○釣るべきか釣らざるべきか   −私的キャッチアンドリリース論−

R指定:一部に残酷な描写が含まれますのでライギョマニアの方は読まないで下さい。(註1)

    あなたはライギョマニアですか? 

 

     

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 読んで下さい

 

 

 

 一般的にフライでの釣りでは釣った魚をリリースすることが多いようです。ルアー釣りや餌釣りでは対象魚によって異なるように見受けられます。海の青物や根魚はルアーでも餌でも食べられることが多くて、ブラックバスやヘラブナなどはリリースが慣習となっています。

 キャッチアンドリリースを教条のように主張する人もいれば、釣った魚を食べて釣りは完結すると主張する人もいます。

 大前提として、それぞれ考え方は様々で自由だと思いますが、私はできれば大きな魚を釣りたい、もちろん数も多い方が良い、そしてこれからも釣りを続けていきたい、そのためには効果的にリリースを行うことが必要であると考えているので、その視点に立って考え方を整理してみました。

 キャッチアンドリリースについてはこれまでもさんざん語られているので今更という感じもしますが、議論の前提がいまいち整理されていないと感じることと、もうちょっとつっこんでそもそもリリースするしないの以前に釣るべきか釣らざるべきかという問題もあると思うので述べてみたいとおもいます。

 まあ、魚なんているときに釣って、いなくなれば釣りなんてやめればいいという人には関係のない話かもしれません。私はそんな人とは絶対友達になれませんが。

 

 まずリリースの利点について整理してみます。

 まず、リリースをする釣り人が漠然と期待している利点には「釣り場の魚が減らない。」、もっと上手くすると「逃がした魚が子孫を増やして釣り場の魚が増える。今後も釣りができる。」ということがあると思います。

 ただ、魚種やリリースの仕方によっても生残率が変わってくるものの、ご存知のようにリリースすればすべての魚が生き残るというわけではなく、当然リリース後に釣られたことが原因で死んでしまう魚も出てくるので、リリースしても魚が増えるより早くリリースが原因で魚が死んで減っていく場合は結果として魚が減ることもあり得ると思います。

 しかしながらその場合でも逆に全ての魚がリリース後に死ぬとは考えられないので、釣り場の魚の減少の速度が落ちる。結果として一つの釣り場にいる魚をより多くの人が釣りによって利用することができるといった利点が期待できます。

 それから、正直これが私の場合リリースを行う大きな要素となっているのではないかと感じているのですが、リリースすると「手間がかからない」ということがあると思います。

 キープして食べるとなると、まずは魚を保存しておくためのビクやクーラーが必要になってきます。あちこち良いポイントを探して釣り歩く際には非常に手間でめんどくさい荷物になります。

 さらに、平日お仕事でクタクタな体を、週末突入とともに釣りの興奮で何とかごまかして夜討ち朝駆けで釣り場に出向き力一杯釣りをしたあとで、キープした魚をさばいて料理して生ゴミの片付けをしてという手間をかけるのは非常に体力・精神力の必要な作業です。ハッキリ言って釣りが終わって家に帰ったらとっとと寝てしまいたいです。

 その点リリース前提なら、重たいクーラーは必要ないし、釣りが終わって家に帰れば釣り具とともにシャワーを浴びた後は寝ればよいだけです。なんて楽ちんなんでしょう。

 

 次にリリースの欠点を整理してみます。

 釣った魚を食べられないということはキープすることの利点の裏返しなので省略して、まずは、何となく魚に優しくしたような気分でリリースしているとその後に死ぬ魚がいることが見えにくいということが欠点としてあると思います。

 つまり、リリース後どのくらい死ぬかという認識もなく逃がした魚が全部生き残るつもりでいると、自分が釣り場の魚を減らしている原因になっているのに、それに気付かないという事態を招きかねないということです。

