とって喰う!

−リハビリ小遠征11月編−(2018.11.11)

 

潮だまり

 

 「いうことを聞かないので腹が立ちカッとなってやった。今思うと酷いことをしてしまったとも思うけど、食べるために仕方なくやった」などと被疑者ナマジ(47歳、神奈川県川崎市在住、自称釣り師)は供述している模様。共犯者1名とともに他の傷害致死事件にも関わっているとみて取り調べを進めている。

 なお司法解剖の結果から被害者は鈍器のようなもので激しく殴打されており、頭蓋骨骨折及び脳挫傷が直接的な死因とみられる。現場には凶器とみられる石も残されており、今後犯行の全容や背景について明らかにしていくとの方針。

 

 誰が明らかにしてくんや?っていえばナマジ本人なわけで、皆様をとんだ茶番にお付き合いさせて申し訳ないという感じだけど、通り魔事件だとか快楽殺人事件だとかをおこす人間に対していつも思うのは、魚でも釣って殺して食って満足しておけばお縄になることもなければ、腹もふくれて快楽も伴うのにということである。

 多分命は等しく尊いんだろう、生命として今まで生き残ってきたどの種も代替不能な特別な存在であり、賢いから尊くて知能とかなくて原始的なら蹴飛ばしていいというモノでもないだろう。

 でも、命なんて実際には軽く扱われるモノだし、ほんとに軽く消えてしまう儚いもので、生命は自らが生きていくために他の命を軽々と亡き者にし多分普通は罪悪感もナニも抱かない。命なんて他の命に亡き者にされなくても寿命で死ぬし環境要因でもサクサク死ぬ。

 「希少な野生動物を保護しなければいけない」なんてのも、究極的には「人は人を殺してはいけない」なんてのも、そうしないと人の社会が困るからそういうモノの考え方をしたりそれに沿った規則を作ったりしてるってだけで、ある生き物の命だけが特別だなんてことは全くなく、人殺して得られる何らかのモノ、例えば経験値とか快楽とかも、蚊を叩いて得られるそれも本質的には同じはずである。違うのは人を殺すのが禁忌とされる中でそれをわざわざやることに対して自他共にあるだろう精神的、社会通念的な障壁を乗り越えることを何らかの特別な体験と勘違いしてしまっているか、個人の嗜好において蚊より人殺すのが大好き!とかの好き嫌いの違いでしかないはずだ。だから、戦時下とか人殺しても良いような状況では特別な経験ではなく「普通に人が殺せる」んだろうし、逆に私のような釣りの対象にのめり込む人間であれば、感情移入してしまうまでになった魚を殺して食べるときに、多分人殺すのと同様の精神的苦痛を感じるなんてこともある。命は軽くて同時に尊いのだと思っている。

 最近、なんというか命の尊さばかりが強調されてて、例えば狩猟して獲物との記念写真をSNSとかに上げると”社会正義の戦士様”にここぞとばかりに攻撃されて「尊い命を遊び半分に奪うなんて」とか「食べるためでも他にいくらでも代替できるモノがあるでしょう?」とかお決まりの非難を受けることになり、場合によっちゃ炎上して削除するはめとかになりがちである。

 釣り人も「ハンターは大変だなァ」と人ごとのようにノンビリ構えてると、エラいことになってしまう気配がしてきていて、ドイツでは改正された動物愛護法の基で、食べるため以外の釣りがけしからんとされて、スポーツフィッシングの「キャッチアンドリリース」が制限体長以下の魚とか除いて原則禁止となったらしい。日本でも条例で外来魚のリリース禁止とか釣り人の行動の選択の自由を制限するような気持ち悪い規則が結構まかり通ってるぐらいで、いつ釣り人がわけの分からん規則を作られて迫害されるか分からない情勢なんじゃないかと感じている。

 私は、基本的には命は尊いんだろうけど、反面ぶっちゃけ軽くて、規則とか暗黙の了解とかは安易に破っちゃダメなんだろうと思うけど、遊びで他の生物の命を奪っちゃダメとか、そんなこといい始めたらきりねえだろと思うので、生命を軽く扱います。丁寧には扱う心構えはあるつもりだけど軽く奪っちゃいます。あえて”命は軽い”と書いていきたいと思う。そういう側面もあることを示していきたいと思う。いつも「遊びで他の生き物の命を無駄にするな」とかエラそうなご高説を読むと「じゃあテメエは遊ぶときには飯食わずにカロリー消費せずに遊べや、飯も他の生き物の命が原材料だろうがよ!!ナニをするにも他の生き物の犠牲なしにできることなどねぇゾ!」と心の中で毒づいている。

 でも”命は大事に”派の人の気持ちも良く分かるといえば分かる。川を泳いでいる魚なんて規則守って釣って食っちゃう分には何の問題もない行為のハズだけど、自分が個体識別できてるような大型個体とかを、他人がなんの覚悟もなくあっさりと殺しやがるなんてのは、向こうが正しいとわかってても腸煮えくりかえるほどの憎悪を感じるし、逆にそういう自分だけの崇拝の対象になっているような魚を自ら締めて食う時にはものすごい罪悪感と嫌悪感と共に強烈な満足感が背筋を這い上がってくるような気がする。多分自分が戦時下で人を殺してもここまでの精神的経験はできないと思う。ある意味”神殺し”だからね。

