○実写版映画「釣りキチ三平」感想文

 

おもいっきり内容紹介していますので、劇場で観た方、DVDを視聴した方以外は読まないで下さい。

    あなたは実写版映画「釣りキチ三平」をみましたか? 

 

     

   N  O 

 戻 り ま す

     

   Y E S 

 読んで下さい

                   下にスクロール 

                      ↓ 

 

 

 

 

 公開早々の「釣りキチ三平」を遊園地に併設されたシネコンで見たのは既にだいぶ昔の話になってしまいました。

 

 ネタバレするとまだ見ていない人に申し訳ないので、これまで当たり障りのないコメントしか出していませんでしたが、そろそろ語っても良いでしょう。

 「正直どうだったのよ?」と聞かれたなら、「イマイチ。結局かなりのレベルで釣りできる人間が脚本書くなり、監督するなりしないとダメだ。」というのが正直な感想です。

 魅せてくれる部分もあったにはありましたが、残念ながら総合的な評価ではとても私を満足させてくれるレベルにはなっていませんでした。

 

 原作との設定の違いを指摘したり(註1)、釣り人の目から細かいことをいいはじめればきりがないのですが(註2)、その辺はまあ、原作でさえ時代が移った今では、魚に関する新たな知見が増えて陳腐化したり改められた常識もあり、例えば魚信さんがたばこを土に埋めて処理していたのは今の常識ではアウトでしょうとか、それなりに突っ込みどころもあるのですが、それでも原作の面白さ魅力はいまだ失われてはいませんから、そういう細かい話ではなく根本的な部分で私は「ダメだった」と判断せざるを得ません。

 

 映画を見ていない人のために、ざっとあらすじを紹介すると、前半は原作にもあった三平が鮎釣り大会で優勝して、その後難癖をつけてきた鮎師3人と勝負する話で、その後、三平がユリッペとヤマメ釣りをしているところに、アメリカのバストーナメントの勝負の世界に疲れて帰国して釣行脚中の魚信さんが現れ、三ちゃんと意気投合、フライフィッシングを手ほどきし、三平の家に泊まり一平じいさんとも意気投合。

 このあたりからオリジナルストーリーに突入。

 そこに、釣りで両親を亡くしたことから釣りを嫌い、和竿師の一平じいさんにも反発し東京に出て行った三平の姉、という設定の愛子が、三平を東京で教育を受けさせるために引き取りに来る。

 一平は、魚信が生前の三平の父に聞いた夜泣き谷のオオイワナを求めてやってきたことにも不思議な縁を感じてか、愛子とのわだかまりを解くためもあってか、それまで三平にも秘密にしていた、生前の息子と攻略法を練っていた夜泣き谷のオオイワナを愛子も含めた一行で釣りに行き、そこで化け物のようなオオイワナを釣ることができなかったら愛子に三平をまかせるという賭に出る。

 道中、不満たらたらの愛子も秋田の自然にほだされ、最終的には三平がオオイワナを釣るのを応援というか、最後抱き取りでイワナにくらいついている三平ごと釣り上げてめでたしめでたし。

 

 というお話で、家族の絆や豊かな自然のなかで生きる喜びを伝える内容で、ストーリー展開自体は悪くないと思います。

 安易に自然賛歌に終始するのではなく、愛子はそれでも自分の幸せを求めて東京で生きていくことを選択し三平を残して帰京するところなど、なかなか人生いろいろという現実をシビアにみせてくれて、「みんなで秋田で幸せに暮らしました。」としなかったところにも渋さというか好感を感じました。

 

 では、何が気に入らなかったのかというと、後半のオリジナルストーリーで三平がオオイワナを釣るプロセスが全く気に入らなかった。全くできていなかった。全く説得力がなかった。ということにつきると思います。

 要するに、私のような釣り人が「釣りキチ三平」に求めているのは、三ちゃんがどんな工夫をして、どんなファイトをして目的の魚を釣り上げるのか、その奇想天外だけど妙に説得力のある工夫と、それでも予想を超えて苦戦させてくれる大魚あいてに、あふれ出る臨機応変なファイトや仲間の協力を得て釣り上げていくその過程にこそ、たまらない面白さを感じるのだと思います。

 今回の映画でも前半、ほぼ原作どおりの鮎釣りのシーンでは、そういった面白さを充分感じさせてくれて、良いじゃないかと期待に胸を膨らませていました。

 でも、イワナ釣りのシーンでは、釣り場について初めて三平が使う竿が出てくるという、それなら三平は何を用意していたんだ?という根本的にわかってない展開がきたり、ファイトがやたらと冗長で、素人受けはするのかもしれませんが、不自然さが鼻につき、かったるく感じる有様だったりという塩梅でした。