 リリースすれば釣り場の魚に影響を与えないので、いくら釣っても大丈夫とリリースを免罪符のように考えてしまうことは大きな間違いだと思います。

 それから、リリースを前提にすると、魚を食べ物として利用するということではなく、楽しみを与えてくれるものとしてだけ利用するということになりますが、そもそも自然の命ある生き物を人間様の遊びのためだけにに利用して良いのかという疑問やある種の罪悪感がついてまわります。

 このことについては結論は無いと思いますが、私自身は人間はより良くより楽しく生きるために努力し続けるものでありその努力を否定する必要はない、ひいては釣りの楽しみも否定しなくても良いのかなと感じています。

 全ての芸術やスポーツは本来的には楽しみのために存在するのだと思いますし、直接生きるために必要でないそれらこそが人間にとって必要不可欠な最も人間らしい営みではないかと思います。そうしてみると、人間が活動するためには食べ物などとして他の生物を利用するしかないことから、釣りや狩りのように直接的に生き物を楽しみのために利用しなくても、多くの人が意識しないまま間接的に楽しみのために生き物を利用しているといって間違いないと思います。楽しみのためだけに他の生物の命を奪ってはいけないというなら、楽しいことをするときには飯食わずにやれということになってしまいます。

 人それぞれ考え方は異なると思いますが、私はやっちゃいけない生き物の利用の仕方は、その生き物を取り尽くしてしまうなど、結局自分たちが困ってしまうような利用の仕方のみだと思います。

 とはいうもののやっぱり魚の口に針をかけて引っ張り回す行為には罪悪感がつきまとい、そう簡単に割り切れるものではないです。

 人間に感情があることは大切なことであり、「魚がかわいそう。」というのも大事な感覚だと思います。でも、魚をかけた瞬間の体の中心をズンッと貫くような快感は一度知ってしまうと逃れられるものではありません。あの快感は人間の狩猟本能を直接的に激しく満足させてくれる気がします。

 釣りはやめられん!釣り人なら皆さん同様なのではないでしょうか。

 

 今度はキープすることの利点について整理してみます。

 まずは旨い魚が手に入ることでしょう。旨い理由には当然釣りたてで新鮮であるという要素もありますが、自分の力で仕留めた獲物にはなにものにも代え難い「味」があると思います。

 人間という生き物が生きていくためには、他の生き物の命を奪って食べるということが必須ですが、そのことを感じにくくなっている現代の食事情の中にあって、自ら生き物の命を奪い生きる糧を得るという経験は貴重であり意義深いものだと感じます。

 また、キープすることによってより魚の理解が深くなることがあります。

 魚をさばくと、胃内容物の確認のみならず様々な情報が手に入ります。脂ののり具合や生殖腺の発達ぶりなどは、季節を通じての釣りの戦略に大きな手がかりを与えてくれます。

 ある時ライギョを釣っていて、ライントラブル処理中にルアーを食われ飲み込まれるという失態を犯したことがあります。胃まで入ったルアーを引っ張りなんとかはずしてリリースしたものの大流血して浅い水底にひっくり返って死んでしまいました。

 ライギョマニアの方々はキャッチアンドリリースを徹底して行っているのでこの告白はその筋からお叱りを受けるかもしれませんが、私そのライギョを拾って持ち帰って食べちゃいました。

 結果として、ライギョの体の秘密をいろいろと知ることができライギョに対する理解と愛が深まりました。

 生態に適して発達した、粘液が多く分厚く丈夫な皮や空気呼吸のための上鰓器官にも感心させられましたが、なんといっても驚いたのはその内臓と骨格の配置の特殊性です。彼らは細長い体で水草の間を泳ぎ回る魚食魚です。大きな口で大きな餌をとらえますが、細長い体にはそれほどたくさんの餌を消化する消化器官は配置できないように見えます。

 しかし捌いてみてびっくり。なんと、肛門より後ろの体の後半にも助骨?があり、消化器官はその部分にも配置されていて、一旦尾びれ付近まで伸びて折り返してきて肛門に繋がっています。肛門の前の腹腔の部分には大きな胃と肝臓が配置されていました。細長い体のスペースを上手く利用する合理的かつ予想外の魚体の仕組みにはすっかり感動しました。ちなみに美しい白身はソテーと中華風あんかけでおいしくいただきました。

