランスに行きたしと思えどフランスはあまりに遠い場合には、せめて高級フランス料理店で舌鼓を打ちフランスワインを飲んでフランス文化の一端に触れるのも一興だと思います。

 値段の高さが味に影響するというのは事実らしく、ワインでの実験結果で同じ高級ワインでその値段を伝えて飲ませた場合と値段を告げずに飲ませた場合とでは、脳の味を感じる部分の活性の上がり具合だかが明らかに違っていて、高いと聞いてから飲んだ方が美味しく感じるという記事を目にしたことがあります。

 そういう意味からも、食べる前にその食材なり料理なりが美味しいものであるかを聞かせる「宣伝」がいかに重要かということがうかがえます。

 

(註8)養殖がダメで天然が良いという単純な意見も聞きますが、これもなかなか一筋縄ではいかない問題で、確かに地中海マグロのように資源状態の悪化している魚を種苗としてたくさん捕ってくるのは問題ですが、そもそも天然の海域ではほとんどの稚魚は大きくなれずに食べられたり死んでしまったりするわけで、そういう本来いなくなってしまうような稚魚を捕ってきて育てる分には、天然の資源への影響は少なく、希少な魚を食卓により多く届けるという点では理にかなった方法といえると思います。現在日本でもクロマグロの養殖が盛んになり始めていますが、今のところは天然資源への影響はないレベルだと報告されています。今後生産量が増えると悪い影響を及ぼすレベルになる可能性もあり注意が必要でしょう。

 養殖が批判される点で、そのまま食べれば良いような魚を餌にして魚を育てることは資源の無駄遣いであるという議論もありますが、これも程度問題があります。サンマで説明したような一時に沢山獲れて消費しきれないような魚を餌に利用して、好不漁にあまり影響されず安定的に食卓に魚を提供するという意味では、資源の有効利用であるともいえます。大豆粕を使った餌を使うなども食糧資源の有効利用につながると思いますので、一概に養殖魚が資源を無駄に消費する贅沢品ということもいえないと思います。

 また、養殖魚の味についてですが、一時期のイワシで脂ギトギトに太らせたイワシ臭いハマチやマダイの悪いイメージが根強く、天然魚至上主義ともいうような養殖魚を不当に貶める意見を良く聞きますが、今時の養殖魚はかなり健闘していると思います。天然の最上級のものには負けても、旬を外して程度の落ちた天然物などには決して負けないレベルのものが、時期を限らず安定して出荷できるのは養殖物の強みです。

 ブタがイノシシから造られ野趣あふれるイノシシとは異なる美味しい肉質を持つように改良されてきたように、養殖魚も天然魚とは別の魅力を持つようにもなってきたと思います。

 一般に、養殖魚は天然物ほど活発に泳がないため、身が柔らかく脂ののりが良いと思います。刺身にすれば歯ごたえや香りに優れる天然物にかなわない養殖ハマチも、照り焼きなどではその脂ののりと柔らかさは天然魚とは違った新たなおいしさといって良いかと思います。養殖クロマグロなどは全身トロといって良いような脂ののりに仕上がり、トロ好きの現代日本人には喜ばれています。(註10)

 養殖魚は飼っている魚なので安定して出荷できるのが強みと書きましたが、ウナギの蒲焼きが普通に楽しめるのもそういった養殖の強みのおかげでしょう。もはやウナギといえば養殖物しか食べたことのない人の方が普通で、養殖物が不味いなどと無邪気に言い切れるような単純な状況ではないと思います。

 要するに養殖魚でも良い養殖魚と、悪い養殖魚があって、それをきちんと見分けて買うべきということだと思います。養殖魚は産地や与えた餌・薬、脂ののり、鮮度などの情報を開示することが容易なので、そういった見分けるための情報を消費者が要求していくべきだと思います。

 

(註9)例えば、「エンガワ」としてクルクル回っているすしネタが、ヒラメのエンガワでもないのに不当だというのは、さすがに間違える方が悪いのではないかと思います。ヒラメのとは書いていないわけだし、カラスガレイのとはいえ確かにエンガワだし、見た目もかなり違うし、そもそもヒラメのエンガワが安い値段でクルクル回っていることはあり得ないということぐらい常識的に分かると思うのですがどうでしょう。もっとひねくれたものの見方をすればそれが「エンガワ」という食べ物だとおもって美味しく食べている人がいるのにいらんこと言うなという気もします。

 

(註10)クロマグロのトロが、マグロの中で一番高級な食材であることは認めますが、一番美味しいマグロであるという意見には同意できません。天然であろうが養殖であろうが同様です。

 確かにクロマグロのトロはたまに一切れ二切れつまむ分には脂のコクも濃厚で美味しいと思わないでもないですが、脂がきつすぎて決して沢山食べられるものではなく、高い金払ってまで食べたいとは私は思いません。

 私が一番美味しいと思うマグロは、近海カツオ一本釣り船が釣ってきた生のビンナガマグロの赤身(実際には赤くなく桃色)です。私の実家の方では長い胸びれからトンボと呼ばれるこのマグロの味が分かる人間は、おそらく高知、徳島、和歌山、三重出身者に限られると思います。ほとんどの人にこの味覚は理解してもらえません。この地域では鰹船が釣ってきたビンナガの刺身が普通に生で流通しています。これを子供の頃から食べていたので、何が美味しいのか自分でも説明できない、脂のそれほどのっていない色目もぼんやりしたこのマグロの刺身を美味しいと感じる味覚ができあがったのだと思います。母方の祖父も晩年床に伏せりながらも好物のトンボの刺身を美味しそうに食べていました。親戚が集まると従兄弟の子供たちもトンボの刺身を喜んでパクついていました。

トンボシビ(短冊がトンボヨーカンと呼ばれます)写真提供:ケン一 

 味覚というのはことほどさように、習慣と文化と環境と偏見などなどによって左右され、極めて個人差の大きいものだと思うのです。

 沖縄で醤油にチュッとシークヮーサーの果汁を絞って食べるキハダの赤身も美味しいものです。沖縄の熱い空の下では脂ギトギトのトロなんか食いたくありません。

 なのに、どうも最近はなんでもトロトロとうるさく、脂ののりがよいのがイコール美味とされているような気がしますが、そんな単純なものではないと思うのです。

 私は脂ののったノルウェーサーモンより、同じサケならしょっぱい塩鮭のほうが好みです。米のご飯がモリモリ進みます。

 そういう、極めて個人的で個性的なものであるはずの味覚について、個性を無視して画一的な「どこそこの何とかが旨い」だのという、箸にも棒にもかからないような情報を垂れ流すメディアに踊らされるのはいい加減やめたらどうかと思います。

 ミシュランが星いくつ付けるか知ったこっちゃありませんが、私が美味しいと思ったものが、私の中では美味しいものなんだと思います。

 

 

<参考>

農林水産省HP

 

(2008.6)

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