 

 どうも、釣りをしない人にとって、魚とのファイトの醍醐味というのは、強い引きの魚と長い時間戦うことというイメージでしか無く、もっというと魚釣りの魅力がそこにあると誤解されているように思います。

 だからこそ、プロセスに全然説得力がないのに延々と大仰なファイトシーンが続くという有様だったのでしょう。

 

 魚とのファイトは引きが強い方が良いとは私も確かに思いはしますが、それだけかといえば、断じて違うと思う。

 ブラックバスやタナゴはたいして引かない魚だと思いますが、ブラックバスが水面ではじけるように飛び回ったり、タナゴがビクビクとその小さな体に見合った小気味よい生命反応を感じさせてくれることは、釣り人にとってこの上ない喜びだと思います。強い引きは楽しい要素の一つではあるものの必須ではないと感じます。

 さらに、ファイトの長さは長ければいいというものではなく、場合によってはいかに短時間で上手く魚の抵抗を捌くかに醍醐味があることさえあります。

 私はイワナ釣りで追ってきたイワナが足下で食ったときは、フッキングのあとそのまま反転させる隙を与えず引っこ抜くことにしていました。

 引きを楽しみたいなら反転させて向こうに向かわせるべきですが、反転させるとフックを掛けた時の方向から魚の向きが逆転することで、かかったハリにひねりが入りバレる可能性があるし、頭がこちらに向いている間はイワナはバックできないのでほとんど抵抗できず、抜きあげるタイミングとしては抜群です。そのタイミングを逃さず上手く「追わせて足下で食わせてフッキング後、反転させる隙を与えず抜きあげる。」という一連の動作が決まったときにはホンの数秒のファイトですが、凝縮された密度と満足度の高い瞬間を楽しむことができました。

 

 まあそれでも、その冗長なファイトシーンもそこに至るまでの釣りの工夫などのプロセスが説得力ありわくわくさせてくれるようなものであれば、また見方も違ったのでしょう。ドキドキはらはらしながら「素晴らしいファイトシーン」としてみることができたのかもしれません。実際にはファイトシーンにはいるまでにいい加減しらけていたので冗長と感じたという面も否めません。

 

 では、そのファイトに至るまでの釣りの工夫で何が、「面白くない」と私に感じさせたか、大きく分けて2つ要素があったと思います。一つは既に指摘した「釣り場について初めて三平の使う竿が出てきて、三平がどういう準備をしていたか不明」な点、ともう一つは「なぜ、フライタックルを使う必要性があったのか、ルアーではダメなのか。」という点が全然説得力がなかったと思います。

 

 とりあえず、三平が1mは超えるであろう大物イワナを釣りに行くのに、何の秘策もなく向かったとは考えられませんし、そこで、どう三平が工夫するのか、その工夫こそがこのストーリーの釣り人から見た一番「汁気たっぷり」の部分のはずです。

 魚信さんは、オフショアタックルらしいスピニングのルアータックルでやる気満々なのに、もし、自分で用意したタックルがたいした物でなかったのなら、三平君は何をしていたのかというところです。そんなの三平君じゃない。

 ストーリー上、亡き?父が用意していた丸竹のダブルハンドのフライロッドを使わせて親子の絆の話にする必要があったというのなら、それはそれで、丸竹ダブハンロッドの登場のさせ方を工夫すべきだったと思います。

 例えば、魚信さんに手ほどきを受けて習いたてのフライタックルを用意したが、それは魚信さんがオフショアで使うシングルハンドのもので、後方の岩が邪魔してフォルスキャストができない。

 そこで、一平じいさんが「なんじゃ、あいつもフライタックルで攻めるんだと意気込んでこんな物をつくっちょりおったが、役にたたんのか。」と丸竹ダブハンを出してくる、そこで魚信さんがハッとして「そうか、その手があったか。三平君のお父さんは間違いなくこの場所を攻略するためにこの竿を作っていたんですよ。」、「どうゆうことなのけ、魚信さん、オラにも分かるように説明してけろ。」と三平のセリフを入れて、魚信に観客にも分かるように、ダブハンのフライロッドでスペイキャストをすればバックスペースはかなり少なくても大丈夫だ、と説明させれば、私のようなうるさ型の釣り人もニヤリと納得することでしょう。

 