ライギョお頭ライギョ肉(「キャー!残酷」ライギョクッキング)

 普段はリリースオンリーで釣りしていますが、キープすることも重要な意味があるんだなと思います。 

 

 逆にキープすることの欠点について整理すると、持って帰った分の魚は確実に釣り場から減るということで、場荒れが早い、あるいは魚の再生産への悪影響がリリースする場合、釣りを行わない場合と比べて大きいということがいえるのではないでしょうか。

 

 このような考え方の整理を基本に、私はこれから述べるに様な魚種や水域毎の特性毎に状況合わせて、リリースするかキープするか更にはその釣り場で釣りをしないという選択枝も考えるべきと考えています。

 

 まずはキープしてもいい状況について考えると、「釣り場に魚が多くて、キープしたとしても自然に魚が増える量(もしくは放流される量)で十分補充される。」場合だと私は思います。

 しかしながら、現在の日本の釣り場状況を見ると、釣り場の魚が増えたという話は滅多に聞きません。

 おそらく釣り人がキープして持って帰っても魚が減らないという状況は、アジ・サバ、イワシ類等の元々の個体数が多く釣り人が持ち帰る程度の数は気にする必要がない場合や、内水面のアユのようにそもそも釣り人に持ち帰らせることを前提に毎年放流している場合などに限られるのではないでしょうか。

 内水面の主な釣りの対象魚については今の釣り人の数から考えて、持って帰っても自然に増える分で補えるということはほとんど期待できないように思います。かといって日本全国、内水面では放流した魚だけを釣るなんていうのも味気ない限りです。

 海については、海は広いので釣った魚を持ち帰ったところで広い海のどこかから補充されるようにも思えますが、根魚などについては思った以上に釣り人の影響が大きいように感じています。ほとんど毎日のように釣り人が来るポイントではシーズン当初しか釣れないように思います。逆に他の釣り人が気付かない穴場的ポイントや、船やウェーディングが必要など来る釣り人が限られる釣り場では長い期間釣りが楽しめるという状況があります。

 本来、釣場環境が良好に保たれていて魚も多く、多少キープしても魚が減らないというような状況が理想なのでしょうが、そうはなっていないところが悲しい現実です。

 また、今後は積極的にキープすべき状況というのも考えなければならないかも?と感じています。具体的には、水辺の環境の変化や国内外からの生物の移動に伴う生態系や生物群集の攪乱によって、特定の種のみが異常に増えてしまうというような現象が見受けられる場合、増えた種が魚の場合は、釣りで利用して個体数を減らす圧力をかけるという手も考えて良いのではと思います。その場合はリリースでも効果はあると思いますがキープしたほうがより効果的でしょう。最近私は利根川水系で増えているチャンネルキャットフィッシュを生レバー持って釣りに行っているので今度は食べてみようと思っています(とはいえ強制的にリリースを禁止されてしまうのはまったく納得できないことである。)。

 アメリカナマズ(アメリカナマズ)

 次に、リリースするべき状況について考えると、「釣った魚を全部キープした場合その釣り場の魚が減ってしまうが、リリースにより釣り場の魚の減る速度が抑えられ結果として多くの人が釣りを楽しむことができ、理想としては釣り場を持続的に利用できる。」場合だと思います。

 実際にリリースによって持続的に釣り場が利用できるようになった、ということが明確にいえる事例は経験したことがないのですが、他の釣り人があまり来ないポイントで私が通ってリリースオンリーで釣りしている間の数年は安定して魚が釣れたということがイワナやアイナメの釣り場であり、イワナの釣り場は数年ぶりに訪れてみるとビクを持った釣り人が散見されほとんど魚が釣れないような状態まで魚が減っていたという苦い経験があります。昔の渓流魚を対象とした職漁師はポイント毎に種親となる程度の魚を残して釣ったそうです。釣り人がある程度限られている状況などではリリースが釣り場の維持に効果的な場合があると考えています。