 だから、知りもしない他人、それも特に大した抵抗もできない女子供を狙って殺すなんていう「簡単で」「退屈な」殺しを軽蔑する。その程度の経験やら快楽なら、釣るのに技術やら経験やら総合力を試されるような魚の方がよっぽど手強く、殺すことに伴う”経験値”やら快楽も上なのに、非合法の獲物を狙うようなヤツらはバカで幼稚だなと思うのである。ちっちゃなハゼでもとって喰うと凄い満足感あるのに。

 

 てなことを、今回の小遠征でちょっと良い獲物を仕留めた関係で考えたので、遊びで他の生き物の命を奪うことが悪であると決めつける”社会正義の戦士様”達に反旗を翻してみたところである。

 

 今回小遠征は、前回アユに全力投球で行けなかった磯の小物釣りにいって、秋になると良く釣れるらしいアイゴやカゴカキダイを狙ってみようと、また正治さんにお世話になって、今回潮の関係で釣りできる時間も限られるので日帰りで行ってきた。

 お天気も良く行楽日和で、やや波はあるものの目的の地磯にテクテクと歩いて行って、いつものように撒き餌なしの刺し餌だけの単純延べ竿仕掛けを、ちょっとアイゴが小物釣りにしては良い型のがくるらしいのでパワーアップしておいて釣り始めると、いつものベラ軍団ニシキベラ、ホンベラ、アカササノハベラに加えて、今日の本命の一つのカゴカキダイも小気味よく4.5mの清流竿を絞ってくれて飽きない程度に釣っていたんだけど後半失速。

ニシキササノハホンベラ

カゴカキ

 潮が最干潮で止まったのがいけなかったのか、アタらなくても餌は消えててスズメダイ系とかは常にいるモンだと思ってたのに刺し餌付いて戻ってくることも多くなった。トウゴロウイワシかギンイソイワシかを追加して5目釣り達成なんだけど、写真鰭とかの位置が分かるように撮ろうとしたけど暴れて落っことして同定できず。肛門位置で同定できるらしい。

 どうにもアタらない時間が増えてきたので、正治さんは磯モノ拾いに出かけて、私もなんか釣れるような獲物いないかなと潮溜まりを物色する。

 これが結構魚入ってて、どうも直近に入った磯師が食べない獲物を殺すのもしのびないので、釣りの邪魔にならないように潮溜まりに放流したもののようで妙に今日は魚が多かった。「外道」をそこらに放置してゴミにして帰る輩もいるけど、最近はさすがにそんな格好悪いことは減ってきたのだろうか、潮溜まりなら満ちたら元の海に帰って行ける。

 東京湾を見慣れている釣り人からすると、心が洗われるような透明度の中をササノハベラやらが泳いでいて、眺めているだけでも楽しい。

アカハタ

 空中に魚がいるかのような透明度。ササノハベラ2匹と思ってたけど、1匹アカハタっぽいナ。さすがにこういう浅い場所にいる魚は食ってこなかった。

 更に探していると、食ってきそうな獲物発見。

 ウツボが現れた!とりあえず落ちてた魚のエラをハリに付けて目の前に垂らしてみる。ハリが口の端にかからなければ即切れそうなのでアワセは良い場所狙っていかなきゃと身構えるが食ってこない。磯際で魚捌いていると上陸して魚肉に食いついてくるという強烈な捕食者も、さすがに真上から見つめられていると恥ずかしいのか。

 結局諦めたんだけど、山内さんがこの食べると美味しい獲物にご執心で、タモ網持って竿尻で追い込んでつかまえようとするんだけど、タモからすぐに出てしまって潮溜まりの浅いところでバシャバシャやってる。

 普通の魚ならこの時点で押さえて締めちまえば良いんだけど、ウツボは陸上でも這って移動できるし、手を近づけたりしたら指無くなるほどの強烈な歯を持ってるのでうかつに手出しできない。何しろタコを噛み切るほどの鋭さの歯が並んでるのは見た目どおり以上で、喉にも咽頭顎とかいう第2の顎があって2重の顎で肉を引きちぎる仕様というある種の化け物である。恐れと畏怖と敬意を持って対峙しなければならない強敵である。

 せっかく良いところまで追い込んでるので、何とかしたいと私も参戦して、ロングノーズのペンチで噛まれないように隙を狙いながら頭部をぶったたくんだけど、ロールプレイングゲームの初期装備「カシの棒」とかで手強い中ボスに挑んでいるかのような「効いてない感」で全然ダメージゲージ削れてる気がしない。鎌首もたげて繰り出してくる向こうの攻撃はくらえば病院送り必至の大ダメージなので割に合わない。