 としても、なぜフライタックルでないとダメなのか、魚信さんの使っていたようにルアーではダメなのか、そこのところの説明なしに、三平がたまたまフライタックルで仕留めたところで、同じように飛距離が出せるルアーとの違いはあまりなく、三平が仕留める必然性が納得できません。

 やはりここは、オオイワナが食う餌がフライタックルで投げられるオニヤンマに限られる、もしくはそれに類する状況を設定しておくべきだったでしょう。

 そのためには、オオイワナが隠れている滝壺に、三平も魚信も我こそはと、ルアーとフライをキャストするが全然釣れず、やはり「主」は警戒心がつよく、簡単には食ってこないという説明なり前振りなりが必要でしょう。

 その上で、これは実際にあったシーンですが、夜泣き谷の夜、谷の名の由来のとおりに動物の鳴き声が響き共鳴し始めると、森で眠っていたはずのオニヤンマが大量に飛び始める。それをマッチザハッチのオニヤンマ餌で「会心の一撃」といって欲しかったのですが、なんか映画のなかで三平トロトロのんびりしていて、オニヤンマ飛んでいる夜じゃなくって朝になってから、やおらオニヤンマどうにかして捕まえてきて釣り始めます。そんなんじゃ遅いって。マッチザハッチに関係ないのなら、魚信さんがとっくにルアーで釣ってるって。

 多少説明的になったとしても三平君になぜオニヤンマなのか説明させるとか、そもそもオニヤンマが大量に飛び始めてからオオイワナが活発に捕食を始めるといった前振りが無いと、なぜオニヤンマなのか納得いきません。

 原作が書かれた当時には長尺の延べ竿で仕留めたストーリーを、現代風にアレンジしてフライタックルで軽いオニヤンマを投げるというのは、実際にオニヤンマ投げたら千切れてしまうという細かい点はおいておいて、非常にいいアイデアだと事前の宣伝のシーンで思ったのですが、いまいち詰めが甘いといいうか、オニヤンマじゃなきゃダメ、フライロッドじゃなきゃダメといううまい理屈になっていなくて、それが上手く説明されていれば、釣り人は「夜泣き谷のオオイワナ」の現代的解釈として大いに納得して楽しめたとおもうので残念でなりません。

 

 とまあ、今回、細かい実技指導は「釣り人」誌の編集長がされたそうで、その辺の道具の考証などはそれほど違和感なかったのですが、やっぱりストーリーの方も釣り人がある程度脚本いじらないとダメだなと実感しました。

 どれほど、特殊技術でリアルな魚の映像を作ろうと、ストーリー上の「釣り」の面白さが無ければ意味がありません、最近、昔のアニメ版「釣りキチ三平」を見てその絵の今時の映像と比べたときの稚拙さに驚きましたが、それでもアニメ版も今見ても面白かったです。

 今回の映画は、俳優陣も良かったと思います、愛子姉ちゃんもべっぴんさんだったし、ユリッペもかわいらしく、魚信さんもなかなかの「魚信さん」ぶり、一平じいさん、三ちゃんもバッチリはまっていたと思います。

 映像も、秋田の自然の美しさが画面いっぱいで、特に、愛子姉チャンが携帯音楽プレーヤーを外した時の滝の美しさと音の広がりは劇場で見る価値ありだと思いました。

 

 多分釣り人でない人はそれなりに楽しめたんじゃないかと思います。

 私が、気にくわなかったのはまったくもって、釣り人として映画「釣りキチ三平」に期待したものが満たされなかったためだと思います。

 

 次回作があるのなら、私に脚本いじらせてくれ。といっておこう。

 

 

(註1)某フライ誌で、編集長がおもいっきり、愛子姉ちゃんを三平の姉にするという設定変更は許せんと書きまくってました。我々の年代の釣り人には人それぞれ「三平」への熱い思いがたぎっているのです。

 

(註2)細かい点とは、例えば、三平君がつかまえるカエルが、どう見ても秋田にはいそうにない種類で、多分、中国で食用にされているトラフガエルっぽいこととか、例えば、フライラインを持ち上げるパワーはオニヤンマにはないだろうとか、たとえば、魚信さんのファイト中の竿さばきがなってねえなとか、例えば、水中の鮎がギラッと光ってくれないと気分が出ないとか、例えば、ファイト中にラインをリールに巻き付けてフルロックしちゃうのはまずいんじゃねえのとか、ダブハンのロッドでダブルホールは必要ないんじゃないのとか、イワナはいくら最新の特撮技術で撮っても全身見せるとやっぱり偽物臭いとか、とか・・・。

 

(2009.10)  

HOME