 マス類の実験で禁漁区の小河川に標識放流し、再度釣りで回収したところ9割以上が回収できたという事例を耳にしたことがあります。小渓流のイワナなどはその釣り場の魚の大半を釣りきってしまうことは、実は意外に簡単なことだと認識するべきだと思います。ましてや、そうやって釣りきって自分の釣り場をつぶした証拠である、魚をずらずらと並べた写真などは自慢の種ではなく隠すべき恥だと思った方がよいのではないでしょうか。

 また、全体としては魚の数が多い東京湾のシーバス等についても、自分のポイントに来た群という小さなグループに着目すると、意外に限られた数の魚を相手にしているようで、釣り人が多いということもあるのでしょうが、ちょくちょく口に針傷のある魚が釣れてきます。

 このことから東京湾のシーバス全体でみれば魚は減っていないというデータはありますが、釣り人としては自分の釣り場に来てくれた魚はリリースするという選択は有効であると考えています。

 このように、状況によっては「釣り場の魚の減る速度が抑えられる」リリースについて、基本的に積極的に取り組むべきと考えています。

 

 さらに、釣り自体を遠慮すべき状況というものもあると考えています。

 リリースしたとしても釣り場の魚が減少を続け釣果が思わしくない場合は、それだけ釣り人の与える影響が増えている、もしくは釣り場環境が悪化していることで、釣り場の魚が釣りの対象とならなくなるまで数を減らしており、その釣り場での釣りはやめる時期ではないかと思います。

 釣り人が減少する魚にとどめを刺すようなことは少なくとも避けるべきだし、釣り場の魚がまた数を増やすためには何が必要かを検討するべきだと思います。

 自分の釣り場をなるべくなら見捨てたくはありませんが、現実的には魚の減った釣り場で釣りをするより、ある程度の苦労は伴いますが新しい釣り場や釣りものを開拓した方が楽しい釣りができると思います。

 

 いずれにせよ、今後も釣りを続けるにはどうすればよいか、魚を増やすにはどうすればよいかを考えながら必要な手法を実践するべきで、その場合、単にリリースしていれば釣って良いというような「思考停止」は避けるべきだと思います。

 例えば、釣り場の魚をリリースするからといって自分の釣りたい対象ではない小さいものまで含めて何でもかんでも釣るのは避けるべきだし下品だと思います。

 リリース後の生残率が9割とすれば、何でもかんでも釣ってオールリリースする人間が10尾釣ることと、自分の必要な魚を絞って狙いすまして釣った1匹をキープすることは釣り場の魚の数に与える影響は同等です。どちらが格好いいかはいうまでもないでしょう

 偉そうにいう私も、魚を選んで釣れるほどの腕はありませんが、なるべく自分の狙った方法で狙ったサイズの魚を釣れるようにと心がけています。私のような多くのヘタクソな釣り人は釣れるモノなら大小なりふり構っていられないのも理解できますが、理想は高く持ちたいものです。上手な人なら模範となるような相応の格好いい釣りをしていただきたいものです。

 

 魚を減らさないためには、短絡的には魚を釣らないことが一番だと考えられますが、そもそも漁業者や釣り人でない人間が、魚を増やそうとか魚を理解しようとかはあまり考えないもので、一見矛盾しているようですが魚を釣り、魚に親しむことこそが、魚を理解し増やす力に繋がっていくと考えています。

 釣りをしなければ、魚について魚を取り巻く環境について見えなかったことがいっぱいあったと思います。

 以上のように考えていますが皆さんどう感じられるでしょうか。

稚魚はリリースしましょう(RELEASE JUVENILES(稚魚はリリースしましょう)Tシャツ)

(註1):R指定の「R」はRAIGYOのRです。

 

(2008.3)  

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