 何かないかと考えたら、良いものがあった!テテレテッテッテー「ナマジは大きな石を手に入れた」という感じで、漬け物石みたいな石を持ち上げて浅瀬のウツボに重力加速度の加わった打撃を加えると、水で衝撃逃げてるので直撃入ってない感じだけど明らかに効いてる感じで、観客側に回った正治さんからも「効いてる効いてる!」と格闘技観戦時のような声援が飛ぶ。

 攻撃が効いた証拠に、ウツボ逃げはじめて浅瀬から上陸して海へと移動しだしたんだけど、その際真上をとられたことが彼の敗因となった。

 頭部めがけて振り下ろした石と磯の岩との間でグジャッと湿った音がしたのを2人は聞いた。

犯行現場

 手前のが犯行に使われた凶器である。それでもしばらくのたうつタフさはあらためて舌を巻いたけど、完全に絶命するまで放置して無事回収。

 せっかく心優しい磯師の人に逃がしてもらえたのに、外道の文字を知らない二人組に見つかってこの仕打ち。

 ただ、難敵だっただけに「会心の一撃」が頭を砕いたときに湧き上がる野蛮な気持ちよさといったら、ここしばらく感じたことがないぐらいに爽快なものがあった。もう、人間がホモ・サピエンスになるずっと以前、初めて石を使ったサルの頃から魂に刻まれてただろう根源的爆発的な喜び!!

 最初の方で、他の生き物を殺して遊ぶことの正当性みたいなことをグジャグジャ書いたけど、結局のところ自分を始め多くの人間がこの快楽に逆らえないから、理屈と膏薬はどこでもつくと後付けで屁理屈書いただけである。

 こんな面白いことやめられるかよ!!という単純な話である。

 

 その後、潮動き始めたらまた食いが良くなるかと期待するも今一パッとせず、潮が満ちてきて退路が心配になる方が先のようで、小さすぎるのは除いてオカズ分は確保できてたし、良い獲物も獲れたしで満足して帰路についた。

 獲物を正治さんの部屋で分けて、捌くのに技術がいるウツボは正治さんにおまかせして、カゴカキダイとササノハベラとをお土産にした。

 正治さん、ヒラテテナガエビをガサガサで獲る方法と場所を開拓したようで、部屋のお風呂が活エビ水槽になってたのは笑った。「テナガは泥抜きしなくても大丈夫でしょう?」と聞くと、1度に20匹とか獲れた時に備蓄しておくのと共に、殻の固いヒラテテナガエビを備蓄中に脱皮したのを逃さず”ソフトシェル”で揚げて食べるためだとのこと。釣りの技術やら準備でまだまだ”弟子”の正治さんに負ける気はしないけど、食べるための工夫や楽しみ方についてはまったく勝てる気がしない。感服しました。

 ”ソフトシェル”クラブって開高先生がニューヨークで堪能されてたブルークラブ(ガザミの仲間らしい)や東京湾にも増えているチチュウカイミドリガニで有名だけど、脱皮直後の柔らかい殻の甲殻類を丸ごと食べちゃうというヤツである。海老蟹食うのに殻剥きの面倒くささもなく丸ごと味わえるというやつである。

 私も帰って、自分達で釣った獲物を美味しくいただいた。

釣り師の夕食

 そんな小魚食って美味いのか?と素人さんは思うかも知れないけど、これが美味いんである。カゴカキがこの手の小魚系では美味い魚として認知されてきているけど、なかなかどうしてササノハベラも良い味なんである。水っぽいとも言われる身が煮付けだと汁を吸ってトロリとした皮も絡んで、箸でチマチマとせせりながら食べると、しみじみと良いお味でございますわよ。

 小さい魚を獲りすぎるのは良くないというのは感覚的には分かりやすいけど、良く勘違いされているのが、魚のような沢山卵を産んで最初から減耗する分を勘定している生き物と、哺乳類のような子供の数が少ない生き物ではだいぶ事情が違うということで、誤解恐れず簡単に言えば魚の場合小さいのはどのみち沢山死ぬことを織り込み済みなので多少食っても大丈夫ということである。最終的に卵を産む親をどれだけ残せるかとかが重要でその辺のバランスの問題で、小さいのをとるのがいつでもどこでもダメで、大きくしてからとるのだけが正解ってわけでもないのである。胡散臭い学者先生とかの耳に聞こえの良い妄言に騙されないように気をつけて欲しい。海なら小さい魚も素人がチマチマ釣るぐらいはどうってことない場合が多い。

 もう11月だというのに、磯では特有の大きな蚊がいて油断してたら手と服越しに太ももも刺されてた。痒い。叩きつぶしておけばよかった。理由があればオレは殺れる男だゼ、ウツボだってガツンとやってやったんだゼ。

 

 今年の小遠征もこれでおしまい。毎回お世話になりました。正治さんありがとう。海も川も魚も海老も蚊もヌカカもありがとね。

 

 

おしまい

 

 十月小遠征顛末記

 九月小遠征顛末記

 七月小遠征顛末記

 六月小遠征顛末記

 四月小遠征顛末記

  2018年 後半

 

 HP